決める。行動する。夕ごはんの支度をするように。 | 自己治癒力向上大作戦

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毎日キアイのはいった

夕ご飯をつくるのは

よほど
「料理が好き爆  笑

とか

「ダーリンに喜んでほしいチュー

という

モチベーションが必要なわけで

なにも毎日がんばる必要など

ないと思いますが

 

日々の食事のなかで

家族がそろって食卓に着く事の多い

週末の夕ごはん、など

多少キアイが入るのではないでしょうか

 

家族に

「何食べたい?」

とたずねて

献立のヒントにしたりしなかったり

覚えのある方も多いかと思います

 

でも、最終的には

「作る人が決める」

 

なので

 

カニクリームコロッケ食べたい!

 

と言われて作るのが面倒なら

できあいを買ってきちゃうとか

無視したってかまわないわけです

 

 

 

この、

「作るのはわたしなんだから

何を作るかわたしが決めていいはず」

という

自分で自分に出している許可

これのリミッターを外してみたらどうかな

と最近いろいろな場面で思うのです

 

 

たとえばね

 

山本太郎さんの講演会で

いろいろと質問が飛び交います

 

その中に

「〇〇はおかしいと思うんですが

どうして止められないんですか」

 

というものがあります

 

 

ダム建設

基地建設

原発再稼働

消費税増税

国会での強行採決

放射能汚染水の放出

残留農薬の基準値緩和

 

…なんでよ~えーん

と、頭を抱えたくなることが

いっぱい起きています

 

 

どれも

地域住民や

国民全体で

その結果を引き受けなきゃならない事で

環境破壊、汚染

独裁体制への地ならし

が、じわじわとですが

着実に進行しています

 

 

だれか止めてよ!!!

 

 

その気持ちも

痛いほどわかります

 

 

でも、

 

「結果を引き受けるのは

わたしなんだから

わたしは「イヤ」だという意思表示をしていい」

 

という許可

みんなが自分に出せていたら

はたしてここまで事態は悪化したでしょうか

 

難しいことはわからない

偉い人がまちがうことはないだろう

 

というような

根拠の薄い「過信」や

 

決める人がいるんだから

止めてくれる人もひるはず

 

という

根拠の薄い「期待」があって

 

自分の代わりに意思表示をしてくれる政治家を

選ばない人が

まだたくさんいるということだと思います

 

組織票と投票に行かない人のことです

 

結局、その

組織票と投票に行かない人の分まで

「わたしは自分の意見を代表してくれる人に投票したよ」

という人が

追わなきゃいけなくなっているのが

今の現状だと思います

 

 

結果がまったく自分に関係ないこと

っていうのは

特に政治の場での決め事において

なにかあるのか、ちょっと思いつかないのですが

たとえばLGBTや同性婚、夫婦別姓

性犯罪の法改正だって

友だちや職場の誰かが当事者だったりするわけです

ダムや辺野古の埋め立て、気候変動なんか

その地域の人だけじゃなくて

宇宙船地球号に乗ってる全ての生き物の問題

 

めぐりめぐって自分につながることばかり

 

まだ、口出しすることを

禁じられていないと知ること

 

自分で自分に

口出しする許可を出すこと

 

 

でないと

近い将来「口出し」が制限される可能性が出てきています

 

 

 

 

 

さて、政治的なはなしは

このへんにして

 

もうちょっと身近なイシューに移ります

 

 

性教育関連で先日

こんな記事がありました

 

男の子のための生理教室

 

女の子が別室で「生理」について

授業を受ける間

 

男の子たちも

「避難所での生理用品の配り方」

をテーマに月経について学んだ

という

そのクラスの講師をした方のリポートです

 

 

これをSNSでシェアすると

「うちの学校でも導入してほしい!」

という声がいっぱい上がって

絶賛されています

 

授業内容は実に素晴らしいです

 

でも、

七生養護学校事件以降

学校の現場は

性教育に対して委縮しっぱなしで

個々には熱心な先生もおられるし

草の根的に学校の外で学ぶ機会も広がってはいますが

学校教育全体としては後退しつつあるくらいです

 

そもそも

お粗末な性教育を受けた世代が

さらにお粗末にすることに熱心なのが

いまの教育行政の決定権を握ってる人たちですから

期待するだけ無駄だと思っています

 

もちろんこれ以上の後退を阻止するために

「おい、こら!」って

声は上げ続ける必要あります

「こういうのを導入してください」

と意見を届ける必要もありますが

 

そういう活動をし続けている人は

昔からいて(わたしもしてました)

それを無視して今の現状があり

その結果を引き受けているのが

わたち国民であり

避難所で難儀を強いられる女性であり

性犯罪の被害者であり

性的マイノリティであり

ジェンダーギャップに苦しむ人であり

望まぬ妊娠や性行為感染症を経験した人なのです

 

この

「教育を受けるチャンスが無かったから」

という結果を

これからも

「教育を受けるチャンスが無いから」

と次のジェネレーションに

引き継ぎますか?

 

やだよね

 

だったら

「学校でチャンスがないなら

 家でつくりましょう」

に切り替えればいいんです

 

「わたしが決めて教えていい」

 

自分に許可を出すだけでOK

 

そもそも誰にも

禁止されてません

 

 

 

ワクチンもいっしょです

 

メリットもデメリットも

全部受けた本人とその家族が

引き受ける羽目になるのですが

デメリットにつながる情報って

あまりにも少ない

 

少なすぎて

デメリットがあることが

抜け落ちぢゃった結果

大惨事になった事件もあるのです

京都ジフテリアワクチン禍事件

 

70年も前の戦後直後の

まだ混乱期だから

もう起きっこない、と思いたいですが

ジフテリアワクチンは

トキソイドワクチンで

適切に処理を行っていないと

ジフテリア毒素がそのまんま残る

…という極基本的なことを

みんなが忘れていたために起きた事件です

 

「病気を防ぐものに

病気にさせるものが入ってるわけないだろう」

くらいの勢いでみんなが勘違いしてたために

被害が拡大した悲しい事件です

 

こういうのも

結果を引き受けなきゃいけないのは

本人とご家族です

 

幸い、今の日本には

義務付けられているワクチンは

ひとつもありません

 

自分で自分に許可を出すだけで

どれを、いつ、「する」「しない」

が決められるんです

 

 

夕ごはんのメニューを決めるにしても

作る手間ひま

できばえ

みんなのウケ

引き受けなきゃなんないですよね

 

子どもが食べてくれなかったり

文句を言う人がいたら腹も立ちます

 

そして、

偏食の結果を引き受けるのは本人

 

誰かの力を借りる

助けを求める

知恵を出し合う…ということすら

自分に許可を出して

行動に移しているのです

 

 

わたしたちは

 

夕ごはんの献立を

好きに決めていい

だれにも禁止されてません

 

同様に

 

税金の納め方に

口出ししてもいい

 

税金の使われ方に

物申してもいい

 

農薬の残留基準値の引き上げは

嫌だって言っていい

 

学校教育で教えてほし事

教えてほしくないことを

伝えていい

 

自分で教えることもできる

 

自分で教える、選ぶための

話を聞きに行くこともできる

 

 

だれにも禁止されていません

 

 

夕ごはんの献立を

誰が決めてもいい

のと同じです

 

 

 

 

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ひろの拝