以下は一月に書き起こした宣言文。
長いし、読みにくいです。
覚書だと思っといてください。






子どもは1歳になるころに歩きはじめる。
見ている大人は偉いね、すごいねと拍手喝采。
字を読み、書くときも同じ。
難しい字が書けるんだ、名前が書けるようになったんだと言われたら
子どもは今まで出来なかったことが出来る喜びで
はじけるような笑顔を見せる。





左利きの私も褒めて欲しくて頑張って書いていた。


でも記憶に残る幼少時の身近な大人たちの反応は、
がっかりしたり、ため息ついたり。

小6の頃は左手を使っているというだけで
クラスメイトたちから頭を叩かれていた。
今思い出してもこれは屈辱的やな。


そんな私が5年前にFacebook繋がりで
筆文字のお稽古を始めたのは
先生の優しい笑顔とかわいい筆文字に惹かれたから。



先生から
「まあるくまあるく、心を込めて書けば良いんですよ~。
上手に書こうとしなくてもいいんですよ~。」と
言われて、挑戦してみたものの、
やっぱり評価されているようで怖い。
もう頭を叩かれることも柱に縛り付けられることもないのにね。


上手く書けるようになりたいと言う気持ちはなくならないし、
サラサラと書けないし、左手で筆を持てば角が出来るし、
楽しいんだけど悩みが尽きない5年間だった。

一緒にお稽古をしていた友人はその人柄の良さで師範となり、
自分の不出来さと比べて落ち込んだ時もあった。




一方で、子どもと遊びに行った水族館のイルカショーを見ながら、
「素敵なショーをありがとう」と書いてイルカの方に向けると、
ショーに出ていたお姉さんの表情がぱっと明るくなって
イルカと近くに来てくれて、「こちらこそ元気が出ました!
ありがとうございます。」と喜んでもらえたこともあった。



大好きな作家さんの本の一節を書いて飾っておくと、思春期で
喧嘩ばかりだった娘に、「これいい言葉だね、上手いね」と
言われたり、旦那さんは単身赴任先に今も私の書いたポストカードを
飾ってくれている。



私の拙い文字や言葉でも、誰かのチカラになった時、
私は私の筆文字をちょっぴり好きになれそうだった。


その言葉と出会えて、その言葉を残すチカラがあったことを素直に喜べた。
教室では先生に認められたい、上手く書きたいという気持ちを
無くすことが出来なかった私。

お手本なしなら上手い下手もなく、枠を外せるかもしれない。
みんなで認め合える場が作れるかもしれない。
褒められて受け取れない人がいたら、
その人の選んだ言葉を褒めてもいいし
その言葉と出会った風景を褒めてもいいし、
話している言葉の元気さを褒めてもいい。
なんなら無理に褒めなくてもいい。


優しい気持ちでいればそれは伝わると信じてるから。


書き順も、ハネや払いも使う色も、使う素材も、
決め事のない自由さは、怖い。
怖いけど、どんな文字でも、どんなあなたでもいい。
そういう楽しさがきっとある。


私自身、自分の気持ちを表現することが苦手。
だけど、自分の直感をもっと感じたい、信じたい。
インスピレーションを感じて自分を信じ、成長する場を作りたい。


先生とか生徒ではなく、お互いにサポートしたり視点を変えたり。
不安を共有しながらも一緒に消していけるような場を作りたい、
今まではあまり人と深くかかわろうとして
来なかったけど、そんな風に思うこの頃。

なーんのきまりもない教室。
自分ルールで書ける教室。
自分を応援出来る教室。
応援できない自分を抱えていてもOKな教室。
伝えたい思いを表現出来る教室。
そんな愛で溢れる教室作りに、今年は挑戦したいと思う。