宮城県旅行⑥海岸沿いの町
宮城県旅行の話は今回で最後になります。
私が今回の旅で訪れた海岸沿いの町は、
気仙沼、南三陸、女川、石巻、名取など。
東日本大震災の津波により、計り知れない被災をされたこの町々ですが、現在は復興を果たすべく商業施設などがオープンしたり、活気を取り戻しつつある様子が見られました。
どこへ行っても区画が広々整備され、施設が新しくキレイです。
私の住む茨城県などは、元々何も無い田舎の土地に新しい商業施設ができて話題になるのですが、
ここでは違います。
かつて多くの人々が暮らしていた町が突然消え去るという悲劇の跡地に新しい施設が建っていくのですね。
ただ、悲しいばかりじゃないと「新しくキレイ」な施設を利用し感じました。
「新しい」ことは悲しみを誘うだけじゃない。
その「キレイさ」が維持されていることに現地の方々のこれからの復興への意識の高さを感じ、私も嬉しくなるのでした。
南三陸で訪れた「南三陸311メモリアル」は震災の記憶を伝える伝承施設。
あまりに暴力的な津波のパワーをテレビで知っていたつもりでいましたが、
あの日、津波に襲われて奇跡的に命をとりとめた方の証言などのフィルムには私など言葉もでません。
目の前で同僚が流されていく・・
そんな体験以上にどんなひどいことがあるでしょうか。
テレビの報道を見るのとは違う、
主語が「私達」「私達の町は」という展示、フィルムは、とても感情を抑えた静かなものでした。
でも「他の誰にも同じ悲劇を体験して欲しくない」「そのためにはどうすればいいか考えて欲しい」という圧倒的メッセージがありました。
この「南三陸311メモリアル」のテラスからは「南三陸町震災復興祈念公園」が見渡せます。
この高い場所から、今は広々とした公園となった、かつては町であった場所を見下ろして語りあっている二人の高齢の男性がいらっしゃいました。
私は近くで、掲示してある新聞記事をよんでいたのですが、
その高齢男性のお二人は、この土地の思い出話や、友人、恩師のお話をしているようだったので、同級生かもしれません。
お二人の目には、かつてのふるさとの町並みが浮かんで見えるのでしょう、懐かしげにいつまでも風景を眺めながら会話をしていました。
私が読む新聞記事もたくさんあったので、お互い長い時間、そこにいたのですが、いよいよ高齢男性お二人は帰る様子。
お一人の高齢男性が私の横にあるエレベーターの正面に歩いてきました。
そして閉まっている扉の向こう側に向かってこう声をかけたのです。
「あのぉ、もしもーし、ここは何の部屋ですか?」
もちろんそこは部屋ではないので返事はありません。
私が(えっ?)と戸惑っていると、
もう一人の高齢男性が寄ってきて、普通の調子で言いました。
「⚪︎⚪︎ちゃん、そこはエレベーターだべ」
私、可笑しくて心で泣き笑いしました
お二人が長生きして、いつまでも仲良しでいられますように
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