レオポン
前回3月22日のブログでは西宮関連の話題を書きました。
そこに登場するM氏とは、お互い小学生時代を過ごした西宮の思い出をあれこれ「懐かしいな~」「ね~」とメールでやりとりしたのですが、中でも衝撃的に郷愁を誘う記憶がよみがえったのが、このM氏の一文でした。
「ところで、レオポンはどないした?」
…レ、レオポン!!
懐かしすぎる!
すっかり忘れていましたが、本当に彼らはその後どうなったのでしょうか。
皆さんはレオポンをご存知でしょうか?
といっても、若い世代の方は知らない方がほとんどでしょう。
「レオポン」は父親を「ヒョウ」、母親を「ライオン」として生まれた動物です。人間が無理やり作り出した珍獣です。
昔、甲子園球場のそばに「阪神パーク」という遊園地&動物園みたいな所がありました。私やM氏などは遠足や夏のプールなどでよく遊びに行ったものです。
そして、そこにレオポンがいました。「東京にはパンダがおるけど、大阪にだってレオポンがおるんやぞ」というわけで、西宮市民としては「我らが宝、レオポン」みたいな思い入れがあったような気がします。
タテガミの無いライオンのような顔とガッチリした体格で、模様はヒョウ。なんといっても「レオポン」という名前がカワイイ♪(…けど気性は荒い!)
本当にすっかり忘れていました。レオポンごめん。
あらためてレオポンを調べてみると…
海外では前例のあるレオポンを日本でも作り出すのはなかなか簡単ではなかったようです。阪神パークでは、ヒョウの「甲子雄(かねお)」とライオンの「園子」を幼少の頃から同じ檻で育てて交配に成功したようです。
そして1959年に最初の2頭が誕生しました。
兄は「レオ吉」、妹は「ポン子」と名づけられたそうで…(←このネーミングったら!(笑)。時代を感じますね~)、その後、さらに「ジョニー」「チェリー」「デイジー」の3頭の兄弟が生まれたようですが、やはり繁殖能力が低いのでそれっきりになったようです。
一番長生きしたのは「ジョニー」で24歳の長寿を全うしたそうです。でも、この一家以外にレオポンが存在しないため、子孫を残すこともできず、ジョニーの死とともにレオポンは絶滅してしまったそうです。
そうだったんだ…。
唯一のレオポンとしてたった一頭で生き続けたジョニー…。1985年まで生きていたというのに、私はすっかりキミのことを忘れていたんだね。
同じ種属が自分以外いなくなるなんて、恐ろしいまでの孤独だよね。レオポンが他にいなくなって、たった一人ぼっちになってからの日々ってキミはどんなに寂しかったろう。いや、たぶん本当はそんなことは理解してなかったとは思うけれども。
それとも本能で底知れぬ孤独を感じていたのかな…。
あの当時、他にも「ライガー」とか「タイゴン」とか「タイポン」とかいう言葉が飛び交っていたのも思い出しました。人間がいろいろ勝手なことをしてた時代だったのですね。動物愛護を考えると現在では不可能な計画ばかりだったでしょうね。