原爆と軍都ヒロシマ | ヒロシマ平和公園の四季

ヒロシマ平和公園の四季

「ヒロシマのこころ」とは、報復の連鎖を断ち切ること。
広島平和公園の碑めぐりのガイドをしている"たっちゃん"が、
平和公園の四季を通じて「ヒロシマのこころ」を届けます。

$ヒロシマ平和公園の四季-通信室

昨日は東京の私立中学校の生徒さんと市内に残る軍都遺跡めぐりと平和公園の碑めぐりをしました。

新幹線口からバスに乗り、デルタ都市ヒロシマの歴史から広島城公園の大本営跡、中国管区司令部通信室、旧逓信局病院などを案内しました。

明治27年当時、広島が臨時首都であったことなど軍都廣島の存在が原爆投下の理由のひとつであったこと。被爆した通信室(半地下壕)から廃墟になったヒロシマを配信した女学生の話などに衝撃を受けた様子でした。

その女学生で生き残ったひとりの岡ヨシエさんと半地下壕前でばったりお会いしました。生徒さん達の驚愕と興奮がそのあたりの空気を一変させました。私は「岡さん、あなたの手記『交換台と共に』をプリントしてここに持っています」というのがやっとでした。せめて握手してお別れしたかったです。

$ヒロシマ平和公園の四季-半地下壕

その後、平和公園の碑めぐりそして慰霊セレモニーと長時間のガイドになりましたが、生徒の皆さんは最後までしっかりフォローしてくれました。今日の最大のキーワード「ヒロシマのこころ」とは何かの答、しっかり記憶にとどめて下さいね。 お疲れさまでした。