小さい人の「健診」で思うこと | 自己治癒力向上大作戦

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たとえば1歳半の健診で

「積み木をふたつ重ねる」

という項目があります

 

三才だと

「片足で立つ」

 

就学前だと

ふたつのお皿にリンゴが幾つかずつ乗った

イラストを見せて

「ぜんぶでりんごはいくつありますか」

に答える

 

 

ふだんのくらしの中で

出来ていることでも

知らない人から指示されたことを

するとは限りません

 

気乗りがしないことだってあります

 

「うちでは出来るんですけどね」

そう親が言うと

 

以前は

 

「そうですか

緊張してるのかな」

 

と不問にされることがほとんどでした

 

 

それがここ数年

 

「いつでもできるのを

できるっていうんです」

 

として

保護者に指導がなされることが

増えてきているように感じます

 

 

 

乳幼児健康診査,

いわゆる

「〇才児健診」と呼ばれるものは

拇指保護法にもとづいて

安心して子育てができるようサポートするためのもの

であって

不安を与えるのが目的ではありません

 

支援の必要なケースを見落とさないように

「全員受けましょう」

になっていて

知識的なサポートが必要な親

経済的サポートが必要な家庭

DVや虐待

特別な支援が必要な人と保護者をみつけて

それぞれに必要なサポートをするのが目的であって

異常を探し出して

選別することが目的ではありません

 

 

ところが

「標準」の枠に収まらない人に対して

ここ数年

非常に厳しくなってきているように感じるのです

 

 

 

「できない」ことを指摘されてショックだった

というのは以前からありましたが

「家ではできてます」

「できるときもあります」

と言えばそれ以上追及されることはなかったものが

「いつでもできるのをできるっていうんです」

と指導の対象になるのは

ここ数年、3~4年の傾向でしょうか

 

どの保健士さんもそうだとは

思いませんが

そういう保健士さんが増えているのは

実感としてあります

 

 

標準的な発育から逸脱している子どもを探し出して

標準内におさまるように

指導するのが私たちの使命なんです!

 

とでも言わんばかりの勢いです

 

 

均質化することを良しとしたら

異質なものは目障りになります

排除したくなります

いじめる理由になるでしょう

 

標準から外れる人が

不便を強いられないように

尊厳が保たれるようにするのが

社会に求められるのならわかりますが

標準内におさまるように強制したり

排除するのはおかしなことだと思います

 

 

特に

「うちではできるんですけどね」

という場合

 

これを無視して

「いつでもできるのを、できるって言うんです」

というのは

たぶん、なにか勘違いしてるからです

 

小さな人を

ロボットかなにかのような

情緒を持たないものだと

勘違いしてると思います

 

ロボットなら

「できる」か「できない」であって

状況次第でしたりしなかったりはありません

 

もしくは

何ができるのかの「何か」は

出されている課題そのものではなくて

「従順に支持に従うこと」ができるかどうか

を見てるんです

 

確かに「従順」であれば

できることを指示されればするでしょう

 

従順でなければやりません

 

 

 

 

わたしは

従順さは

いついかなる時も必要だとも

思わないし

美徳だとも思いません

 

でも「支配したい」人にとっては

とても魅力的な美徳です

 

支配構造を秩序として

維持したい人にとっても

必要不可欠な要素です

 

 

なので近頃は

「いつでもできるのを

できるって言うんです」

と脅しをかけてこられたら

積み木ができるかどうかじゃなくて

従順かどうかをチェックしたいんですね」

と聞き返すように伝えています

(※積み木に限らずその場で出された課題)

 

 

どうも、相談に来られる方に

個別にお話ししていて

間に合うレベルではないような気がしてきて

記事にしておこうと思いました

 

 

 

近ごろ耳にする

就学前健診や

入学後の様子などを聴いていると

息子はたぶん

普通学級には

置いてもらえなかっただろうと思います

 

「普通」の幅を

どんどん狭めることで

みんなが多様性を学ぶチャンスを

奪ってはいないだろうかと気になるのです

 

 

 

幼稚園のはじめての運動家は

脱走しました

 

小学校の運動家や学芸課の練習を

邪魔せずに、参加できるようになったのは

高学年です

 

マス目におさまるように字を書く

というのがルールだと気付いて

従う努力をするようになったのは

1年生の3学期です

 

教科書を誰かが読んでいるとき

同じところを黙読していれば

つぎにあてられた人が続きを読める

と気づいたのは3年生の後半です

 

ペーパーテストに

人並みに回答を記入できるようになったのは

5年生になってからです

 

 

学校の評価項目では

「できない」だらけの息子で

迷惑をかけてよその親御さんからクレームが入るので

4年生まではわたしも呼び出されることが多く

けっこう針の筵でしたが、

大人とも普通に会話ができる

好奇心旺盛で、調べたことをどんどん覚える

調べたことから興味を膨らませて

どんどん理解を深める

気持ちを正直に言葉にできる

という部分を小学校の先生たちは

否定せず認めてくださり

排除されずに済んでいました

 

学校の評価項目だけでは

子どもの発達の良し悪しを

測りきれるものではない

 

そういう認識が学校にあったからだと思います

 

 

 

健診に話を戻します

 

可能性だらけ

伸びしろしかないような

幼児期に

「あんただれ?」という人から

「従順さ」を要求されれば

反発する人がいるのは

当たり前のことだと思います

 

それをね、

「異常を発見!」と

鬼の首でも取ったように

責め立てられたくないです

 

なにができて

なにができないのか

それを見極めるには

まず場所に慣れ、人に慣れ、

安心した状態で

関心が呼び覚まされるのを

「待つ」余裕が必要です

 

行政の幼児健診はそこまで

やりません

 

だから

「できない」と一方的に決めつけられて

凹む必要ないんです

 

もういっぺん繰り返します

 

「従順かどうかを

チェックなさりたいんですね?」

と訊き返してください

 

日本特有の

ブラック部活、ブラックバイト、ブラック企業は

従順さによって支えられています

 

いじめにあっても学校に行く、

空気を読んで、忖度して

「イヤ」といわない、見て見ぬふりをする、

それをココロやカラダが壊れるまで

続けさせる従順さなんて

美徳でもなんでもありません

 

可能性に満ちた人を、小さなうちから

そんなゲームに参加させないでください

 

 

就学時健診や

入園前の面接が行われるこの時期

毎年ふえるのがこの手の

「『できない』と決めつけられたけど

うちの子大丈夫でしょか・」という相談

 

1歳半と3歳児健診については

通年であります

 

ふだん一緒に過ごしている

お母さんの「主観」を大切にしてくださいね

 

 

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ひろの拝