学校に行きたくない | 自己治癒力向上大作戦

自己治癒力向上大作戦

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おとなのみなさん
こどものころを思い出してみてください
 
「学校、行きたくないなぁ」
 
そう思ったことはありますか?
 
わたしはしょっちゅう思ってました
 
宿題できてない
雨が降ってる
お腹痛い
しんどい
先生嫌い
テストがイヤ
給食まずい
 
わたしが行きたくない理由って
だいたいそんなでした
 
学校なんてなくなっちゃえばいいのに
 
くらいの勢いで嫌いでした
 
それでも学校に行ったのは
病気でもないのに
家にいてもろくなことがなかったからです
 
具合が悪くて休むことは
しばしば、いや、わりと頻繁にありましたが
母のきげんがもつのは3日まで
4日目からは
「はよ起きて学校行け~」というプレッシャーが
どんどん強くなります
 
こどもに家でごろごろされてたら
気が抜けない
買い物にも自由に出かけられない
専業主婦なので仕事してるわけじゃないけど
「とにかく邪魔!」
 
家はそんな雰囲気
 
さらに家の外には
平日の朝から3時くらいまで
こどもは学校にいるもんだという
「常識」みたいなものがあって
その時間帯にそこに居てもOKな場所って
病院くらいしか思いつきません
 
いまでもそんなに変わらないと思います
 
 
「学校が楽しくてたまらなかった」
「なんで行きたくないのか想像つかない」
 
そんな方にはもうひとつ質問
 
学校に来ない、または
病気で学校に来れない人のことを
「いいなぁ」とか「ずるい」って
思ったことはいちどもありませんか?
 
一度でもあるなら
なんらかの「がまん」をしていた証拠だと思います
 
日本では児童労働が禁じられているし
義務教育で教育の機会を
奪えないことになっているので
「行きたいけど行けない(行かせてもらえない)」
という苛酷な状況の子どもは
いないはず
 
だから
「来れなくて気の毒」
ではないのです
 
「来ないのはずるい」「休めていいなぁ」
と思うのは
登校できてる自分の幸せを
あんまり感じてないってこと
 
「登校できるって幸せ!」
と毎日思っていたわけではない
という人を
行きたくないなぁと思ったことがある人に加えると
相当な割合にのぼると思います
 
 
子どもがゴキゲンで過ごせる場所かどうか
いまいちど考えてみる必要がありそうです
 
 
 
ガッコーにいかないと
 
ルールが身につかない
友だちができない
勉強できない
社会性が身につかない
そして「大人になった時に困る」
と、心配する方が多いですが
学校に行かなかったことが原因で
困ってる大人をわたしは知りません
 
無理して学校に行ったせいで
生きることをやめちゃったとか
心身の健康に破綻きたした例は
枚挙にいとまがありません
 
行かなくてもなんとでもなる
というのは
をご参照願います
 
学校って行きたいときには行けばいいし
行きたくないときは行かなくていいし
自分の時間をどこでどのように過ごすか
主体的に決められないことが
民主的に相談できる相手がいないことが
モンダイなんです
 
子どもはすぐに怠けるから
遊んでばっかりいるから
学校でしっかり教育してもらわなきゃダメだ!
とおっしゃる方にお尋ねします
 
学校に行ったから怠けずに勉強したんですね?
本当は遊んでいたかったんですね?
学校で学んだことが今、役に立ってるんですね?
 
 
学校なんてろくでもない
必要ない
そういうことが言いたいんじゃなくて
学校の体裁や体面のために子どもがいるんじゃない
ってことはせめて
ご理解いただきたいのです
 
学校システムからはみ出たら
不利になることってたぶん
同年代のなかで自分がどれくらいの学力なのか
成績がつかないからわかんない
ことくらいです
 
中学のときに
気に入らない先生の試験は
全て白紙で出すような生徒でしたので
わたしの成績はだれも把握できませんでした
 
進路指導のときに
普通科を希望したら
鼻で笑われたものです
 
結局、塾で模擬試験を受けて
その点数を目安に
ひとつランクを落として
(内申書がひどいことになってるのは承知してたので)
受験しました
 
 
そんなわたしの息子が
いみじくも言ったのは
「学校って託児所やろ」
 
行かなきゃお母さんが困るだろうから、と
たいして楽しくもないのに行っていた、と
 
全体としては楽しくないけど
楽しみを見つけて通っていたんだと思います
 
鶏の飼育小屋
用務主事さんの木の手入れの手伝い
もともと理科の先生だった校長先生とラジオの修理
と、休み時間をマイペースで謳歌し
授業は邪魔をしないように宇宙と交信
(たぶんじっと座ってるのが精いっぱい)
 
実際に
「行きたくなかったら休んでいいんだよ」
と言っていたのに当の息子は
託児所だと割り切って通ったって
なんて親孝行なんでしょう
 
泣けます
 
危ないな、と思ったときは休ませたし
(いじめを告発した報復とか)
嫌だな、と思ったときは迎えに行っちゃったり、と
(そのメンツでそれ勉強するの?とか)
かなりモンスターな親でもあったので
行けるときは行っとかなきゃ
というキモチももしかしたらあったかもしれません
 
そんなわけで
楽しく通学してたわけでもないけど
無理していったわけでもない学校
というのが
息子に限らずほとんどの人に共通すること
なのではないでしょうか
 
 
でね、
 
イメージしてほしいのです
 
オトナ社会は今どうですか?
 
安定して、みんなが心穏やかに過ごせてますか?
 
爆弾降ってくるわけでもないし
災害はあってもうちじゃないし
なんとなく平和かもしれませんが
政治、経済、医療、福祉、どれをとっても
混迷しています
 
その影響はじんわりと真綿で首をしめるように
ベルベットのリボンで手かせ足かせするように
「ストレス」という形で表れてます
 
セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、パタハラ、
ハラスメントだらけ
 
大人たちがそうなのですから
子どもたちだって同じです
 
ハラスメントに対して
わたしたちがどんな手を打てていますか
 
渦中にあるときは
辛いことがぼんやり感じられるだけで
何が同問題なのかより
状況に対処することで精いっぱいだったりしませんか
 
だから
 
「なんで行きたくないか
言ってごらん」
 
じゃないんです
 
言葉に窮したら
明確に答えられない自分を責めて
「やっぱり行かなきゃ」
になるかもしれないし
心配かけたくなくて言えないかもしれないし
 
「行きたくない」
精いっぱい、勇気を振り絞って
やっと言えたことなんです
 
じゃぁどうすればいいのか
 
まず
「わかった」
と「行かない事」にOKを出しましょう
 
あとは
安心して楽しく過ごせるように
子どもの主体性を大切に
民主的に話し合いましょう
 
子どもと、に限らず
民主的に、対等に話し合うことは
日本の一般的な学校じゃ、
まず身につかない大切な
生きるための作法です
 
貴重な子ども時代の時間を
無駄にするのはもったいないよね
 
学校のシステムから離れたら
むしろ
可能性は無限大に広がるのですから
 
 
 
最後に、季節外れですが
学校を舐めくさっていた3バカの
今年の正月の写真を載せておきます
 
 
 
元氣にお気楽に生きております
 
 
ひろの拝