グンちゃん・広報大使のにち♪ | tanのJang Keun-suk日記

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韓国俳優チャン・グンソクssiを綴った日記です。
2022.3.26タイトル変更「tanのJang Keun-suk 日記 」

おはようごじゃいま~す(^^)



今日は、「ゴッホメディアアート展」の記者会見がありますね♪
広報大使になったグンちゃんの会見は記事になったらUPします。


昨日UPされた韓国記事からです♪
8日にでた記事とかぶる内容もありますが
違うインタビューにも答えています。
長い記事ですが、一読の価値はあります!
是非、どうぞ!

元記事は見出しから飛んでね♪

★韓国記事
【チャン・グンソク「揚花大橋」は私の話...貧しく狂ったように生きた "①】

2016.01.10午前9:51




貧しかった子供の頃芸能活動始め韓流スターにそびえ立った。
昨年脱税論議で海外活動主力…"2016年国内で熱心に走る"



(ソウル=連合ニュース)
ユン・ゴウン記者=

"今年は、国内で本当に加熱に活動するでしょう。韓流スターも国内の基盤がなければむなしいです。 俳優として再び国内で認められたいです。"

チャン・グンソクが帰ってくる。

私たちの年齢で今年三十になった彼は上半期中ドラマを通じて視聴者に挨拶する予定だ。
彼のドラマ出演は2013年'美しい男'以後3年ぶりだ。

合わせて国内活動やはり3年ぶりに再開することになる。

当初彼は昨年1月tvN '三試三食漁村便'を通じて自然人チャン・グンソクの魅力を見せる期待に膨らんでいた。 だが、撮影まですべてしておいて放送を目の前に置いた時点でさく烈した'脱税論議'で彼は2015年国内活動をたたまなければならなかった。

話す言葉は多く見えたが口を閉じたまま自身に向かってあふれた指差しと非難を耐え抜いた彼は三十を控えて厳しく通過儀礼を経たようだった。

2016年をむかえて新しく覚悟を固めた、30台に入ったチャン・グンソクに最近会った。

とても貧しかったしそれで金を儲けるために走らなければならなかったイケメン少年は韓流スターになったが、以後彷徨もしたし色々な袋叩きも合った。 そしてこれからまたスタートラインに立った。





次はチャン・グンソクとの一問一答.

--去る1年どのように過ごしたか。

学校に熱心に通った。
漢陽(ハニャン)大大学院演劇映画学と修・博士統合過程に在学中でもう2学期残った。
休まないで今年までして終えようとする。
学校に通うことができて本当に良かった。
短編映画4編を撮ったし同僚学生たちとたくさん似合った。
また、日本など海外でもこまめに活動した。

--昨年1月脱税論議があった。

記事があがった時日本にいた。
信じないだろうが私は全く知らないことだった。

そして正確にしたいが脱税をしたことがなく'論議'だった。
人々の反応にとても慌てたし焦った。
あっという間に私は'脱税犯'になったよ。
3週の間携帯電話も消して私を知っている人がない所だけで過ごした。
日本でも山に入っていた。


(昨年チャン・グンソクは論議がふくらんだ四日後自身のファン カフェに
"理由がどうであれ良くない便りが伝えられて
その論議の中心に私の名前が存在するという点で謝罪差し上げたい。
わずか何日か前に2015年は本当に熱心に走ってみようと文を載せたが
突然このような状況になって
堪え難かったりただ申し訳ないだけだ"という文を載せた。)

今まで株式をすることもなかったし投資をすることもなかった。
正々堂々と金を稼いだし熱心に生きたと自負する。
ところが、予想できない論議が起ってたくさん悩み苦しんだ。






--お金をたくさん稼いだか.

たくさん稼いだ.
しかし私の手元にはない.
すべてお母さんが管理する.
熱心に稼いだしたくさん儲けた.
それでもうお金を追いはしない。
そのような欲はない。
もう少し大きい欲を出そうと思う。

まず私の名をつけた財団を今年作るゆもりだ。
5年前から準備して来た。
もう少し体系的に、もう少し幅広く分かち合いを実践するつもりだ。
演技トレーニングセンターを作って後輩も養成し、
エージェントも立てて新人だけではなく助けが必要な先輩もすべてめんどうを見たい。
生活の貧しい俳優が多い。

--寄付はずっとたくさんして来たが後輩養成やエージェントはザンググンソックにちょっとなじみが薄く見える。

고깝게 (うらめしく)見ることもできるだろうが 
私が一番よくすることができる事だと思う.
私の肩の上の責任感がとても大きい.
今まで受けた愛を返す方法の中には私が分かるノーハウを伝授して,
先後輩仲間をめんどうを見る事もあると思う。

今までは会社運営に関心を持っていなかったが、
もう30台もなったしお金を追わなくても良いから韓流スターとして大きな愛を受けた私が今まで実らせたノウハウで芸能界に何か役に立つ仕事をしたい。
20台時は金を儲けるために動いたとすれば
30台からは違うように生きたい。



--再びお金の話だ。 その間はお金を追ったか。

貧しかった。ザイオンティの '揚花大橋'を聞きながら
'本当に良い歌だ', そして '私の話だ' という気がした.
お父さんがタクシーを運転をしお母さんが食堂で皿洗いの仕事をした.

提川(チェチョン)に住んでいた私たち3人家族は一人息子の教育はソウルでさせるべきだとのお母さんの意志で私が12才の時ソウルに上京してきた。
20万ウォン持って上京したので実家に住み込みをしなければならなかった。
お父さんは楊花(ヤンファ)大橋でなく千戸(チョンホ)大橋を主に(タクシー)運転し、
私はその時下着の広告をとった。
3人家族全員金を儲けるために狂ったように最善を尽くして暮らした。
一緒に夕飯を食べるのが願いであったしそれが一番幸せな時間だった。
三枚肉の入ったキムチチゲを中において囲んですわって夕飯を一緒に食べる日なら本当に幸せだった。
そのように働いて
2年ぶりに母方の実家から家賃 20万ウォンの我家に出て行った。

私たちの家族は再び50万ウォンを眺めて、
また、100万ウォンを眺めて、
また、200万ウォンを眺めて生きた。
少しずつ金を儲けていくことが幸せだった。
だが、お金はいくら儲けても人の欲を満たすことができないということを後ほど悟った。







--ニュージーランドに行くこともした。

8ヶ月過ごして帰ってきた。
中学校3年を終えて行った。
私がずっと英語を学びたいと、留学に行きたいと決め。 

アメリカに行くお金はないから
叔父が食堂をしているニュージーランドに行った.
ところがそこで英語は学ばないで日本の友達と会った.

8ヶ月の間日本語を学んで来た.
あの時から日本に関心を持ち日本に進出する夢を育てた.
即座に韓国に戻ったのは
MBC 'ノンストップ4'にキャスティング提案がきたからだった。
やはりお金のためだった。
当時私たちの状態で 
出演料を無視できなかった。

--本当に日本で大きな愛を受ける韓流スターになった。

日本進出夢を育ててから 9年で(夢の象徴である)
東京ドームでコンサートを開催した.

感慨無量であり目標を果たして手にあまった。
ところがその後思いもよらない喪失感が押し寄せたよ。

そのように達成したくて前だけ見て走ってきた目標をついに達成したら
突然何をするべきか方向を喪失した感じだった。

人生最高の喜びを味わった直後
直ちに人生最高の試練を経験したわけだ。
非常に大変だった。




[日本語字幕] Zion.T(자이언티) - Yanghwa BRDG(양화대교)


(JunJunTeam8さま)





もう一つ♪



★韓国記事
【チャン・グンソク「「ファンジニ」・「イケメンですね」時には帰っていきたい」②】


『これまで作品を疎かにして反省…演技者で、自尊心の回復したい』
『私は骨の髄まで芸能人…一生歌って演技しながら生きていく』


チャン・グンソクはインタビュー前日に
自分を韓流スターにしてくれたドラマ「美男ですね」の出演陣らと
ドラマ放映終了以後初めて酒の席を持ったと伝えた。

『他の俳優同士ではしばしば集まったんだけど
私はその間忙しくて交わることができなかったです。
それで、昨日、ドラマ終了後
初めてすべての俳優が一堂に集まって楽しい時間を持ちました。』


2009年に放送された「美男ですね」で
男女主人公であるチャン・グンソクとパク・シネは一気に日本と中国を強打し、
特にチャン・グンソクは日本で「グンちゃん」という愛称とともに
「ヨン様」ペ・ヨンジュンをつなぐ大型韓流スターになった。

彼は特に歌手俳優として、
日本で相次いでアルバムを発表し、
大型公演を開催してきており、
アジアを回るツアー公演も続けてきた。
国内活動を中断した昨年も
彼は日本を中心に熱心に海外活動を繰り広げた。






--今年の目標は何か。

「国内用」になるのだ。
これまでは「輸出用」として活動したが、今年は国内で名誉を回復したい。
演技者としてのプライドを回復したい。
その間作品に粗雑にしたのが事実であり、反省する。
良い作品を決定した。
すぐ発表するだろう。



--作品を疎かにしたりもしたが、最近の作品が失望も与えた。

人々は、韓流スターをロトと思う。
韓流スターだけキャスティングしたらすべてが終わったと考えて、作品をかえりみない。
そして、韓流スターをキャスティングするため、大金をかけたしている。
お金に揺れない人はいない。
私も揺れたのが事実だ。
あるドラマに私が出演するとは、100億ウォンが投資された。
お金があふれ、その時から人々の態度が変わった。

私も作品を十分調べず、
望んだ方向と違って行ってもブレーキをかけなかった。
優れた脚本が来てもある瞬間お金の影響を受けて作品が変質されていたよ。
それでしばらく作品するのが怖かった。
私が出演すると、急にサイズが大きくなってバブルがやたらに生じた。
しかし、今はそうしないことだ。
俳優としていい作品、良い演技を見せてあげることだ。



--いつの姿に戻りたいか。

「黄眞伊」(2006)あるいは「美男ですね」(2009)頃を思い出させたい。
その時の姿、その時の気持ちでまた演技を見せていきたい。
私が俳優であることを改めて証明して見せたい。



--自分の演技に点数を付けるなら。

20代まではその当時、できる最善を尽くして演技したようだ。
およそ80点を与えたい。
30代からは本当に自分の心をこめてきちんと演技をしたい。
再びスタートラインに立ったと見なければならない。
もう一度始めるんだ。


(彼は「ノンストップ4」を経て、
ドラマ「プラハの恋人」「エイリアン先生」
「黄眞伊」「快刀ホン・ギルドン」
「美男ですね」「ベートーベンウィルス」まで
ずっと上昇曲線を描きながら俳優として存在感を誇示した。

しかし、その後、披露した「メリは外泊中」
「ラブレイン」「きれいな男」では下向曲線を進んでいる。)






--以前よりも荒れた感じだ。

昨日「美男ですね」チームとの飲み会で
(朴)シネが『お兄さんたくさん荒れた』と言っていた。
事実は荒れてはない。

ただ、あんなに見せようという面がある。
シネに『荒くならなければこの業界で生き残れない』と話した。
これまで多くの仕事を経験し、
私を利用しようとする人も多く会った。
素直にいてされるのはいいだろう。
それで強く示す必要を感じた。

ところで今日の荒く見えるのは質問攻勢を受けたためだろう。
記者さんが荒く見られる。(笑)


私は平和で落ち着いたのが好きだ。
20代の時は酒席が好きでクラブに行くのを楽しんだ。
しかし、今はお寺に行くのが一番いい。
仏教信者はないけどお寺で静かな時間を送るのが大好きだ。

寺が位置した森の匂いも良い。
奉恩寺と映画史を主に訪れる。



--夢は何か。

アジアのプリンスの座を維持すること??(笑)
男に生まれたので世界へ伸びていかなければならないですね。
さらに広い舞台に進出したい。

そして、先に述べたように、アジアのプリンスジュニアを作ることだ。
それが私が一番よくできることだ。

もう一つの話しは、文化を通じて、アジアの平和に貢献したい。
上半期にもアジアツアーを計画している。

--荒くなったりもしたが、もっと軽くなった感じもする。
チャン・グンソクは「芸能人」なのか。


私は本来、軽くて愉快だ。
私は骨の髄まで「芸能人」だ。
死ぬ時も片手には台本を持ち、
もう一方の手ではマイクを持ったまま歌を歌って死にたい。
歌って公演して演技するのが大好きだ。
やってみたいことも多い。
映画もたくさん撮りたいだ。
シナリオも25個ほど書いておいた。
私が演出するか誰を出すのかわかりませんが、
いずれにせよしたいことが多い。






--これまでよく生きてきたと思うか。

目標が100mを行くのなら、25mまで来たようだ。
正義的でかろうじてよくきたと思う。
昨年は学校に通いながら感動した経験をした。

短編映画撮影するのに現場のスタッフが来て私に挨拶を言ってたよ。
『兄が出した奨学金のお陰で学校を通っている』と、
私は人間として道理を尽くして生きて行こうと思った。

-30代に入った。成熟したのか。

成熟まではなく私を省みるようになったようだ。
過ぎた時間に対する自己省察を行うことができ、
前に行く道ではもっと広く見ていきたいと思う。

外に出てもっとたくさん会って壊れてももっと広く見ようとする。
また、これまでは人に勝とうとする競争心が強かったが、
今は一緒に行きたいと思うようになった。






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彼はいつからお寺に行くようになったんだろう?
御坊さんと静かに話す事で内省をしたんだろうか?
ただ、じっと一人で考えたかったのだろうか?
彼が人一倍苦労した事は内省に近いかもしれない。

実は私も仏教に興味を持っている。
ヨーガの影響も受けている。

瞑想という方法がある。
内省と同じと言っていい。

ただ、じっと心の内に集中する。
何も考えずただ心に感じたままを
雲のようにながれていくのを感じるだけだ。


じっと時が流れるままに。。。


「競争心よりも、一緒に行きたい。」

視野が広がり、見えない物も見えるようになったのだろうか?
彼のこんな考えが元にあるからだろうか?
また一段上の階段に上ろうとしている。
これからもまた彼なりに頑張るだろう。


うなぎは彼が望む方向を見守るしかない。
信じることしか出来ないから。。。


国内用になった彼は
国内での声が高くなれば
自然とまた海外にやってくる日がある。
彼の視野は広い。

また野心よりも
自らの活動がどんな意味をもつのか
考えることが出来る男だ。

その日を待っていよう!




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★Collecte De Zikzin ‏@collecte_zikzin

1階 Collecte De Zikzinは、
2016年1月11日で3周年を迎えます。
これもひとえに皆様のご愛顧の賜物と、
心より感謝申し上げます。










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今日のイケメンさん♪

セレナーデさんのリクエストです(^_-)☆

今日は「イナ」編♪

ゴッホ展、広報大使に因んで。(*^_^*)












































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美大生のイナに因んで。。。(見出しから飛んでね)


韓流スターチャン・グンソクが広報する展示!
「ファン・ゴッホインサインド」、私も見に行きます!





オランダ後期印象主義の画家フィンセント・ファン・ゴッホの作品を素材にした大型メディアアート展が、旧ソウル駅舎である「文化駅ソウル284」で開かれる。



この展示会は韓国で初めて「ファン・ゴッホ10年の記録展」で、超大型メディアアート展の興行に信号弾を放ったファン・ゴッホシリーズ3回目のプロジェクト。





展示の最も大きな妙味は破格的な展示空間だ。平面的な展示空間から脱皮して、文化駅ソウル284の空間を全面的に活用した。

以下、省略。



★ファン・ゴッホインサイド

期間:2016年1月8日(金)~2016年4月17日(木)(毎週月曜休み)
時間:10:00~19:00(午後6時まで入場可)
場所:ソウル市中区統一路、文化駅ソウル284









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『今日の言霊』



思いやりは分け与える喜びです。
それはお互いに対する愛から
小さなことをすることなのです。

ただ微笑むこと、
水の入ったバケツを運ぶこと、
ちょっとした優しさを示すこと。

そういった小さなことです。
思いやりとは
人々の苦しみを
分かち合い理解しようとすることです。 





(マザー・テレサ)








長い記事にお付き合いありがとうございましたm(_ _)m




今日も、

ZIKZIN~!グー

お休みですが、お仕事のかたもグンチャージして頑張ってね(^_-)☆


(画像、動画、お借りしました。ありがとうございますm(_ _)m)




★★★おまけ★★★




この子、ホントに物持ちいい子だわ~!