FM雑誌が花盛りだった頃のこと | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

 先月中旬ぐらいのこと。書店の雑誌棚を見て驚く。1990年代の中頃に休刊された隔週のFM雑誌「FMレコパル」(小学館)が並んでいたからだ。さっそく手に取って見ると本格的に復刊されたワケではなく、創刊40周年を記念しての1号限定復刊とのこと。よく見れば「ダイム12月号増刊」としての発行だ。


 それでも80年代には毎号購入しては最新の音楽情報やら音響機器情報、リスニング術、音楽家やミュージシャンたちを題材とした音楽版スーパースター列伝的なライブコミック(漫画家は毎回違うが、手塚治虫や石森章太郎、ジョージ秋山、さいとう・たかを、松本零士ら超大物たちが執筆していた)、そして何よりもFM各局(とは言っても東版エリアにはNHK-FMとFM東京の2局しかなかったが)の番組表を蛍光ペン片手に、細かくチェックしていた愛読誌の復刊は嬉しいもの。すぐに購入した次第。当時と同じ版型ながら、特集記事には「ハイレゾ」やら「4K映像」なとの単語が並ぶのが時代を感じさせる。


 FM雑誌は、ちょうどパソコンやインターネットの普及と時を同じくして姿を消した印象があるし、自分でも一体いつ頃までキチンと定期購入していたか?の記憶も曖昧だ。それでも自分が「マイ・ラジカセ」を手にしつつ、音楽録音を趣味にし始めた80年代初頭には「FMレコパル」以外にも、「週刊FM」(音楽之友社)、「FMファン」(共同通信社)、「FMステーション」(ダイヤモンド社)など各誌が花盛りだったもの。あまりに覚えている人が少なく、人に話しても「どうせホラ話だろ?」と一蹴されてしまうのだが、昭和55年頃にほんの短期間だけ「FM3丁目」(出版社は記憶にない…)なんて雑誌も存在した。一時は総合情報誌「ぴあ」にもFMの番組表が掲載されていたし、つまりそれだけ音楽情報とかFM放送の番組表に需要があった時代があったのだ。 


 今や細かい曲名まで含むFMの番組表が表示された雑誌はNHK-FM限定だが、NHKの情報誌「ステラ」があるぐらい。皮肉なことに関東圏においては長きにわたりNHKとFM東京の2局しかなかった時代か終わり、昭和60年代に入るとFM横浜、FM富士、J-WAVE、NACK5、ベイFM、インターFMなどが続々と開局し、現在のFM各局が出揃い、各地域に地元コミュニティのミニFM局まで誕生し、FM局が花盛りになった頃からFM雑誌の衰退は始まる。多局化に伴い、番組表制作に追いつかなくなったのか? それともあらかじめ曲目などをキッチリと決めてはおかない生放送が中心になってきたからだろうか? そんな時代まで、FM雑誌の番組表でチェックした番組をエアチェック(もはやこの言葉を知らない人も多い)するために、必死にアンテナの角度を動かしたり、カセットテープの頭出しをしたりしつつ、いざ本番の録音開始に備えていたものだ。


 まだCDは存在せず、高額なLPなどを買えるのはお年玉の季節のみ。たとえドーナツ盤といえどおいそれとは買えなかった年頃。どんな番組を録音していたのか? 記憶に残っていることろではNHK-FMの土曜夜10時20分から放送の「夜のスクリーンミュージック」(映画音楽研究家・関光夫さんによる昔ながらの落ちついた語り口で、まだ観ぬ映画の音楽を聴かせてくれた「サントラ版ジェットストリーム」)や、土曜午後1時の半ドン帰宅後昼食タイムに欠かせない「コーセー化粧品 歌謡ベスト10」(作曲家の宮川泰とアシスタントの丸木陽子アナのトークも楽しかったが、丸木アナが27歳の若さで急逝されたとの訃報を番組内で聞いた時はショックだった…)。あと昭和63年に開局したばかりのFM富士で歌手・松野こうきがDJを務める「歌のプロムナード」(私の住んでいた川崎市では天候等により、ノイズが増えてしまいエアチェックに苦労した)で、当時はなかなか電波に乗ることも少なくなっていた、ちょいと昔のややマイナーなフォークやニューミュージック等を録音していたもの。これらの番組を録音したカセットテープは実家の押し入れを発掘すれば、まだあるはずだ。

 たとえ金銭的な問題をクリアしたとしても、現在とは比較にならないほど過去の楽曲が手に入りづらいという状況もあり、エアチェックに心血を注ぐといった日々は確かに存在した。もう、あれほどの熱量を持ってエアチェックに燃えるということはもうないだろう。当時、FM雑誌に掲載される数十万円から時には数百万円もするアンプやスピーカー、音楽のジャンルごとに取り替えるような専門的なレコードプレーヤー用のカートリッジ等の専門的な音響機器の紹介記事に目を輝かせつつ、しかし現実は小型のラジカセを来る日も来る日もいじり倒しては「いつか大人になったら…」と念じていたもの。復刊したFMレコパルを眺めつつ、その「いつか」が未だに来ていないことを思い知らされるのであった。