先日、祖母が亡くなりました。

8月5日夜、享年88歳でした。

連絡がきて、
会社に休みの連絡を入れて、
通夜と葬儀で宮崎に
帰ってきました。



連絡がきて、
涙がとまらんくて、
友人に電話をしました。


そしたら、
この歳になって
おばあちゃんでそんな泣く?

って言われましたあせる


その子には悪気はない。


きっと私からしたおばあちゃんと
そのこからしたおばあちゃんの
価値観が違うだけ。



近くにいたから
私はおばあちゃん、
おじいちゃんっこだったし、



おじいちゃんは
私が中学の時に亡くなって、
その時も相当泣いた。

大腸がんで入院して、
まだ中1のあたしには
おじいちゃんの状態は
ショックを受けるからと、
お見舞いに
行かせてもらえてなくて。


でも、病床でおじいちゃんは
私の名前を呼んでたんだって。


だから、
お見舞いに行けることになって。


痩せて白髪で、
知らない人みたいな
おじいちゃんをみて、
私は言葉が出なかった。

皆が話しかけても
反応がなくて…。
そんな姿が、ショックで。

だけど、おばちゃんが
『ゆきちゃんが来てくれたよ』
ってゆった時、
もうほとんど体力が残ってない
おじいちゃんが
首を動かして、目をあけて、
こっちを見たの。

手を握ってあげて。

って言われて、
握ったら、
あったかくて、
私の知ってる温もりを持った
おじいちゃんが、
確かに、
そこにはまだいたの。

声かけてあげて?っていう
親戚に、
私は全力で首を振ってた。

お願い、って言うおばちゃん。


私は、

だって、喋ったら、
涙がでちゃうよー

って言いながら泣いてた。

じいちゃんー!って。

私が、じいちゃーんって
ゆうたび
ぎゅっぎゅって
手を握り返してくる感覚。
私はまだ忘れてないよ。

私がお見舞いに行ってすぐ
おじいちゃんは亡くなった。

ゆきを待ってたんだね、
って皆がゆってて。


でも、身近な人が死ぬってゆう
そんな体験がはじめてだった私は
じいちゃんが死んだって
いまいち意味が分かってなくて

悲しいことなんだ、ってことと
もう会えないんだなぁーって
そんなことは分かってるんだけど
本質が分かってなくて、

通夜とか葬儀も
現実感がないまま
出棺を迎えて…

最後、棺の中に花やら
入れる時に、
おばちゃんから
ゆきちゃんも、って言われて、
包みに入った何かを
おじいちゃんの顔のそばに置いた…。

その時にね、
手がじいちゃんの顔に触れて、




その時、
やっと分かった。




死ぬ、って
そういうことなんだ、って。



あの時、
握り返してくれた
手のぬくもり。

もう感じられないもの。


誰のぬくもりとも違う、
じいちゃんだけのぬくもり。



その瞬間に、
涙が止められなくなって、
うえんうぇん泣いた。



それが私が最初に経験した
人の死、だった。



それから、
身近な人の死に触れることもなくて
おかあさんのお兄さんも
亡くなって、
それはまだ三年前くらいのこと。


小さい子供を残して
日本語の分からない奥さんを残して
逝ってしまった。


その時に、
お兄さんの子供が
まだ小学校にもあがってない
死の意味なんて理解してないと
そう思ってた従兄弟が
出棺の時になって、
あの時の…
じいちゃんが亡くなった時の
ゆっかと同じタイミングで
大泣きしてた。


なんかすごいなって。

つられて泣いた。




そして、ばあちゃんの死。




最後に会った時、
私のこと
思い出してくれてない感じで
話しかけても返事してくれなくて
次は思いだしてもらおうって。


まだまだ話したいことは
たくさんあるよ、って。


また来るね、って。



約束したのに、果たせない。

もう会えない。



連絡きて、
泣きながら友達に連絡して、
でも伝わらなくて、
必死で、
気持ちを分かってくれる人を
探してた。

分かる、って
ゆってくれたら
少しは落ち着ける気がしたの。


夜中だったから、
申し訳なかったけど、
ようやく友達と繋がれて、
悲しいね、辛いね、
ってゆってくれた。

私も、
おばあちゃんいなくなるなんて
考えられないよ、
って友達がゆって、


すぅって少し落ち着いて、
会社に連絡したり、
飛行機のチケットをとったり、


よく考えたら、
お母さんはもう
親が二人ともいなくなって
兄弟もお兄さんが亡くなって、
弟がいるけど
東京にいて。

子供の私と、
弟の洋介も東京。

一番下の弟も、
来年は上京してくる。


お父さんは旦那さんだけど、
血の繋がりはないわけで、
そういう意味の身内が
身近にいなくなる、んだよね。


きっとあたしよりも
何倍も何倍も
お母さんのが辛いよね。


だから。

こっちで泣いたから、


あっちではお母さんに
余計な負担をかけないように
気丈でいよう、って
そう決めてた。



お通夜、葬儀、
気丈に。


見送りにきてくださった方々に
挨拶して回ったり。






ばぁちゃんが元気で若かった頃の
写真、
スライドショーが上映されてて


ばぁちゃんは
私が小さい時から
半身不随になっちゃってたから
それ以前の元気な時は記憶にない。


そんな時の
ばぁちゃんのスライドショー。



何枚も、何枚も、



そこには、
ばあちゃんの笑顔があって。



そして、



どの写真にも、




隣には、
笑顔の私がいた。



おんぶされてたり、
手をつないでたり。



ばあちゃん大好きなんやんなーって
一目で分かるくらいの

そんな写真たちを見たとき、


涙が、出そうになった。




お母さんが笑いながら、


いい顔してる写真には
全部ゆきが写ってた


って教えてくれるから、



言葉にできんけど
すごい
感情がぐちゃぐちゃーってなって
わーんって声出して
泣きたくなった。




そしていよいよ出棺。



最後のお別れ。


お花をいれてあげて、
ようやくじっくりと
ばぁちゃんの顔を見た。


綺麗な顔してた。


なんでかわかんないけど
気づいたら
ばあちゃんのほっぺた触ってて
やっぱりそこには
ぬくもりがなくて…




もうダメだったなぁ。




我慢しようとどんだけしても
ボロボロ涙がこぼれてきて、
皆、私が泣くとこ
珍しいものみるかのように
見てたな(笑)
普段泣かないからね、私。



火葬場に向かうバスの中でも
まだ止まらなくて…
人って
こんなにも泣けるんやな、って。



私は普段、
哀の感情の起伏が乏しいから、
なんか、
安心したりもしたなぁ笑









帰省の理由は、
望まないものだったけど、
家族とか親戚とかとの
思わぬ時間は、
やっぱり楽しかった。


すごい楽しかった。



お父さんは、
どうしたの?ってくらい
太ってるし(笑)
ランボーみたいになってた(笑)
性格も丸くなってるし。


お母さんは、
お父さんとの若い頃の話をして
のろけてきたり。
かっこいいってより
かわいいのよね、あん人は。


なんて(笑)





そんな親を見たりして、



結婚なんて、まだいいかなって
いつかできれば、
って、思ってたけど、
その"いつか"が
昔よりも、
近い未来を望むように
なったかもしれないな。




できることなら、
ばあちゃんに
見て欲しかったなぁ。
私の花嫁姿、なんてものを。
って思ったからさ。




そして


お母さん、お父さんには
絶対見せたい。


絶対絶対絶対
お父さんと
バージンロード歩きたい!



そんなことを考えてたらさ、





宮崎帰ってもいいかな、って、




なんか思ってきた。





私が生きていくことに
欠かせなくなってた物とか人とか

友達だったり、
その時その時の好きな人やったり、
お笑いライブやったり、
応援してる芸人さんやったり、


そんな人や物と離れるのが嫌で
私はここから出たくなかったの。


だけど、
私が必要としてるものたちが
私を必要としてるか?
といえば。
分からなくて。
言い方をかえれば代わりがいる。





自分が必要としてるものたちが
在る場所か。

私を一番必要としてくれるものたちが
在る場所か。



でも、分かってるけどね。



離れてるから、
こう思えるんだろうなって。



近くにいたらきっと、
今みたいな気持ちで
お父さん、お母さんに
接せない気がするもん(笑)




親の前では子は子なのにひひ
いつまでも、ねべーっだ!



そして、
こう考えてもやっぱり、
結局はさ、
帰るっていう行動には
踏み切れないんだ、私は。



お母さんにとって
お父さんにとって
私の代わりはいないのは
分かってるのに、
やっぱりね。




冷たいのかな。



まぁまだ、
親も若いし、
死、とかを考える歳でも
ないってのもあるんだけど。




なんか、とっても
考えさせられたな。





長々と書いたけど、




さちこばあちゃん。
安らかに眠ってください。
そっちで、
かつよしじいちゃんと
あんちゃんと
仲良くしてね!

私たちのこと見守っててね。



だぁぁぁぁいすき。