パーラー68 | とときちの詰め合わせ

パーラー68

クローバー3月2日のブログ記事「甲子園球場前にて」の中で、「幼稚園から小学5年生まで西宮に住んでいた」と書いたら、高校の同級生M氏から「驚いた」とメールがきて、なんとほとんど同時期に二人とも西宮で暮らしていたことがわかって私もビックリしました。


残念ながら同じ小学校ではありませんでしたが、線路を挟んですぐ近くの小学校でした。あぁ、そういえば今思い出しましたけど、伊丹空港発着の飛行機が学校の上を飛行するたび轟音で授業が一旦中断された…そんなこともありましたね…。


今、タイムマシンがあったら校庭で遊んでる小学生のM氏のところに現れてこう言ってやろうっと♪



タイムマシンがあったら

「あのさぁ…。飲み会でビールのジョッキ倒すクセ、やめてくれる?」


そのときM氏とは「甲子園球場」はもちろん、「阪神パーク」「甲山」「六甲山」など懐かしいキーワードでメールをやりとりしたわけですが、最近ふと思い出しました。



「M氏は“パーラー68”を知ってただろうか…?」



パーラー68は「パーラーロンパ」と読みます。

JR甲子園口駅の北口にあった喫茶店です。



小学生の私は母に連れられて何度か入りました。

たとえば、学校を休んで母に付き添われて病院に行った帰りなどに味わうホットケーキなどは、まだ授業中であろう同級生に対する罪悪感と妙な嬉しさが入り混じった格別の味がしました。

クリームソーダ、プリンアラモードなども食べたと思います。


子供ながらに「68と書いてロンパとは変な名前だ」と思いましたし、「ロンパ」が幼児番組「ロンパールーム」を連想させる感じもあって何か印象的なお店でした。

その懐かしい記憶は大人になってからも薄れることなく、木版画の背景に描いた喫茶店の名前を「パーラー68」にしたこともあるくらいです。



10年ほど前に大阪に行ったときに、西宮を見に寄ったことがありました。その時はもうパーラー68はなくてその場所に果物屋さんがあったので、「喫茶はやめて果物屋さんに変えたのだな」と勝手に思い込んでいました。プリンアラモードなどに果物が乗っているので、なぜかそんなつながりで「フルーツパーラー」→「果物屋」と連想してしまったのです。



そして、去年の12月にふたたび西宮を訪れた際には、思い切ってその果物屋の店頭にいた60歳位のご主人に声をかけてみました。

「すみません、この辺に昔、

パーラー68ってあったと思うんですけど…?」



気のいいご主人は仕事の手をとめて笑顔で答えてくれました。



私の中ではすっかり台本が出来上がっていて、そのご主人が「あぁ…それ、うち。昔、喫茶店をやってたんだよね」と返事をすることになっていたのですが、意外にも


「あぁ…それ、2軒隣だね。かどにあったんだよね。もうだいぶ前に無くなっちゃって何度かお店も変わったけどね」と。



なんと私の記憶の中のパーラー68の場所は間違っていて、果物屋のご主人が教えてくれたその場所には今はオシャレな居酒屋があるのでした。



(そっか…喫茶店から果物屋さんに変わったというのは私のとんだ思い込みだったんだ…。てへ…♪私のおバカさん…☆)…と、はにかんでいる私の耳に聞こえたのは果物屋のご主人のこんな言葉。



パーラー68(ロンパ)の68って、おやじさんの歳からとったんだよね。もうとっくに死んじゃったけどね。」



……!!…って、ええぇぇぇ~!? おやじさんの歳??



「パーラー68(ロンパ)」というネーミングに対する長年の謎めいたイメージというか、淡い感傷というか、懐かしい記憶というか、

そんなものが一気にクリアになった瞬間でした…。



今はいない、パーラー68のおじさん、思い出をありがとう。おじさんは自分の年齢をお店の名前にしたんですね。 68歳にしてパーラーを始めたおじさんの心意気、カッコいいと思います。もう昔の話だけど。