「与えられることが当たり前」なんて時代はとっくに終わっている | 『自炊力は人間力』おだしプロジェクト土岐山協子の〜「自炊はじめよう」ブログ

『自炊力は人間力』おだしプロジェクト土岐山協子の〜「自炊はじめよう」ブログ

おだしプロジェクト代表の土岐山協子と申します。
日々の徒然を書いております。『ゼロからはじめる自炊塾』という、大学生以下無料の料理教室をやっております。料理をする人が少しでも増えたら嬉しいなあ、と思っています。

皆様こんにちは

土岐山です( ´ ▽ ` )ノ

昨日ですね( ´ ▽ ` )
飛行機に( ´ ▽ ` )

…乗り遅れました( ̄▽ ̄)

{3925F7F2-7E72-42CC-B44B-A0312C59F787:01}

↑乗るはずだった飛行機

{C97B0DA9-C506-48F0-9D73-3096A31E6432:01}

気を取り直して、ラウンジでレッドアイを( ´ ▽ ` )

JALさんの神対応で
次の便に乗ることができました

土岐山、昨日
神楽坂でお菓子を買った時に
ちょっと時間を見誤り
地下鉄で移動する時間が無いかもしれない、と思い
神楽坂から浜松町までタクシーに乗ったのですが

タクシーさん、わりと時間がかかり

浜松町を出発したのが、11時24分
羽田空港第一ターミナル到着が11時41分

鹿児島空港行きの飛行機が
11時55分…( ´ ▽ ` )

検査場は15分前が通過締め切りなので
本来は完全にアウトなのですが

土岐山が通る検査場のすぐ目の前が鹿児島空港行きの搭乗口だったはず、と

もしかしたらなんとかならないだろうかという勝手な思いで
ダメ元で電話をしてみました

すると、
「絶対に乗れるという保証はいたしかねますが、係員に、41分にターミナル到着だということを伝えておきますので、係のものにお申し付けください」
との、神様のようなお答えが(T_T)

そしてターミナルに到着し、スーパーダッシュで駆け上がり、JALグローバルクラブの保安検査場に行きまして、「先程お電話いたしました土岐山です」

と申しましたら係員の方が

?という顔をなさって、15分を過ぎているから、間に合いません、とおっしゃったので

先程お電話をした旨を話しましたら

?というお顔で、少々お待ちください、と言ってJALのカウンターへ行きました

待つこと五分

その時でもう11時50分ですから
ほぼ諦めましたが

ようやく戻って来られたら
JALのカウンターの方が

「土岐山様、お待ちしていたのですが、いらっしゃらなかったものですから」

と言って、新しい便の手続きを終えたJALカードを手渡してくださいました

そこで、検査場の係員の方と、JALのカウンターの方の制服を見比べて

あっ、そうか!
検査場の係員の方はJALとは無関係だから話が通じていなかったんだ!

と、理解できました

要するに何が言いたいのかと言うと

遅れた上に無理難題を言った土岐山が全て悪い!
そして自分勝手な大馬鹿者!

ということを声を大にして言いたいわけです( ̄▽ ̄)

そもそも、タクシーさんが浜松町までの道を間違えて大回りをしたことにも
多分土岐山はイライラしたんですね

タクシーさんに乗せていただけるだけでもありがたいのに

タクシーさんがあることが当たり前
神楽坂から浜松町までは25分で着くのが当たり前
タクシーの運転手なら道を間違えないのが当たり前

そうした「当たり前」と思う感謝に欠けた気持ちが
結果、自分の首を締めたのです

飛行機の件もそう
電話をかけた時点で
「なんとかしてよ」
という、傲慢な気持ちが

「41分に着いて、45分には検査場を通過したら、11番ゲートは目の前だから、55分発の飛行機の10分前には間に合うぞ」

という、自分中心の汚い考えを起こさせたのです

飛行機に乗るのは土岐山一人ではありません

JALのカウンターの方々は、毎日何千人もの方の空の移動をお手伝いしているわけです

土岐山がイレギュラーで時間外に飛び込んで処理をすることにより
他の大切なお客様のケアが薄くなる可能性がある

43歳にもなって、そんなことに心を配ることが出来ない土岐山は

女性としては相当な出来損ないです

害獣です

本来ならば、チケットも買い直さなければならないのに

「ご連絡をいただいておりましたから」

と、無条件でチケットを次の便にスライドしてくださいました

このJALさんの心ある対応が当たり前だと思ってはならないと

心の底から反省致しましたm(__)m


鹿児島空港では
大切な方と待ち合わせだったのです

乗り遅れて次の便になったら、その方を30分お待たせすることになるという焦りが
心のゆとりの無さが
土岐山から感謝の気持ちを奪い、
醜くて恥ずかしい人格を晒すことに繋がったのです

醜いものを好きな人はおりません

ただでさえ醜い土岐山が
より醜くなったら
利用価値ゼロの、ただの脂肪の塊です( ̄▽ ̄)

燃料にもなりゃしない( ̄▽ ̄)

その脂肪の塊を
待ち合わせの方は
「なんにも気にすることないよ」と
笑って許して下さった上に
豚しゃぶをご馳走してくださいました(T_T)

もうどっちが豚かわかりません(T_T)

土岐山豚は、最後に図々しくシロクマも食べました(T_T)

画像、無し(T_T)



土岐山は思います

人に何かをしていただけることは
決して当たり前のことではない、と

今回ブログを読まれた方には
ぜひ、土岐山の今回の行為を
反面教師として使っていただきたいのです

タクシーの運転手さんも
JALのカウンターの方も
保安検査場の方も

土岐山のゆとりのない行動や言動に

「こんなやつとは友達になりたくないな」

と思ったに違いありません

JALのカウンターの方、保安検査場の方には、事実関係を理解した瞬間、謝罪を致しましたが
それ以前の問題で

遅れたあんたが悪いでしょ

って話なわけです

目の前にいる人に自分の感情、自分の都合を押し付けることは
「自分を嫌ってください」
ということと同じです

家族や、会社というコミュニティでそういうことをした場合

すぐにあからさまに嫌われることはなくても

何回か繰り返したら
旦那さんは家にあまりいたくなくなり、
お母さんは外への息抜きを求め始め、
子どもは家に寄り付かなくなり、
上司は重要な仕事は他の人に回し、
部下は上司を信頼しなくなる

目の前にいる人にイライラを人にぶつけることは
自分自身の首を絞めることになる

そもそも、イライラするという気持ちが何故発生したのかという原因に向き合い

自分でそこを改善していかなくては
成長することも出来ません

人間は神様ではないから
頭でわかっていても、ゆとりがないとついつい心に波が立つことがある

やってしまったら、反省し、自分と向き合い、原因を分析し、人のせいにすることなく、自分の問題として処理した上で

次の時には、同じシチュエーションでも、より良い行動ができるようにしなくてはならない

そもそも、今のこの平和な世の中が

「当たり前」だと思ってもならないし

「いつまでも続く」なんて夢を見ていたらいけない

もう、出身校や地位や肩書きが
通用しない時代が来ていることは
気がついていなくてはいけません

「お金があれば人に嫌われても生きていける」

なんて時代は
とっくに過ぎている

社会がなんとかしてくれる
会社がなんとかしてくれる
家族がなんとかしてくれる

与えられることが「当たり前」と思って
そんな幻想を抱いていたら

誰にも相手にされないし、誰にも助けてはもらえなくなる

二割の人が頑張れば、頑張らないで文句ばかり言っている残りの八割もなんとか生活できていたのは
バブリーな時代の話

これからの時代は
与えてもらうことが「当たり前」なんて思っちゃダメだ

自分が行動をして
「与える」側にまわることです

その行動も

マスメディアのいうことを鵜呑みにして
「社会進出」が「行動」だなんて、国の都合に踊らされないことです

真の行動とは
自分の与えられた役割をしっかりと自覚し

自分のやるべきことを間違わないで行うことだ

もっと平たく言えば、一番自分を頼りにしている人、一番自分の身近にいる人
つまりは家族や友人との生活の時間を
大切にすることだ

土岐山の尊敬するニンミツねえさま

{A5534E04-E0EA-449B-9929-856F34C5D01E:01}

ニンミツねえさまが
ご自身のブログで

もちろん、母親も息抜きは必要です。
だけど、息抜きと自己満足とは中身が似て非なるもの!


と、ご自身の子育てを振り返られております


さらには

子どものために母親はやりたいことを我慢しなければならないのか?

みたいなこと言う人もいると思うけど、

やりたいことって本当にそれなの?

と、思ってしまう。  


そもそも、

「やりたい事」って、

「やるべき事」をやらないと出来ません!

仰っておられます

土岐山もそう思います

今は誰もが色々なことにチャレンジできる
色々な選択肢がある

それを「当たり前」のことだと思った瞬間

感謝の気持ちがなくなります

しかも、ニンミツねえさまのおっしゃる通り、

やりたいことは、やるべきことをしてからなのです

それは子育てに限ったことではない

今与えられている環境に心から感謝をして最大限のことをしているか?

「夫」「妻」「父親」「母親」「会社員」「社長」
こういった自分の今の立ち位置で
最大限のことをしているか


と、今一度自分の足元を見てみることです

見知らぬ人や、ちょっとだけ知っている人に自分を良く思われることと

かけがえのない家族や友人との関わりを大切にすること

先に「やるべきこと」はどちらかを

自ら考えて自ら行動する時代になっています

自分の足元を見て
自分の人生、自分の大切な人の人生に集中していたら

周りの見知らぬ人なんて気にならない

見知らぬ人がテレビで言っていることを鵜呑みにするのは
もう時代遅れです

自分自身を良く見ないと
時代は読めません

情報を与えるだけのマスメディアをまだ信じるのか

身近で幸せそうに生活している人を見習って自分も幸せになるのか

現実的な選択をする時代です

感謝の気持ちを忘れると
不幸になるという実例を
沢山見てきた土岐山の経験に基づく
本日のブログでした

長い文章を最後までお読み下さいましてありがとうございます


土岐山協子拝