何度も取り上げている、「男の娘」という言葉。



今や現実世界でもメディアでも取り上げられ

アングラ用語ではなくなってきている。



今やネットでもメディアでも、

ニューハーフや性同一性障害という言葉はあまり出てこなくなった。



トランスジェンダーという言葉はそもそも日本じゃあまり使われない。



今は、オネエ、または男の娘という言葉だけが、

とにかくよく目につく。



なのに男の娘という定義は未だ曖昧なまま。



たくさん情報収集をしてみても、

やはり各場所、各人で定義が異なる。



明確な定義なんていらないんじゃ?



否、そんなことはない。




現実で男の娘と呼ばれている人達が

セクシャルマイノリティ者も含んでいる以上、

うやむやにはできない。




実在人物に対して男の娘という言葉を使っている人たちには

それぞれこのような意味で認識している。



「男なのに見た目が女にしか見えないような人」


「若い男で女装してる人」


「性同一性障害で女として生きてるトランスジェンダー」


「昔でいう所のニューハーフって人たち」


「男なのにナヨナヨしてて女みたいな人」


「現代版のオカマ」


実際にはまだ様々な意味合いが各自にあると思うが、

大まかに分けるとこれらのような意見を耳にした。



肯定的な意味も、否定的な意味も含まれている。



このように各自で違う認識なのに、

一括して男の娘と呼んでいるということは、



昔で言う「オカマ」という言葉と意味を、ただ言い方を変えただけじゃないかと感じてしまうのである。



今になっては、オカマは当事者が使う事は別として

他者が使う事は差別用語や侮辱言葉として認識されている。



しかし、このオカマという言葉も元々は否定的な意味ではなく、

上で挙げたようにそれぞれで意味合いが異なった。



もともとニューハーフやトランスジェンダー、性同一性障害という言葉も無かったから、

そういう言葉が使われていただけで、その名残で今も別に否定的な気持ちもなく

使ってる人もいることでしょう。

中には当然、否定的な気持ちを持って意図して使ってる人もいるでしょうが。



しかし時代は経て、今や多数がオカマを否定的な意味を含む言葉だとやんわりと認識するようになった。




私にとっては男の娘も同義で、明確な定義がなく

女性っぽい姿の一般男性だけじゃなく、セクシャルマイノリティ者も含む大まかな呼び方という時点で、

本来の「オカマ」という意味と変わらないのでは?と思ってしまう。

だから「男の娘」という呼び名と現実への使われ方が好きになれない。




他には、当事者間の認識や受け止め方にも関わってくる。



トランスジェンダーも女装が好きなだけの男性も、

ニューハーフも同一視して「男の娘」だと呼ぶことにより、

それぞれの当事者が「一緒にされたくない」と思う面もあるからだ。



例えば、ただファッションで女装をしてる男性の場合、

ニューハーフや性同一性障害だとは思われたくないかもしれない


性同一性障害のトランスジェンダーも、女装者だと言われたくないし

ニューハーフとも呼ばれたくない。


ニューハーフの中にも性同一性障害者はいるが、そうでないニューハーフなら

性同一性障害と呼ばれる事を嫌う。



一括りに男の娘と呼ぶということは、

言った本人が意図していなくても、

各自で定義が異なる以上、

自動的に同列に語っているという事になる。



もちろん、男の娘という言葉を使う人の中には、

ニューハーフや性同一性障害は別だと認識している人もいることでしょう。



しかし、冒頭で述べたように、「戸籍上は男性だけど女性の姿をしている人全般」を指す言葉だと思ってる人も多い。


戸籍上は男性だけど女っぽい姿をしている人なんて大まかな定義。


それこそ、普段は男性だけど女装が上手で綺麗に見える人も、

性同一性障害で女服を着ることが当然だと思っていて女として生きている人も、

一部のニューハーフも全て同義となってしまう。



男の娘は女装もセクシャルマイノリティも同一だと認識している人が男の娘について語れば、

何も知らなかった人も「いっしょなのか」と認識して、それが広まっていく。



また、男の娘と使う人の中には

「この言葉は、あくまで見た目だけを指す言葉だから、当人の性自認やアイデンティティ、生き方は関係ない」

と言う人もいる。


自分が当事者でないから、そのような事がいえるのだろう。





また、ある人にとっては、

「セクシャルマイノリティという言葉も嫌いだし、そもそも男とか女とかいう区分けも嫌だし、

男も女も女装もニューハーフも性同一性障害もゲイもレズビアンもバイセクシャルも言葉による区分けしたくない」

と思う当事者もいることでしょう。


そういう人達にとっては、男の娘という言葉は区分けのないボーダレスな言葉で便利なのかもしれませんね。



本当に難しい問題です。





なぜ私はこんなにも毎回、「男の娘」という言葉に敏感で、悩まされてしまうのだろう・・・




もしかしたら、ただの嫉妬心なのかもしれない。




女として生きるために性ホルモン投与し、玉抜きをし

様々な苦難もあって覚悟をもってトランスジェンダーになった。


そしてようやく、男とは呼ばれなくなって

女として見られたり扱われるようになった。



しかし、男の娘というボーダレスな言葉ができて、

トランスジェンダーであろうが、一時的に女装している男性であろうが、

「見た目が女の子っぽければそれでよし」と思われる風潮も生まれた。



「なんだ、ということは女として扱われる分には女装だけでもいいの?」

だなんて思う事もある。

もちろん、見られ方だけじゃなく自分自身の肉体が男性なのが嫌だから

ホルモン投与をしているのだが、

それでも、見た目が女っぽさえいれば、

「本人が性ホルモンしてようがなかろうが、性同一性障害であろうがなかろうが関係ない」

と、一般の世間に見られていると思うと、どこか虚しくてやるせなくなってしまうのである。




本音を吐いて、少し自分が男の娘という言葉を嫌う意味が見えてきたように思う。




ジェンダーフリーという言葉が、セクシャルマイノリティという言葉と共に扱われることがある。


ジェンダーフリーとは前述したように、性に区分をつけたくないと思う事である。



しかし、性同一性障害はジェンダーフリーではない。



性同一性障害は、世の中に男と女という2つの性に分けられている事を知っていて、

その上で、どちらかの性に属したいと強く願うからである。



私もそう。



職業や立場的に仕方なくトランスジェンダーのニューハーフだと呼称しているが、

叶うならば、女。ただの女でありたい。



男の娘という言葉は、性同一性障害者の理念には合わず、

ニューハーフやトランスジェンダーなどと同じ、

男と女の中間というグレーゾーンの言葉であるように思える。


むしろ、性自認や性ホルモンの有無、アイデンティティを問わないとなると、

よりジェンダーフリー感が強い言葉であるように思う。



男と女。


できれば限りなく女側に属していたいと思うのに、

仕方なくニューハーフのトランスジェンダーという立場と名称を受け止めている。


そんな中で自分が男の娘だと呼ばれるのであれば、

一気に男側の区分へ押し戻されるような気がしてしまうという不安もある。


それも、私が男の娘という言葉を毛嫌いする理由なのかもしれません。






最後に。


もしかしたら私も男の娘なの?と思うこともしばしばある。



私は自分を立場的にトランスジェンダーのニューハーフだと思っている。

(ニューハーフというのは現在はニューハーフ職に就いているため)

アイデンティティが男側に近い男の娘だとは思っていない。



見た目は美人とまではいかなくても、

一応「さすがに男には見えない」「普通の女に見える」とよく言われる。



なら私も男の娘なんでしょうか?



ニューハーフ業界にも、言葉さえ出さなければ

綺麗な女性にしか見えないような人が大勢いる。


もちろん、声含めて女性らしい人も大勢いる。


彼女らは、決して自分を男の娘だとは呼ばないでしょう。


しかし、では彼女らも本当は男の娘なの?



という疑問が付きまとってしまうのである。