mixi麻雀回想録 その3 | 池袋と新橋の事

池袋と新橋の事

池袋と新橋

まあ、体感器をメインに新装開店を狙う毎日。
主戦場は、赤羽。当時、四部屋あるアパートの三人でチームを組むことになり、一人は今も大親友であり、このあと要望があれば書きますが
水商売ホスト編にて、かきますね。当時はスロットもモーニング全盛期。
朝一番よくモーニングを取りに行きました。
上野にもよくいったなあ。
外国のかたから、安くパチンコカードやテレホンカードをゆずってもらったかも?(まあ、この辺はオフレコでおねがいします。)
新宿にあるビックスペースというみせと、ポルシェで、よくうちました。
余談ですが、伝言ダイヤルにはまりまくり。
いくらつかったかわかりません。
ごめんなさい。ある日、モーニングを取りにいき、階段から足を踏み外し、成人式に松葉杖でいきました。しかも、ロン毛。うーん。
はずかしくておみせできません。
類は類を呼ぶ
パチンコでたべていけるようになり、いろんなひとと知り合いになる。同じく体感器をつかった軍団に巡り会う軍団に入れのお誘いがあったが断る。入らなくて正解だ。
ゴト師軍団もみつけた。店内であばれてるひともみたなぁ
まあ、十九の小僧が、毎月片手から両手、多いときには右足の指くらいの稼ぎをたたくのだから、まあ、馬鹿らしくて普通に働けない。
約三年パチンコで食べる日がつづきました。そんな生活もながくはつづかず、
僕等の人生をかえるきっかけになる
恩師 乱 一世さん
トゥナイト2
を、偶然にも僕等は見てしまうのであった。
パチンコ編    完
まったく、麻雀とは、関係ありません。
初恋。
とてつもなくせつない思い出。
今でも覚えている。あれは小学生になり、同じクラスの女の子に恋をした。とにかくカワイイ。子供の頃は、好き=結婚
だったなぁ
だから、付き合うとか、そんなんじゃなくただ好きというだけ。
お嫁さんにしたい。とか、子供が大きくなったら、パパのお嫁さんになる。って、いうようなレベルかな?まあ、とにかくその娘は、
かわいくて、優しくて、明るくて、脚が速くて、運動神経抜群で、頭がよくて、みんなから人気がある、そんな女の子でした。
結局片思いなんだけど、多分中学生になるくらいまで片思いしたなぁ。

まあ、子供の恋心だから、なにせ不器用。
好きだから、しゃべりたいし気に入られたい。
気を引きたい。
今思えば馬鹿だけど、
ちょっかいだしたり、意地悪してみたり、しまいには教科書隠したり。

その娘のお母さんすごい剣幕で乗り込んできたなぁ。
両方のおかあさんごめんなさい。

まあ、多分彼女にはきらわれてたとおもう。

同じくクラスには運動神経抜群の男の子がいて、多分彼女は彼が好きなのを薄々かんじてました。

ヤキモチをやくんだけどどうしようもないし、勝ち目はないしね。勝手にそう思い、モヤモヤしていた。
彼は校内マラソン大会六年連続優勝や、同じ町の剣道少年団でも、毎回優勝。
後に、彼がいたから、剣道がつよくなれた話はもう少し後で。

三年生くらいかな?
学級委員を決めるとき、彼女が委員長、僕が副委員長。
馬鹿な俺は、勝手に運命を感じてたっけな。
学級会が、楽しくてしかたなかった。
小さい頃の好きって気持ちのなかに、僕自身が、脚が速くもなく、勉強も苦手だから、コンプレックスを埋めるように、この子と結婚したら、いいなぁなんて考えてました
四年になり、剣道ももちろん毎回一回戦負け。センスのかけらもない。

しかし、彼女の弟が入団してきた。


春の大会で、いつものように、お母さんが作ってくれるお弁当を、負けたらどこでたべるか友達とはなしていた。

薄暗い体育館の入口がまばゆい光りに包まれた。

『なんだ?』

そう、彼女は弟の応援に来ていた。

毎回一回戦で負ける俺には、家族の応援などない。
みな、勝ち負けより心身鍛練の為に剣道をやっているのだからと、勝ち負けに家族が、あれこれいうことなどなかった。
しかし、

単細胞な、純粋な少年は、
『彼女が見てる。負けられない。』
初めて人に頑張っている所を見てほしいと思った。
絶対勝ちたい。
負けられない戦いが、そこにある。

そのきもちを竹刀に込め勝ち進む。
やみくもながら、勝ち続けるが、三回戦、準々決勝、もう疲れすぎて何がなんだかわからない。
準決勝。
もう、竹刀を振る力など、両手には残されていなかった。初めて人に勝ち、嘘に聞こえるかもしれないが、三位になれた。
試合後周りを見渡すが彼女の姿はなかった。
剣道もおもしろい。
優勝はもちろん、先程の彼でした。
頑張れば、彼にかてるのかも?と、ここから少年は努力を覚えるのだった。
彼に勝てる日がくれば彼女がぐっと近付く気がして。
しかし、彼はやめていき、彼に勝つことはなかった。時はたち、
中学生の卒業間近に、彼女と、昔話のように当時の事を、笑って話し合ったことがある。



『昔は、すごいいじめてくれたよね?もしかして気が合ったからじゃないの?』
の問いに、ぶっちゃけちゃえとばかりに、終わった恋物語だからとばかりに、胸の内を伝えた。
俺「うん。そうなんだ。好きだったんだけど、どうしたらいいかわからずに意地悪していた。ごめん。」
『そうだよね。なんか薄々は感じてたよ。でもね、昔はいやだったけど、気にしてないよ。』
それ以上の言葉はいらなかった。卒業式が終わり彼女は、第二ボタンをもらいにきた。
初恋編    完



水商売で何年か働いたが(多分五年半くらい)やめてプラプラしていた。毎日パチンコや、麻雀。なにをしていいのか?
俺は何をすべきなのか?
全く答えはみつからなかった。
三ヶ月ほどプラプラしていたとおもう。働くにも、自分に合う仕事すら、
わからなかった
自問自答の日々。
『俺は、これでいいのか?』
やりたいように生きて、結果何も残ってはいない。

自分に夢中になれるものなどなかった。
ただ、毎日自責の念に押し潰されそうになる。

『仕事をしなければ。』
考えた末に出した結果は、パチンコ屋の店員か、
麻雀屋のメンバーだった。
怠け癖があるせいで、
パチンコ屋の店員は、立ちっぱなしで大変そうだから、やめよう。と、思い麻雀屋のメンバーになることに決める。


しかし、二ヶ月くらいの腰掛けのつもりでいた。
すぐにやめよう。
嫌な事があったり、
辛い事があればすぐにやめよう。
そんなきもちだった。近代麻雀を買いに行き、いくつかの候補を選ぶ。
『どうせなら1番大きい所にいこう。』
と、某全国チェーンの池袋店に(いまはもうない。Zooになってるとおもう。)
面接にいくのだった。しかし、さすがはチェーン店。
転勤はあるし、こちらのかるいきもちなど見透かされてるようだった。
即採用だったが、断りの電話を入れた。
当時赤羽にすんでいたせいもあり、
川口に、二番目に大きいチェーン店があり、面接にいくのだった。
まずは面接。

履歴書も書いた。
しかし、自分で店をやっているのに、こんなことをいうのも変だが、そのスジのかたが、経営していたらどうしよう。と、不安になり、履歴書に嘘を書く事も考えたが、人生のリスタートを嘘からはじめたくはなく、正直にすべてを書きこんだ。
京浜東北に乗り込み川口駅に着く。
はじめておりたその駅からはそごうが見え、
隣のビルに黄色い看板があり、その店にむかった。
『いらっしゃいませー』元気な声がこだまする。

「あの、面接に来ました、鳥越です。」
『こちらへどうぞ。』
元気のよい若い店員が迎えてくれた。
後に彼はオープン当初のTMCメンバーとなり、働いてくれた。いまでも感謝している。
関西訛りだと思う(後に広島弁と、判明。)
担当者が、きた
あれこれ説明を聞く。
なぜか、主任も加わりおおがかりになる。
すごい熱のいれようで、ぜひ働いてほしいと、説得される。
こちらのわがままも受け入れてくれ、転勤もなし
話はまとまり、
『じゃあ明日から来れるかな?』
「はい、よろしくお願いします。」
ついに、メンバーと、なるのであった。当時、母にそのことをつたえると、三ヶ月働いたら帰ってこいといわれ、年貢の納め時(もう、死語ですよね(-.-;))と、腹をくくり、目標金額を三ヶ月で百二十万円と、こころにきめて、仕事に臨むのであった
※メンバーの月給が、三十万×三ヶ月。毎月麻雀で、少なくても十万は勝ちたいので、百二十万とした、大馬鹿者の話である。ちなみにかれは、一日一万円~二万円は勝つつもりでいたのだから、実に愉快な話である。
まずは挨拶や声だしから。
蝶ネクタイをし、ネズミ色とブルーの合いの子みたいなシャツを来てフロアーにでる。
『新しく入店しました。鳥越です。よろしくお願いします。』
三日間は立ち番といって、いわゆるアウトのストック貯めの期間。
その間に、仕事や口上をおぼえる。
買い出しをして、昼飯をつくるのも仕事なら、駅前にティッシュを配りに行くのも仕事。
基本的に初日は立ちっぱなし
足が疲れた俺は、明日おきれなかったら、辞めようと心に決めたが、なぜか、疲れで目が覚めた。
二日目も三日目も同様に仕事をする。
優しい言葉をかけてくれた人たちもいた。
まあ、なかなか良さそうなので、しばらくいてもいいかなとおもうのであった。しかし、事件はおきる。さあ、今日から麻雀デビュー。三日間の憂さをはらすべく、前日から興奮ぎみ
『明日は初日だから、ちょい勝ちくらいに押さえておこう。』
すべからく甘い考えのおとこであった。

店に着くと、メンバーの心得をおさらいする。
俺が言われたいくつかの制約(まぁ、きまりごとですよ)を、ならべると
一、東場の安い仕掛けは禁止。三ハン以下はもちろんだめ。千点あがりなどできない。
一、メンバーの親を蹴るな。メンバーを飛ばす時はトップになること
一、メンバー及びお客の一発を消したら、絶対におりるな
一、オーラス、トップになる以外は、お客、メンバーの着順を変えるな。
一、八千点以下になったら邪魔をせずにおりろ。
一、オーラスは必ずひとつでも順位のあがる麻雀を打つ事。リーチの時点で確定していないリーチはかけられない。
むろん、一発期待や、裏ドラ期待、ハイテイ期待などもだめ
一、主任をラスにするあがり。(麻雀で、負けると一日機嫌がわるいので、みんながご機嫌とりのためにしていた)
まあ、あれもだめ。
これもだめ。
何じゃこりゃ?
そのグループの名誉のためにいうが、その主任が、独裁をおこなっていたためであり、他の店舗では、ここまでひどいものはなかった。
しかし、何せ負けん気だけは人一倍。
屁でもない決まりだ。
俺は俺のやり方を貫いてやる。
ようは勝ちゃいいんだ。
客や主任の機嫌なんてしるか。
笑顔で負け、笑顔で勝った。客の評判もよかった。
真面目で無口な男を演じきることで、麻雀店ではたらくことを乗り切ろうというのが、博打場で生き抜く策と、胸にきめて打つのだった。
一週間で、四万円浮きくらいの成績だった。
だれもなにもいわなかった。
ほれ見ろ、誰も何も言えないじゃないか。
何がメンバーのきまりだかしらないが、まあ、チョロイ仕事だな、

付け上がる俺に、魔の手が、忍び寄るのであった。すると、
まもなく主任によびだされる。
『おい、鳥越。だまってみてたけどなんなんだ、おまえの麻雀は?客を減らす気か?今日からは厳しく言ってくからきをつけろよ』はぁ?なにいってんだ?このやろー。ここからは、いびりに近い仕打ちが繰り返される
俺があがると舌打ち。点棒やチップをなげる。
仕事中はずっと不機嫌。
飯は誰よりも後。
あげくに打ちっぱなしで食えないこともある。

麻雀できにいらなければ店の中で公開説教。

そのくせ、人とラス争いをしてれば、よろこんで千点をあがりにいくようなくそやろー
メンバーしばりを自分は守らない。
同卓のダンラスの先輩メンバーに、オーラス意味無しのゴーニーをアガラスでやられ、二着に落とされたりする始末。
頭にきて、
『なんすか、いまの?まじでむかつくんですよ、そーゆーのは。なんの意味があるんすか?』
と、いえば
「いや、ついロンていっちゃって。気をつけるよ。ワリィ、ワリィ。」
カチン
『ふざけんなよ』
と、つっかかれば、主任がきて、
「おまえ、先輩になんてくちをきくんだあやまれ。嫌なら辞めてもかまわないぞ。」
完全なアウェー戦。
しかも、他の従業員はアウトを抜き捲くり、俺は正直入金。(アウトを抜くとは、給料を前借りしつづけるようなもの)
あげく、俺は入店最初の月に二十日そこそこで、二百五十回を超えた。
自分達はポケットに金をいれ、パチンコや飲み代や競馬代に、フィリピンパブにイレ込む始末。
『俺らは負けてるからワリィな。一番手で、たのむわ』はぁ?負けてると、打たなくてすむ。むしろ負けてない俺は休憩なしの打ちっぱなし。
ふざけんなこいつら。まじやめよう。くだらなすぎる。少し俺も気持ちが腐った。メンバーと同卓するときは、自分も共倒れでもかまわないから、足を引きずりまくってやった。しばらくして給料日がちかくなり
やめる意志を伝えた。しかし、当時の部長(現大宮のお店の部長)に、仕事ぶりを気に入られていたため、俺と先にいた若手の彼はやめさせるなと言われていた主任は、
必死に俺を引き留めた。
『俺はあんたと働きたくない。辞めたいからやめるだけだ。』
すると主任は「まあ、考え直してくれ。なあ、俺といるのが嫌なら遅番にいき、気分転換してくれないか?」
まあ、あんたの顔見ないならと、遅番にいくのだった。
しかし麻雀人生で、ターニングポイントに差し掛かるのだった。