交通死亡事故 風見しんごさん特別講話 | とみーの子育てブログ―悩み解決への軌跡―0歳~1歳編

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子育てしてると、次から次へと悩みがたくさん!子どもはとってもかわいいのに、イライラしてストレスフル。このブログは、今まで、悩んだり調べたり、問題を乗り越えてきた体験談です。悩める子育て中ママさんのお役にたてるとうれしいです。

先日、「1歳の女の子が、父の車にひかれて死亡」というニュースがあった。

そのニュースに関する日記を流し読みしているときに、みつけた手記。

平成23年の秋の交通安全週間の講習会(警察署)で配られたもののようです。

 

ちょっと長いけど。。。。


車運転する人、子を持つ親、すべての人に。


 

自分が加害者にならないように。
我が子が被害者にならないように。

 

 

 

 

 



「風見しんごさん特別講話」ここから--->

 


平成23年9月

 


飲酒運転根絶緊急会議における風見しんごさん特別講話「突然の交通事故の悲劇」

 


 4年前、突然起こった出来事、交通事故について少しばかりお話をさせていただきます。

 


 最近、今でももちろんそうですが、毎日、交通事故という言葉を聞かないことがないくらいの日々が続いていると思います。ニュースや報道でも、必ず、連日、交通事故が私の耳に入ってきます。しかし、それだけ、連日続いていれば続いているほど、どこか交通事故という言葉に何か慣れてしまっているような、そんな感覚がしてなりません。

 


 それはなぜかというと、自分の家族にそういうことが起こる以前まで、自分もそうであったからです。確かにテレビ番組や報道で交通事故のニュースを見れば、悲惨だなぁとか、これはいけないなぁとは思いますが、実際に一件一件の死亡事故でどれだけのことがその現場で起こっているのかということまでは、なかなか目を向けていなかった。そんな自分に起こったことを、少し時間を頂きまして、3年前家族に起こった交通事故のことを、その時の様子、現場での状況、その時の気持ちを聞いていただきたいと思います。

 


 まずは、当然のことですが、交通事故の恐ろしさは突然やってくるということです。交通事故を予想できる人はいません。ましてや被害者は、私は今日交通事故に遭うなと思っている人は一人もいないと思います。そしてもうひとつ、交通事故は突然やってくる上に、人を選んでくれません。犯罪とも違いますから、その人がどんなにまじめに生きてきた人であろうが、どんなに幼い命であろうが、選んでくれません。突然降りかかってきます。僕にも子供が二人いました。一人は7歳になりましたが、長女の方は、3年前のあの日以来10歳のまま、ずっと止まったままです。

 


 その日の朝、長女はいつもと変わらない朝を向かえ、いつものように眠い目をこすりながら起きてきて、いつものようにお母さんの作った大好きなツナサンドをほお張って、そして、おじいちゃんに「寒いよ~」と言いながら、おじいちゃんから白いジャンバーを着せてもらい、いつもと変わらない笑頗で「いってきまーす」と言って、家を出ました。今、「いってきまーす」と言って家を出た娘、それから5分後には、娘はトラックの下にいました。最初自分も家族も娘を送り出した後、自宅にいたわけですが、そこに近所の人が飛び込んできました。長女の名前は「えみる」と言いますが、「えみるちゃんが事故、えみるちゃんが事故」ただそれだけでした。先ほども言いましたけれども、事故とは聞いてもまさか自分の子供が、死亡事故か起こるとは考えてもいませんでした。自分がその時思ったのは、「きっと車に接触して(すりむいて、血をたくさん流して、ひょっとしたら骨とか折れちゃったかもしれないな。これはいけないな。あいつのことだからたぶん道路脇にへたり込んで大きな声で泣いているんだろうな。」そう思いました。とにかく早く行って「大丈夫だから」と慰めてやらないと、落ち着かせてやらないと、と思って妻と一緒に自宅を飛び出しました。

 


 自宅から100メートル先の道を右へ50メートル行ったところに横断歩道がありますが、その最初の100メートルを走っている間は、こんなことを考えていました。「早く抱きしめてやらなきゃいけない、大文夫だからと落ち着かせてやらなきゃいけない。」そして100メートル走ったところを右に曲がり、50メートル先の横断歩道を見ました。僕は、きっと道路脇に娘が泣きながらへたり込んでいる姿を想像していたのですが、なぜだか娘の姿はどこにもありませんでした。

 


 ですが、周りの人は「事故、事故」、そしてある人は「見ない方がいい、見ない方がいい」と、なぜだか覚えてませんが、とっさにトラックの下を見ました。覗き込んで最初に見えたのは、ありえない形にひしゃげた娘の足でした。周りでは多くの人が先に動いてくれました。ある人は、「何で早く救急車を呼ばないんだ」、「そんなジャッキしか積んでいないのか」、「何でエンジン切らないんだ」、そんな中、今でも忘れられないことがあります。それはエンジンがかかったままのトラックの下にもぐり込んでいる、自分の娘を救い出そうとする妻の姿でした。僕はその3トントラックを持ち上げようとしたのですが、また、持ち上がる気でいたのですが、ビクともしませんでした。その瞬間、全身から力が抜けたのを覚えています。しかしご近所の方、または周りを走っていたドライバーの方やいろんな方が降りてきて、たくさんの人の力で3トントラックが浮きました。そしてトラックの下から、大事な大事な娘がやっと出てきたのですが、血だらけでした。

 


 いろいろ後悔することがあります。あの朝もう5分早く学校に行かせていたら、助かったんじゃないか。おじいちゃんは、「いってきまーす」の後、一番最後まで孫の「ランドセルを背負った姿」を最後まで見ていた人ですから、何であと、何であと50メートルついて行ってやらなかったのか。いろんなことを後悔しました。

 


 ひとつだけ、どうしてかなと思うことがあります。それは、事故が起きたとき、(事故を起こした運転者が)一番先に連絡をとったのは救急車を呼ぶことではなく、会社への報告でした。親としては、やはりそれも辛いです。

 


 その後救急車が来て、娘が連れられ、自分達も一緒に病院へ行ったのですが、よく交通事故で死亡事故の場合、即死状態とよく耳にすると思いますが、たぶんうちの娘の場合、字にすれば即死状態と言われると思います。そういう状態だったと思いますが、でも違うんです。幼い命、若い命、これから生きようとしている命、夢を持った命は生きようとするんです。娘の時も、医師からいただいた診断書にはたくさんのあの時起きた事故の症状が書かれていました。頭蓋骨骨折、顔の骨が砕け、肋骨が折れ、腰の骨が砕け、足の骨骨折。もちろん、即死状態というものに近いかもしれません。午前8時08分に事故が発生して、 10歳の幼い命が1時間半、生きたんです。病院に運ばれた後、控え室で待っている僕達家族の所に一度お医者さんが来られまして、「娘さん生きようとされていますよ。一生懸命生きようとされていますよ。」、だから、最後に天国へいった9時33分の約1時間半の間、交通事故で即死状態と言われる事故で、 10歳の命は生きようとしていたのです。体がどんなボロボロでグチャグチャになっていても・・・。ぜひ、交通事故の現実を少しでもご理解いただけたらと思います。そして、娘が頑張った1時間半の間、どれだけ怖かったか、どれだけ痛かったか、どれだけ辛かったか、事故から3年が経ちますが、それを考えない日は今でも1日もありません。

 


 やはり、突然最悪の状態がふってくるのが交通死亡事故。また、気を緩めれば被害者ではなく誰しもが加害者になってしまう可能性もあります。それが交通事故の恐ろしさです。

 


 そして死亡事故、交通事故の場合、死んだだけで終わらないのです。娘は9時33分に天国へ旅立ちましたが、交通事故の場合、家にも連れて帰って来れないのです。検視がありますから。 9時33分に天国へ旅立って、病院を娘が出ることができたのは、午後6時を回っていました。その長い時間の間、妻は娘の手をずっと握り続けていました。握っている間に手がどんどんどんどん硬くなっていくのが分かったそうです。自分はなさけないことに、変わり果てた娘の姿を見ることが出来ず、その長い時間をずっとうろうろ、娘の周り、霊安室の周りをうろうろ、ただただ歩き続けていました。そのとき、そのトラックの会社の方が来られたのですが、申し訳ないのですが、そのときはお会いすることはお断りいたしました。とても会ってお話を聞ける状況ではなかったのです。

 


 そして午後6時過ぎに病院を出るとき、私が娘を抱き上げて病院を出たのですが、抱き上げたとき、すでにもう丸太のように硬くなっていました。それから、葬儀社の方が来られて、死に化粧をするのですが、僕はそのとき、「出来れば死に化粧をしないでほしい」、「女の子なので、お嫁に行くときの化粧をしてあげてほしい」とお願いしました。しかし今思うと、葬儀社の方に申し訳ないくらい娘の姿は変わり果てていましたから、たぶん嫁入りの化粧をするようなかたちではなかったと思います。それから4時間、5時間かけて、どうにか、どうにか、ぎりぎりお友達に見てもらえる形に化粧をしていただいて、「いってきまーす」と言って家を出て、その日に娘が我が家に帰ってきたのは、深夜1時をまわっていました。

 


 そして帰った玄関には、娘がその日に行くはずであった、新体操教室の体操着などが入ったブルーのバックが置かれていました。きっと娘は学校から帰ってきて、「ただいまー」と言うと同時にランドセルをおろして、今度は新体操の青いバックを持って出掛ける。そう思ってバックを玄関に置いていたんだと思いますが、そのバックを、その日に手に取れなかったと思うと、胸が張り裂けんばかりの気持ちになったのを覚えています。そして、そのバックを妻は、 1年間そのままその場所に置き続けていました。いつか取りに帰ってきてくれるかもしれない。そう思わざるを得ないくらい、突然、交通事故はやってくるのです。

 


 正直、その後通夜があり、お葬式があり、お葬式の最中でも信じられませんでした。突然すぎて、何をやっているんだろう、何をこんなに長い間夢を見続けているんだろう。そう思いました。お葬式が終わり、娘が今度は小さな壷の中に入り、変わし果ててしまいましたがそれでも交通事故は終わらないんです。

 


 それから1か月が経ち、その後警察の方から連絡があり、遺品の返還がありました。妻と二人で警察署に向かいました。警察官の方がダンボール箱を抱え、丁寧にたたまれた娘の服や、ハンカチや鞄や、それを持ってきてくれました。一番最初に目についたのは、もって来てくれたダンボールから出ていた傘でした。もちろんその傘は、グチャグチャに折れ曲がっていました。そして、赤いランドセルが置かれていました。ランドセルは当然皮で丈夫に出来ていますが、ズタズタに引きちぎられた様な状態になっていました。どうやったら、一瞬でこんな形にランドセルを変えることができるんだろう。そう思えるくらい、引きちぎられていました。それを見たとき、交通事故の悲惨さを、怖さを感ぜずにいられませんでした。そして何より自分が驚いたのは、娘のランドセルから筆箱が出てきました。筆箱も当然つぶれていましたが、筆箱の中に入っていた鉛筆が折れているのではなく、平らなんです。実際にどれだけの圧力を受けたのだろうか。折れているのであればまだしも、鉛筆が平らなんです。それを見たとき、警察署の中で泣いてしまいました。

 


 今度は裁判がはじまります。まだ終わらないんです。ほんの少しですが、どうにか気持ちが落ち着くというか、やっと普通に息が吸えるようになった頃、今度は裁判が始まります。そこでまた交通事故の現実、悲惨な状況、一からすべて思い出さなければならない状況になってきます。しかも裁判は、一日や数時間では終わる裁判ではありません。何時間も何か月も時間がかかり、本当に重たい空気の時間が何か月も続きます。自分は今日、被害にあった家族として話をしています。今思うと,加害者の家族もきっと死亡事故を起こした後、そんな重い時間がずっと続くんだろう、そう思います。

 


 交通事故、今日は死亡者が何名でした。数字はよく耳にしますが、死亡事故の場合一件一件すべてにこの様な出来事が起きているということを少しでもご理解いただけたらと思います。そして、正直な気持ちを最後に言わせていただけたら、交通死亡事故がどうしても、時々考えれば考えるほど、人生辛くなっていくから考えるのよそうと思っていても、どうしても「娘は死んだんじゃない、殺されたんだ」、そう思うときが、「いけない」と思っていても、どうしても親ですから、そう思ってしまいます。

 


 そして、もうひとつ突然に起こってくる交通事故、気持ちの準備が出来ている人間はいません。被害にあった親として言わせていただければ、一つの事故にたくさんの人が、もっともっと多くの悲しみを抱えてしまいます。まずは娘の同級生達、同じクラスの子供達、親友だった女の子は拒食症になってしまいました。あまりに突然すぎて、誰も理解できませんでした。もちろん学校の先生もそうでした。校長先生も。ご近所の家の娘をかわいがってくれていたおじいちゃん、おばあちゃんもいらっしゃいました。娘が事故にあった横断歩道のご近所に暮らしているおじいちゃんは植木が大好きでした。立派な植木を家の前にお育てになっていましたが、ひょっとして、この植木で車を運転する人が、横断歩道を渡る子供達をさえぎってはいけないと、植木を全部その後お切りになりました。PTAのあるお母さんは、その後、娘が事故にあった横断歩道をいつもきれいに、道路を普通のアスファルトを、ずっときれいに毎日拭かれていました。

 


 その後、子供達が学校へ行くときに旗を出して立たせていただいたことがあるんですが、そのとき嬉しかったのは、娘はスクールゾーンから、本当はその時間帯は通行が制限されているスクールゾーンから来たトラックにはねられてしまったのですが、自分が朝立たせてもらったとき、某飲料系の会社ですが、そのトラックの運転手は青年でしたが、そのスクールゾーンから道の中に自動販売機があるのですが、今は子供達が行く時間だから、スクールゾーンの外にトラックを止めて長い距離を全部、普通なら自動販売機のそばに止めて入れ替えをすれば済むことなんでしょうが、スクールゾーンの外に止めてずっと歩いて、ケースを持っていちいち運んでいる姿を見たときは涙が出ました。本当に死亡事技、一つの死亡事故で、被害者も当然ですが、加害者側も含めると一つの事故にそこで起きる悲しみはあまりにも多過ぎます。

 


 少し話が長くなりましたが、一件の死亡事故が減ると当然一つの命が助かりますが、それだけではない、たくさんの数多い悲しみも一件減ればそれだけなくなっていく。
。また、逆に言えば、一件増えれば、掛け何十という悲しみがそこには増えていくということを、少しご理解していただければと思います。

 


 ぜひ、これからも飲酒運転がなくなりますように、そして死亡事故がゼロになりますように、どうか、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 


 最後までお話を聞いてくださり、ありがとうございました。

 


<---ここまで