人類が誇る発明 | 自己治癒力向上大作戦

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文明を飛躍させた人類の発明とは!?

 
車輪だ
包囲磁石だ
活版印刷だ!
 
といろいろ言われておりますが
わたしは断然
屋根、壁、床、扉(窓、引き戸を含む)
だと思っています
 
人類の最初のねぐらはきっと
洞穴のようなもので、
それがやがて
洞穴の無いところでも
雨風をしのげるように
柱をたて
屋根をかけ
壁で囲み
明かり取りに窓を開け
出入り口に扉をつけ
床を張った「家」になった
 
移動の多い暮らしなら
テントのように
設営と撤収が簡単なものが発達し
定住するようになると
その土地の気候風土に合わせて
手に入りやすい素材で
居心地の良さを工夫した住居ができた
 
 
支柱と覆いでできた
簡単な家は
移動ができることが優先されたもので
「定住」を前提とした「住居」と比較すると
心地よさという点では
どうしても劣ります
 
では定住型の住居が
どのような基準で作られているのかというと
もともとの「洞窟」に近い安心感に近づけつつ
気候風土に合わせたのではないかと思うのです
 
日本は木材に恵まれているので
木の柱、土の壁、草の屋根
というのが一般的な農村の家
 
ヨーロッパに行くと
石の壁、草の屋根が多くなります
 
ヨーロッパの家の屋根が
草で葺いた下がどんな構造になってるのか
知りませんが
日本の草ぶきの屋根の下には
次に葺き替えるときの萱をストックして、
いぶして、保存性を高めるための
「つし」と呼ばれる屋根裏部屋になっています
 
その床は、上がってみてはじめて知ったのですが
厚さ10センチを超える「土」で覆われていたのです
 
そもそも梁がすごく太くて重いうえに
さらにその上に土が盛られていたなんて
びっくりですが
それが構造レベルの安定と
夏の過ごしやすさにつながっているのが
よくわかりました
 
身近にあって手に入りやすい素材で
洞窟に近い居心地を再現したのだと思います
 
ガラスのない時代は
障子で風をふせぎつつ採光し
夜や嵐のときは木の雨戸を閉め
真夏は開けっ放しで「蚊帳」の中で寝る
 
そんな暮らしだったのだと思います
 
 
 
なんでそんなことを思ったかというと
実はこの夏生まれて初めて
ホームシックらしいホームシックになりました
とっても素敵なところで
会いたかった人に会えたり
思いがけず会えてお話いっぱいできたり
楽しいはずなのに
「おうちに帰りたい」のです
 
ホメオパシーのカプシカムなんて
効きやしないくらいの
「おうちに帰りたい」
 
なにがいけないって
まず、暑すぎました
 
古民家の屋根の下は
外の気温が35度でも
湿度さえなければさわやかなものです
 
この屋根に慣れてしまうと
日が昇ってから沈むまでずっと陽に晒されるのは
とてもきつい
 
そこへおいうちをかけるように
一日目の夜
近くに留めた車が
一晩中エンジンかけて
エアコンつけていたのです
 
さざ波の音をかき消すエンジン音で
ときどき目が覚めるって
最悪です
 
この寝不足と日差しの厳しさ
そして目の前にある海岸が
護岸されて降りられなくなっていて
波けしブロックがずらりと並んでいる…
という光景に愕然として
すっかりホームシックになってしまいました
 
情けない…
 
でも「住居」がいかに
ひとの気分に影響するか
安心感を与えてくれるものか
という大きな気づきにはなりました
 
 
屋根と壁と床って素晴らしい!!!
 
 
機械から発せられる
音や振動がなくて
構造から発せられる化学物質もなくて
雨風日差しから守ってくれる
日本の古民家は
95パーセント以上がすでに消失したそうです
現存するものもどんどん朽ちています
現存するものもほとんどが草屋根の上に
金属の覆いがかけられ
萱などの草ぶきのままは5パーセント程度と聞きました
 
定期的な葺き替えの手間とコストを考えると
致し方ないのかもしれませんが
保存する価値もまた
計り知れないとおもいます
 
この日本の気候風土にあった古民家、
リノベーションして利用され
その「良さ」が知られるようにはなっていますが
ひとつ気がかりなことがあります
 
建築基準法に合わせた場合
耐震性や防火のために
とっても高額になるのです
 
昔の人は地震や火災なんて
おかまいなしだったのかな…
 
「被爆牛と生きる」という
福島の汚染地域に残された牛たちを
いまも世話し続ける人がいるという
ドキュメント作品を観た時のことです
 
揺れも激しかった地域の建物がいろいろ
背景として映し出されるなかで
古い民家はどれもきれいでした
 
熊本市街を見ても似たような感覚はあります
比較的新しい建物は
傷み方に大きな差がありますが
100年以上たっていそうなお寺などの建物は
瓦がずり落ちたりはしているものの
構造そのものに問題が生じていることは
稀なように思います
 
昔の人のほうが
とにかく丈夫に、そして居心地よく
を知っていたような気さえするのです
 
 
「建物を建てる」という
おおきなプロジェクトも
今は工場で加工されたものを組み立てるだけで
現場に本当の意味での「職人」が
不要になりましたが
日本の農村の古民家は
近隣の村の大工たちが集まって
近隣の森から切り出した木を
すべて手作業で柱に、梁に、板に製材して
作られています
 
たまゆら堂の古民家は
家の前の河原から持ってきた石を
柱の塚石にしていて
本当に身近なもので建てたのだとわかります
 
重機もなく
工業製品もなく
身近にあるものを
手間暇かけて使うほかなかった暮らしで
「使い捨て」という意識は
どこにもなかったはずで
それは「住居」という大がかりなものになれば
なおさらだったのではないでしょうか
 
直して住み続けることを前提として作られた本体は
その後の増改築部分をはがしても
この先100年はもちそうなくらい
しっかりしていました
 
増改築の際につかった
新建材のほうがむしろいたみがはげしく
その影響でいたんでいるところはありましたが
補修して十分使えたのです
 
今現在
近くの森の木を使って
家を建てるって
たぶん無理です
 
杉などの針葉樹で建てる試みが
細々となされてはいますが
古民家は田舎の人が「堅木」と呼ぶ
広葉樹が使われているため
似たものをを建てることはできても
材料が手に入らないから無理なのです
 
 
手に入れた古民家を
心地よく住めるようにリノベーションすることは
可能だし合理的でもありますが
建築基準を満たそうとすると
高額になる
だからつぶして安価な使い捨てレベルの家を建てる
…ってどうなんでしょう
 
ちなみに「個人宅」であれば
建築基準法を満たさなくても
リフォーム、リノベーションは可能です
 
ただ、用途が個人宅でも
行政の補助金をもらったり、借りたりする場合には
建築基準法に則ったリノベーションでないと
返納させられたり、罰金が科せられたりします
 
 
 
なにを大切にしたいのか
なにを守りたいのか
 
しっかり考え、
見極めなきゃと思います
 
 
 
ひろの拝