ゲスなオンナになると決めたもう一つの理由。私の過去。 | カラフル写心家☆TAEKITIのイロトリドリノセカイ☆

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TAEKITI《たえきち》です( ´ ▽ ` )ノ

カメラと一緒に過ごす中でみつけた
イロトリドリノセカイを届けます*\(^o^)/*




我が家は
【母親が居ないと成立しない】
そんな環境に作り上げられていた。


我が家の決定権
全て母親が握り
自分の意見を言うと
とにかく否定される日々だった。


父親も。
風呂上がりの下着から
着替えの服まで
全て母親に用意されたものを着る。


家の中に何がどこにあるのか
わからないので
とても不自由そうに見えていた。


車を乗る事も許されず
唯一の趣味の釣り道具は
物が多過ぎる。と、いつも叱られてた。


片付けが苦手な母に変わって
似たようなモノがたくさんの押入れの整理は
私の仕事だった。

効率よく。見やすく。使いやすく。
片付けが得意になったのは
こんな場面が多かったからかもしれない^ ^



その中で
手放すことを決めたモノたちの山を眺めて
今度はとても迷惑そうに
文句ばかりが聞こえてきた。

自分のモノは見えてないのか?
ここぞとばかりに
私のモノを買う時のダメ出しが止まらなかった。



疲れた。というから
代わりに家事をやるよと言っても
甘える事はなくドタバタとやり始める。
そして
大きなため息。


自分の姉妹との電話では
愚痴ばかりを話していた。
大きな声で
私たちに聞こえるように。


そんな時、私は
自分の部屋に戻って大音量で音楽を聴く。
それすらも。
うるさい!と怒られていた。


家の中では生きた心地はなく
外に出る事が増える。


家にいる時間を短くしたくて
【寝る為の場所】へと変わっていった。



一人暮らしを考え始めた23歳の時、
父親の単身赴任が決まり
二個下の妹は
就職してすぐに自立していたので
心配性な母親を1人にする事は出来ず
母親との2人暮らしが始まった。



この環境すらも
自分で選んだとはいえ
かなりハードな毎日だった。


当時、保育士だった私は
仕事の勉強をすればするほど
母親へ感じる事も増えていって
話せばケンカの日々。


口答えをすれば
親に向かってその言い方はなんなの!
と、圧力をかけられてたなぁ。
懐かしい。笑



30歳になる時。
やっと父親が帰って来て
一人暮らしを2年だけ。
体験する事が出来た。



めっちゃ幸せだった!
カーテンの色、テーブル、ラグ、食器
全てを自分で決められたから。

誰にも怒られない
1人の時間を持てたから。

全て自分のタイミングで
掃除や洗濯も出来たから。

生きてる!!!って初めて感じられた。

めっちゃワクワクしてたなぁ。
楽しかったなぁ。



そこから少しずつ。
父親との関係にも変化があって
【怖い人】とレッテルを貼られていた父親は
良き理解者
困った時の救世主へと変わっていった^ ^

普通に話せるようになったのは
一人暮らしをしてから。

嬉しかったなぁ。




誰も悪くないのはわかってるよ^ ^


母親は母親で、
たくさんの孤独や我慢を抱えているから。
(これは隠させてね)


自分に優しくする事を
許せない人だから。


誰よりも歯を食いしばり
頑張る人だから。


すごく辛いんだと思う。



でもきっと。
母親はこの生き方を自分で選び
きっと楽しんでいるんだ。


母親はこれが幸せなんだろう。



可愛らしい母親の姿は
今は見れないけど。


いつか。
笑って話せる日が来るといいなぁ。



私には、こんな過去があったから。
結婚後は
この全てを反面教師にしようと思った。



この続きはまた今度に^ ^
長いお話
読んでくれてありがとうちゅー