最近、X(ツイッター)で明菜に関するツイートが頻繁に上がって来るようになって嬉しい悲鳴をあげております😆
そんな中で、ふとこのことを書きたいと思いました。
本編です↓
80年代、
松田聖子
中森明菜
という別格のアイドル二人がいた。
(以降、当時の親しみも込めて、聖子、明菜と記載します)
何かと比較され、ライバル扱いされていた二人だったけれど、音楽的に見ると興味深いことがある。
二人の80年代の全てのシングルを振り返ったとき、
聖子は一曲を除いてすべてがメジャーキーの曲。(明るい、爽やかさ、穏やか)
そして、明菜は全曲がマイナーキーなのだ。(悲しい、切ない、寂しい)
僕はこのような明確な棲み分けを他で見たことがない。
明菜
その曲がメジャーキーなのか、マイナーキーなのか、判定しづらいものもある。
始まりはマイナーキーのような曲もあるから。
でも僕はシンプルに考えている。
サビの終わりでどこに戻っているか?だ。
それがその楽曲が本来戻ろうとしている場所だから。
それがメジャーコードならメジャーキー。
マイナーならマイナキーと言える。
その意味で聖子はメジャーキー、明菜はマイナーキーであることを約束付けられたような存在だった。
二人には例外がそれぞれ一曲ずつあって、
聖子の88年の「Marrakech〜マラケッシュ〜」はマイナーキー。
明菜の復活後の90年のシングル「Dear Friend」だけはメジャーキーだ。(これには悲しいイメージを払拭したいという想いがあったのではないかと思う)
どちらも全盛期の後期といえる時期で、それまでは互いにメジャーと、マイナーという棲み分けがされ、それを越えることは1度もなかった。
それはイメージ戦略なのか、ライバル視なのか、あるいは不可侵の暗黙の了承なのか、事務所サイドの意図は分からないが「意地」さえも感じるほどの徹底ぶりだ。
果たしてその対決(と当時の感覚では言っていいだろう)はどうだったのだろう。
僕個人の勝手な感覚でいうと、デビューは聖子が早かったこともあり、当初は聖子優勢。(80年代前半は世界的にもオールディーズ再来的な明るい曲が人気だった)
80年代後期は明菜がアーティストとしての地位を確立して行き明菜が優勢、だったように思う。
(あくまでも当時の個人主観です)
聖子がメジャー縛りの中でアーティスティックになることは、とても難しい挑戦だったと思う。
メジャーキーの明るさが、どうしてもアイドルとしての快活なイメージを引きずってしまうから。
でも80年代後期の聖子はそれを払拭すべく、メジャーキーでも洋楽のような楽曲でアーティスト性を表現しようとしていたように思う。
だから、その頃の曲は、例えばこの曲のように冒険的な曲が多く、僕は好きだ。
一方の明菜は、マイナーキーでよくこれだけ多種多様な曲が作れるものだと感銘を受けるほどに当時のソングライター陣は才能を発揮していた。
そんな中、
今やどちらが歌っても素晴らしいと思える曲がある。
聖子の「瑠璃色の地球」だ。
これはマイナーキーから始まっているが全体的にはメジャーキーの曲に聴こえる。
非常に中間的な曲だ。
だから聖子が歌っても良いし、明菜が歌っても良いのだと思う。
(良いというのは心に響くという意味)
余談になるが、1986年の聖子のアルバムに入っていたこの曲。
僕の当時付き合っていた子は「松田聖子命」というほどの聖子ファンで、このアルバムはレコード店の一枚プレゼントキャンペーンの時に交換させられた(笑)
それまで、中学の頃から何度も「聖子ちゃん」をアルバムまで聴くように薦められたけど、カッコつけたいパンク小僧が聴くわけないよ(当時聴いてた人いたらゴメン笑)
でも、このアルバムの中に入っていた「瑠璃色の地球」は大好きだったな。
松田聖子ってアーティストなんだなぁと思った曲だった。
さて、
世界でも例がないと思える2大アーティストのメジャー、マイナー対決。
今までこの二人に対してそのような分析を見たことがなかったので記事にしてみました。
それぞれの陣営が、メジャー縛り、マイナー縛りの中で最高の楽曲を提供し続けた。
そのどちらもが本当に素晴らしく、甲乙などつけられない。
このブログを書くために二人の曲を振り返っていたら、懐かしさと素晴らしさでブログに戻って来れなくなりそうだった😅
そんな素晴らしい昭和の歌姫二人。
これからも永遠に輝きを増して行くことと思います🙂
だって素晴らしいんだもん!
ニコっと笑ってくれるだけで幸せになれる、真のアイドルだったと思います😊
chuma@WDRS