苦手なこともあるけど自分ならではの強みを持つ子供の方が将来的に有利かもしれません。

 

現在の教育制度や受験制度だと、勉強つまり「みんなと同じこと」が出来て、その中での優劣をつける(偏差値)、って形。

 

親としては可もなく不可もなく、きわめて普通の社会人になってほしいと願うケースが多いと思われます。

 

とりあえずみんなと同じに普通なことが出来てれば最低限困ることはないだろ、と。

 

でもそんな昭和~平成の「常識」も覆されるかもしれないと僕は考えてます。

 

 

皆と同じこと、横並び、量産型、ってことはAIで簡単に代用が出来てしまうことを意味します。

 

AIは人件費がかかりませんから、そっちにシフトしていくのは間違いない。

 

お勉強してお受験して少しでも良い(偏差値が高いという意味)学校に通って、、、学歴があれば良い企業に勤められるかもしれないし医者になれるかもしれないし、、、

 

学歴はあって決して損じゃない、とい考え。

 

でも、勉強も、受験も、なんなら企業すらもAIで事足りてしまう世の中になったとき、これら高学歴者たちには一体どんな未来が待ってるのかな?と思う。

 

頑張って手に入れたその学歴とやらでAIに太刀打ちできるとでも??

 

 

落ちこぼれが、落ちこぼれていったのは、昔の話。

 

これからは「普通」が落ちこぼれていく世の中になる、かもしれない。

 

だとしたら「普通」を頑張って目指そうとする危険性を、そうなるかどうか分からないけれど可能性として考えてはおかないといけない。

 

 

それよりも多少個性的だったり枠から外れてたとしても、誰にもまねできない個性があるならばそれを伸ばすことが賢明なのかも。

 

誰にもまねできない個性は、その子だけの強みとなり、それはAIに取って代わられることはないわけです。