フェミニズムやジェンダーの専門家の方は、こんなブログは読まないと思うけれど。
それでも千田先生の論文への反応を見ていて、トランスジェンダー当事者として疑問に思っていることを書いておきます。
女性学会の代表幹事の千田有紀先生が現代思想増刊「フェミニズムの現在」に発表した論文に、トランスジェンダー当事者(と一部の学者・研究者)からの批判が寄せられました。
この論文が発表されたことで、フェミニストを自認する一般の人がネット上で(未手術の)トランス女性は女性じゃないetc. と言っているのとは、フェーズが変わったと思います。「トランス排除」が良くも悪くも日本の女性学での論点としてはっきり提示されました。
フェミニズムやジェンダーの専門家(特に学問・研究の世界にいる方)が、「自身がどういうスタンスなのか」を考えずにいる事は、「誠実さを欠く」フェーズに入ったとわたしは感じていますが、専門家の方々は、その点をどう捉えているのか疑問なんです(「考える」として「立場を明らかにする」としなかったのは、学者・教育者・研究者も職業でもあり、発言できない時もあると理解はできるから)。
フェミニズムにおいて
「トランス女性の排除は、(条件付きでは)許容される」のか?
「トランス女性は、基本的に女性として扱うべき」なのか?
個人的に最低限問いたいのは
「シス女性の声だけを採用して、トランス女性について語ることは許容されるのか」です。
(本当は、「シス女性の声だけに注目して、“女性の”経験を語る文書は根本的に差別的だ」と言いたいです)
わたしは、ジェンダーやフェミニズムについてきちんと学んだことも無ければ、本もほとんど読んだことはありません。それでも小学生~大学時代に、母親を見ていて感じたり、新聞を読んで考えたことはあります。
その時期に、男女差別に関わる問題としてわたしが最も気にしていたのは、「家事労働をしてくれる存在を前提にした働き方」でした。
自分の性別違和を受け入れられず、男性として生きていくつもりだった時期です。それでも「昼の個人(職業)が夜の個人(家庭)」を搾取して成り立つ仕組みは受け入れ難かったのです。
そこで、最初はフリーランスの働き方を目指していたのですが、ストーカー被害から身を隠すためにその道は捨てることになりました。
その後、長い間、どうしてもフルタイムの会社勤めはできませんでした。男女差別に依存する社会制度に加わることに、抵抗があったからです(性別違和を押し殺していたのも一因かもしれないのは認めます)。生活が成り立たないので、しぶしぶ正社員として働きだしたのは30代半ばになってから。
「女性差別が問題だと感じた(当時は)一般の男性」でも、この程度は「自分の信念に背けずに、生活を犠牲にしてしまった」経験談です。「学問・研究」はわたしの単なる「生活の糧」よりも、「信念」に近いものであって欲しいとわたしは思います。
最後に、ジェンダーや女性差別にかかわる問題で、わたしが子供のころに疑問・抵抗を感じていたことを、世の中を変えられなかった世代の反省も込めて列挙しておきます。
・夫婦別姓が認められていない事
・家事、ケアワークの在り方
・日本人の働き方
・性教育がきちんと行われていない事
・避妊薬が市販されていない事
・妊娠中絶が正式には合法ではない事
・職場での男女差別
↑自分自身が子供だったので、子育て関連の問題点は意識できていません…
で、こうしてみると、雇用機会均等法で「形式上は」職場での男女差別が多少改善されたことになっている他に、全く状況を改善できていなくて、若い方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
面倒くさい話を読んで頂いたお礼に