今も、玉はないけど棒はあるし、戸籍上は男性のまんまです。

でも私生活や、心は完全に女性だと思って生き続けています。

貧乏金無しなので貯金も無いけど、女として生きていくのは私のアイデンティティ。

性転換して戸籍変更までしないと、たぶん世間には認めて貰えないでしょう。

お金がたまらないので性転換と戸籍変更はまだ夢のままで叶えられそうにもありません。

 

でも私は私であり、人間性は女として自覚して生きてます。

 

早く性別がどどっちなんだっていう時代は無くなって欲しいけど

人間は子孫を作っていけない運命にあるから、男と女という対となる存在は消えることはないでしょう。

私も別に、反出生主義とかじゃないので、普通の性別の人たちには、良き伴侶を見つけて幸せな家庭を築き、

子孫を残してほしいと思ってます。

 

私は身勝手ながらトランスジェンダーという道を歩んだので、世間の人に頭は上がらないし

家庭を築けた人のことを心から尊敬しています。

同時に、トランスジェンダーであることで家庭を作る人間の義務から逃げ出したことは大変申し訳なく思っています。

 

そうい重責の念は背負ってますが、

 

私は私なので、1人、頑張って生き続けてます。

 

そんな葛藤がありつつも、細々と生きてるということを皆様にご報告します・

頑張って久々に筆を執った。

今年2回目のブログ更新。


最近、自分は鬱突入気味なんじゃないかと思うこともしばしば。

趣味のことでも前まで熱中できたこと、楽しめたことなどが日々そうでもなくなってくる。
一度のめりこむと延々とそればかりに打ち込むという性格も相まって
単純に飽きてきただけとも言えなくはない。


知り合いとの交流の一環でSNSやメールを介したお喋りも、
以前までは連日のように長文で語れていたけれども、最近はそちらの気力も激減し、
なかなか元気に頻繁に返信したり、前みたく長文送信できなくなってきた。


現実での人付き合いもかなり減少したほうだ。
収入も激減した。
出費しなくてもいいようにプライベートはもっぱら家に篭もっている。

まだ、数ヶ月に1度のペースで友人が外食やお出かけに誘い出してくれているので
それが僅かばかりの救いになっている。


私はもともとお喋り大好きな性格だったのだが、
人付き合いも減り一日中誰とも喋らないような日を何度も経験していくうちに
ずいぶんと寡黙な性格になってしまった。
頭の中ではあれこれ喋ろうと思っていても、その流れやタイミングに持っていけず、
結局「別に喋らなくてもいいか」となってしまう。
元々聞き専は苦手だったけど、いつのまにか聞き専役になっていた。
(相手の話を処理する能力が鈍くてうんうんと肯くだけになってしまっているけど・・・)
心身ともにだいぶスローになってしまったかもしれない。


声帯の筋力が弱まってまったく喋られなくなったというわけではない。
幸か不幸か、私は元来独り言の多い人間である。

軽度のトゥレット症候群(チック症)も抱えているので
家では日がな特定の言葉を連呼したり奇声じみた歌を歌ったりしているので発声力は衰えない
(人前では制御できるので、軽度と表現した)

ちなみに喋り声程度が簡単に漏れるような薄い壁のアパートなんかではないのでご心配なきよう。
万が一簡単に音が漏れる環境なら独り言も自重していたであろう。
独り言が自由に言える環境も、幸か不幸かストレス発散の1つになっているのかもしれない。

実は生まれつきADHDも患っているのではないかという濃厚な疑いもここ10年近く抱いている。
そっちの方向でメンタルクリニックを受診したことは一度たりともないので断定はできていないまま。



自宅では相変わらずインターネット浸りの日々。
たまの仕事ですら交流は少ないゆえに外界との接触が少ない分、社会の動きを少しでも知りたくて情報を得続けたいのだ。
テレビニュースや新聞は見ないけれどもネットニュースは毎日見て、
そういったニュースで世間の人がどのような心境や感想なのかを知りたくてしょうがないのだ。


しかし景気も世界情勢も悪い昨今。
インターネット上も依然として殺伐とした空気が漂っており、攻撃的な性格や口ぶりの人が目立つようになった気がする。
せっかくの情報収集先がそういう場所なので、余計に気持ちが落ち込んでいく。


ところで最近は「LGBT」関連のニュースが爆発的に急増したように思う。

性愛指向の「LGB」と性自認の「T」を一緒くたにまとめるのは乱暴だという意見も度々目にするし同意するけども、今回それは置いておく。


数日に1度はLGBT関連の何かしらのネットニュースを見かける気がする。
それに伴い、アンチ(嫌悪者)も増えていってるような気がしてならない。
ゴリ押しのようにLGBTニュースが流れ続け辟易としている心情も理解できるが、
LGBT批判や攻撃的な意見が目に入るたびに、益々気持ちが落ち込んでいく。


以前までは少しでもセクシャルマイノリティ(主にトランスジェンダー限定)
への誤解を減らしたり、認識間違いが元による誤解を解こうという大義心の元にブログを含めたネット上での書き込みに勤しんでいた時期もあったけれども、
個々の誤解や、解釈の大きな差は一向に縮まらない。

所詮、著名人でも何でもない一個人の自分がネット上の片隅で些細な活動に励んだところで意味がないし、なんかもうそういう事にもほとほと疲れ果ててしまった。

それに今でもまだトランスジェンダー、ニューハーフ、性同一性障害、男の娘といったような言葉の解釈が人それぞれバラバラだし、私自身の解釈も誤りなんじゃと思えるようになってきた。


幸いに最近は「LGBT」という乱暴だけど無理矢理な1つの言葉・1つの概念に集約されてきつつあるけれども。
いずれにせよそういった解釈違いでネット上でお互いに意図が通じ合っていなかったり
誤解や偏見の元になっているのを何度も目にすることすらも疲れてきた。

されど悲しいかな、完全にネット生活を脱却したライフスタイルは望めそうにない。



正直なところ、今の私は全然頑張ってもいないし、むしろダメ人間の部類である。
昔は自覚したくなかったが、歳を重ねるたびにそれを自覚でき受け入れることができるようになってきた。
 

また、トランスジェンダー(ニューハーフ)といえども、世間の人が良いポジティブな方向でイメージしているステレオタイプにも属していない。

全然メイクにもファッションにも美にも詳しくないし
一般女性以上に美を磨いているなんてこともない。

女性の中にも割とその辺のことが疎かで地味な女性っているでしょ?
私自身もまんまそれだと言える。


さすがに人前じゃ化粧して小綺麗にして言動や立ち振る舞いも最低限の気を遣うけれども
プライベートの普段の自分はとっても地味でボサボサな髪をゴムできつく縛って下着もつけず同じパジャマばかりで狭い部屋でグデーっとインターネット浸りの日々。
ぶっちゃけ気力も希望も夢も浮ついた話もない。

そういったことにズボラであることは、女とは言えないのだろうかと疑念を抱くこともある。
女っていったい何なのだろうか。

当然トランスジェンダーは子作り能力はないしその延長線上で家庭を築くこともできない。
(されども女性ホルモンの影響なのか母性本能は年々強まってるようで、1~4歳の小さい幼児を外で見かけると可愛くて可愛くて仕方がない反面、いろいろと辛くなる)

そういう弱点をカバーするように多くのトランスジェンダーは美に情熱を注いでいることも多い。

私自身が好きなことや情熱を抱いてる分野はぶっちゃけ、あまり性別は関係ない。

じゃあ美への飽くなき追求を辞めてしまったとき、
それはトランスジェンダーではないのかといえばそういうわけでもなく、
私は紛れもなくMtFトランスジェンダーなのであるし、少なくとも男として生を全うする気はさらさら無い。

別に女という人生を舐めているわけではない。
女は女で大変な人生なのだ。ならトランスジェンダーはその新たな性の人生を完璧なものにする義務があるのだろうか。

突き詰めると、私はもしかしてMtXと呼ばれる立場なのかもしれない。
Xジェンダー、男でも女でもない(精神的な)性。
結果的にトランスジェンダーという立場を選んでしまっただけで。
そう考えると辻褄が合うような気もする。

世の中の男だの女だのという違いや、両性間にある認識や価値観の大きな隔たりや壁が煩わしく思うこともある。

ちなみに性指向は、限りなくアセクシャル(無性愛)に近い、バイセクシャル(両性愛)。
男女どちらの対象にも好みがあるし、恋に落ちる可能性はあるけど、
基本的には性欲がなくてがっついてなくて恋に無関心。

どちらかといえば恋人よりも、趣味を熱く共有しあえる親友のほうが欲しいという心境。
学生時代にそんな相手が1~2人いた。うち1人は私と同じくトゥレット症候群持ちで、
お互いに変な言葉や合い言葉じみた造語をを延々と連呼しあい笑い合い、どんな話題も気兼ねなく話せ、かつ趣味も共通していた。
恐らくは今も、そういう仲を欲してるんだと思う。

しかし悲しいかな、そういった自分の精神や価値観が、実年齢に合っていないのだろう。
勝手に歳だけ取っていく。

いずれにせよ、どんな性別であっても今の自分はダメ人間であるということだけは確かだろうし
自覚できている。


最近は批判の的になっているのがLGBTだけではなく、
例の障害者施設の殺傷事件が発端で、重度障害者の立場や存在・扱われ方にもネット上で議論の的になってきはじめたように思う。


私は性別と経歴以外はニュートラル傾向だと思っていたけれども、
先述したようにもしADHDも抱えていたとすれば、益々自分は存在価値の低い人間なんじゃないかと
思わされるようになってきた昨今。





どうも、こんばんは。(今もまだ)悩めるMtFです。

最後の更新からなんと丸3年!

もはやMtFの立場から言いたい事はブログで書き尽くしちゃって、燃え尽き症候群となって放置してました。


そんな中、久々に急遽筆をとった理由・・・。

記事タイトルどおり、この2つの用語の意味について私の勘違いを知ってびっくりしたからです。

私はこれまで、

トランスセクシャル=すでに性別適合手術(性転換)を受けた人達
トランスジェンダー=性転換の有無に関わらずトランス(肉体または精神の性別移行)人生を歩むすべての者を指す総称

ざっくりこのように理解してました。


だって、LGBTという有名な言葉のTはトランスジェンダーじゃないですか。
それに数年前、インターネットで調べ物をしたときはウィキペディア情報も含めて
トランスセクシャルという言葉はあまり一般的ではないし、使われる事も少ないって読んだことがあるのです。

だから私のこのブログ名も、トランスセクシャルは不適当でトランスジェンダーにすべきだったのかな?と悩んでいたものでした。

ですが最近、トランスセクシャルとジェンダーの意味の違いが、昔調べた頃と異なってることに気づいたのです。

ウィキペディアの内容まで変わってるし!!

(情報や定義なんてものは時代によっていとも簡単に変わっちゃいますしね・・・
誰でも編集できるウィキペディア情報なんて尚のことなのでしょう)



それで、最近はどうやら

===============

トランスセクシャル=性同一性障害者の中でも肉体的な性別変更(性転換)も、強く『望む』者たち

トランスジェンダー=異性装やホルモン療法のみで満足し、性転換までは希望せず、『元の肉体のままでの生活を希望する』者たち

==============

みたいな意味になっていたのです。目から鱗でした。


心の中で性転換を希望するか否かが呼称の違いっていうんなら、
例えば生涯ずっと性転換を望んでいても、諸事情で性転換できないままの層もトランスセクシャル層なんでしょうか。


性同一性障害者ならば望めば誰もが希望通り気軽に性転換できる世の中ではありません。

手術には保険が効かないので医療費以外の療養費・社会復帰までの生活費など諸々を計上すれば最低数百万単位の高額な予算が必要です。
医療ローンを組めるかどうかも病院によってマチマチだし、ローンが通るか否かも個々の信用や職業・収入形態で人それぞれ。性の問題を抱えないヘテロの多数者であっても。低収入・不安定な職ということが社会問題になってるくらいですしね。
当然MtF/FtM層でも経済力も満足な貯蓄もない人は大勢存在します。


また、つい最近話題になったニュースがあったが身体的な問題で性転換手術ができないような当事者もいる。
(性転換手術に限らないが、先天的な病気その他の身体上の問題で全身麻酔やオペ時の輸血を行えないケースがある)
性転換後の社会復帰や復職なども大きく関係してくる。その面では性転換は年齢的に早ければ早いほど有利だけども、歳を重ねればそれだけ性転換後にいざ戸籍変更して社会復帰や仕事をどうするかの問題もあって不利になる。(実際に高齢になって性転換を実現できたが、周囲の対応や理解を得られずいざこざが起きニュースになった話もいくつもある)


実は私も未だに性転換はできていない。

「希望面」でいえばそりゃ死ぬまでに性転換を実現してみたい。
でも近年は、自分のスキルの低さ・性格的に社会不適合な面から性転換を実現できないだろうなぁと半ば諦めの境地にある。


だけど別に性転換しない人生を強く希望しているわけじゃない。

そんな自分みたいな層も「トランスセクシャル」なんでしょうか?

もともとセクシャル(SEX)って言葉には肉体的な性、ジェンダーのほうは精神的な性別や社会上での性別という意味がある。

そこにトランス(移行)って付くならば、やっぱり
トランスセクシャルは性転換者、トランスジェンダーはGIDでも未性転換者で性転換の希望の有無は関係のない単純な括りのほうが妥当な気もする。

そもそも、そういう厳密な区別は不要という意見もあるので、

LGBTのTはトランスジェンダーということから、
性転換の有無に関わらず、GIDの有無にも関わらず(性転換してもGIDではないという層も存在するゆえ)、

とにかく性別移行者を総称してトランスジェンダーという呼称にしちゃったほうが便利な気もする。



ここ近年は自分のことを無難にトランスジェンダーと自称してきたが、
もしトランスジェンダーが性転換を望まない者みたいな意味があるのなら、
今後はトランスセクシャル自称に変更していかなきゃならない。

でも・・・
トランスセクシャルってトランスジェンダーより知名度低い言葉だよね・・・。
それに、今までの自分のように既に性転換してる人っていう誤解を与えかねない。
かといって性転換する気は毛頭無いような層という誤解もされたくない。

立派なMtFで性転換したい気持ちはあるけど諸事情で出来ないような層・・・をうまく表現できるような言葉があればいいのに。
そういう意味では、「タイ」はセクシャルマイノリティ呼称も広く細分化しており進んでいる。さすがニューハーフ大国。
余談だけどタイ王国は綺麗なニューハーフも、性転換した人も多い国だけれど、宗教や法律の問題で戸籍上の性別は変更できないそうな。
それでも戸籍の性別で左右されることがなくニューハーフ対応策も万全に用意されてるから困ることも少ないのでしょうね。





最後に日々のことでも。

私は今では見た目は十分にパスして(疑いなくフツーの女性として見られて)いる。
声も完全な女声とはいえないが女の声としては許容範囲レベルだと思う。

ニューハーフになりたての頃は、老若男女誰からも女として見られる、扱われることだけがただ嬉しくて、それ以外の感情はなかったのだけれど、
近年は男性から女として認識されそう接されると、内心申し訳ない気持ちでいっぱい。
女性からは別に女として見られようが男認識になろうがオカマ扱いされようが構わないんだけども(自分の中では天然の女性には決して敵わないもの超えられないものがあることを理解してるので)、
対・男性だと、やっぱり自分自身元は男だし男の心の機微なども知ってるからこそ
「ああ、この人は自分の性別知らないし完全に女として認識してるから笑顔で声かけてくるんだな~きっと真実知ったら酷くがっかりするんだろうなぁ」という後ろめたい気持ちでいっぱい。いっそ自分には関わらない方がいいよとさえ思ってしまう。
(既に性別を知っていて接してくれるのであれば逆に、もっとたくさん構ってという気持ちはあるのだけれども(苦笑))

ちょうど最近、「詐称問題」ニュースが賑わっているけれども、
我々トランス層も対人認識の面では詐称してるようなものだしね・・・。

もっとも、だからといって別に性別をカミングアウトするようなこともしないし必要もない。深い仲になる時だけカミングアウトすればいいのだ。

そういえば、何度も面識あるような仲になっても向こうから聞いてくるまでは・・・という気持ちで、自分からカミングアウトしないような人間関係も今までにあった。
けれど、いつの間にか関係をフェードアウトされたこともあったけれど、もしかしてあれは性別に感づいて身を引かれたのかな?と感じる。去る者は追わない。
性別を理解し、それでもなお真摯に接してくれる人とだけ人付き合いできるだけで十分なのだ。




それではまた、当分放置することになると思います。お元気で。
夜中にこっそり、お久しぶりです。

気づけば2013年も半ば、何気に今年初の記事です。
(下手すると今年はまたこれで最後かも?苦笑)


久しぶりに記事を書こうと思った動機は、
相も変わらずインターネット上での出来事について。

いやぁー、ホントだめですね~ジブン。


国内のネットサイトの多くは平気で他者に対する罵詈雑言やヘイトスピーチ、偏見などが飛び交っている毒沼だってことを少なからず理解しているし、特にセクシャルマイノリティに関する記事(第三者が匿名でコメントを書けるサイトは特に)はなるべく見ないようにしているつもりなのだけれど、ニュース関連でネット散策をしていると気づけばついつい目についてしまい、そして毎度のごとくお決まりのように心や自尊心がズタボロになってしまう。

ヘイトスピーチや偏見の恐ろしいところって、気に喰わない個人だけを対象に罵倒するだけではなく、相手の属性そのものを根本から否定することが多いってこと。

そして表面上は匿名だから、日常生活や現実では絶対に言わないであろう言葉遣いや怨念じみた発言が平気で飛び交う。
この事に対しネット上ではよく「現実では我慢してる事が多いからこそ、せめてネット上では我慢せずに言いたい事をなんでも気軽に全て吐きたい」と言う人がいる。
ネットとはいえ、ストレス発散を向ける相手は感情を持たぬコンピュータが相手ではなく、その先には同じ感情を持った人間が存在していることを分かってほしい。


もう1つは、どういった層やどういった人物が発言しているのか分からないという恐怖。
まだ現実で直接言われる方が幾分も救いはある。匿名だと、男なのか、女なのか、年齢層は、国籍は・・・など何も分からないゆえに、対処や対策のしようも無く、むしろ人間不信に陥りやすい。
よくサスペンス系アニメで、悪意ある人物をニヤニヤ微笑んだ黒い影で表現することがあるが、まさにああいったイメージ。現実では面と向かってネット上並に直接批判されることは滅多にないが、「現実は社交辞令の外面、ネット上では本心」という言い回しもあるように、現実で交流してる人も中には性のことであんなにどす黒い感情抱いてるのかなと不信になりがちなこともある。


当事者に明らかな非やマナー・モラル違反などがあって、それで本人のみが批判されるのは分かる。しかしその憎悪感情が拡大して、ここぞとばかりに批判ターゲットと同じ属性を持つ全ての人に対してもヘイトスピーチを浴びせ始める。
「人を憎まず罪を憎め」という言葉もあるが、加害者批判から罪そのものを批判することに繋がることは分かるのだが、罪でもなんでもない属性を批判する。

特定の宗教、人種、国籍に対して、それに該当する者は漏れなく批判対象というのはもはや世界的に日常茶飯事。

国内では最近だと身体障害者と飲食店間のトラブルが元で、その本人のみならず身体障害者全てを批判対象にしていた行為も目立っていた。

セクシャルマイノリティに対しての扱いも例外ではない。
むしろセクシャルマイノリティに対しての嫌悪や憎悪感は、
一部当事者のトラブルが元で全体批判に繋がるというパターンよりも、
当事者がメディア上に出たり、何か些細な事を発言したり、イベントをしたりなど、
ただの芸能行為として目立つ行為全てが批判の火種となっていることが目立つ。

その理由は明快だろう。
「生理的に受け付けない属性で、単純に気に喰わないから目立つ行為されると癪に障って批判する」
たったそれだけの単純で悲しく恐ろしい理由。
子供のイジメ理由にもあるような理由だ。

しかし芸能人という立場は、誰しもがそういった理由で批判される職業だ。
芸能人もそのことを理解して活動しているだろう。

それに特定の芸能人が批判されるときは決まって、その芸能人に限定して集中批判。
しかしセクシャルマイノリティや障害者、その他特殊な属性を持っている芸能人(公人)が批判される際は、高確率でその属性までもが批判され、全く関係のなかった第三者の同属性層も批判されることになる。

その事実がたまらなく憂鬱である。

ヘイトスピーチが嫌なら見なければいいという無責任で自己中心的な発言をする人もいる。
弱肉強食、言ったもの勝ち、悪質な罵倒行為を是としているかのよう。

そもそもヘイトスピーチが、限りなくクローズな場所で行われているならば
わざわざそこまで入っていって閲覧した方にも非はあるが、
近年ネット上に蔓延るヘイトスピーチというものは、例えれば街中の公園だったり道路脇だったりなどの開けた場所で行われている事が多い。
見ないつもりでも偶然通りかかって目に入ってしまう確率は高い。
ならばネットをしなければいいだなんて極論は、外出するなと同義であり、このIT時代無理な話である。

本来はSNSのような、登録しなきゃその中に書かれている事が読めないようなサイトでこそヘイトスピーチが行われるべきであり、それ以外の開けたオープンサイト上においてSNSのような現実の延長線的交流が行われることが望ましい。されど現状はそうではない。
世界的に有名な大手動画サイトのコメント欄でさえ、時折見るに堪えない。

今ではもうツイッターなどのSNS的サービスですらも平然と本人に対してヘイトスピーチが投げかけられるようになっている惨状。ショッピング通販サイトの評価コメントもその場になっている。


少し話を戻すが、最近は本当に定期的にセクシャルマイノリティ批判の書き込みを多く見かけるようになった。
セクシャルマイノリティが表舞台に出てくるたびに、対抗して批判勢力も高まっているのだろうか。
日本の場合は偏見に対抗するセクシャルマイノリティ団体も無いので、批判されたらグっと堪えて我慢するしかない。 批判されることも覚悟してのセクシャルマイノリティなんでしょと見当違いな発言する人もいる。その発言って、明らかにセクシャルマイノリティという存在を見下していて、批判されて然るべきという意識があるからこそ出てくる発言だからだ。

セクシャルマイノリティは、意図せずに"持って生まれてきた"ものなのに、
あたかも職業のように率先して"意識してなっていくもの"と誤解してる人が多いのではないだろうか。
だからそういう発言も出てくる。

セクシャルマイノリティを"自身の性的興奮のための材料"として誤解して見ている人も稀にいるが、その偏見も併せて解いておきたい。



さて、MtFトランスジェンダーに対しての意見の常套句の1つに
だって男だぞ」という一文をよく目にする。


ごくごく普通の一般男性が、ただ女装をしただけの時においてこの言葉が使われるのであれば理解もできる。

例えトランスジェンダーで、女性ホルモン投与もしていて見た目や肉付きが粗方女性的であっても、股間に男性のアソコが残っているならば、それも100歩譲って男と思われても仕方ない。

しかし「男だぞ」のフレーズは、時として性転換もしていて戸籍性別を変更してる当事者に対して使われることもある。
そんなのを頻繁に目にするたび、1つの疑問が浮かんできた。

「そもそも男の定義ってなんだろう、女の定義とは・・・」

身体医学的には性染色体などの遺伝子だけは変えられない。
でも染色体を意識して性別を判断してる一般人がいるとは思えない。

根本的な骨格の付き方も男女差は出てしまう。
しかし世界を見渡せば、骨格など誤魔化してしまうほど見事なプロポーションの人だっている。
そもそも、日常的に骨格で相手の性別を判断してる人なんているのだろうか。

生理や妊娠機能の有無・・・。これも女性の中には病気や体質で生理が無かったり妊娠できない人もいる。じゃあその人たちは男だろうか?否。

憶測だが、「男だぞ」と言わしめる理由はただ1つ。
あらかじめ相手の性別を知っていて、その先入観から来る感情から来る感想なのだと思う。
身体的特徴で粗探しをするのは、あらかじめ性別を知っているからこその後付けに過ぎない。

例え初見で女性だと認識しても、そのあとで相手は生物学的には男性であるという事実を知ってしまうと、それを受け入れたくなかったり許したくないのだろう。また、一度でも女性だと認識してしまった己の感情さえも認めたくないのだろう。
きっとその理由は、そこで認めてしまうと自己のアイデンティティや価値観が崩れてしまい兼ねないという恐怖感があるのかもしれない。

人は己の培ってきた価値観を変えたり崩すくらいなら、他者を否定してでも自己を正当するものだと聞いたことがある。
先入観や感情による否定というのは、とてつもなく厄介なものである。

しかし「男だぞ」という些細な一言は、言われた当事者にとっては生き方や人生、努力などを根本から否定されてるような気がするので、なかなかショックの大きいフレーズである。


嫌悪される感情はこういったものだけじゃなく多種多様、今述べたのはほんの一例。 
中には、「トランスジェンダーは男と女の両性の良い面だけを享受し、悪い側面からは逃げているように見えて腹ただしい」と感じる者もいるそうだ。

確かにそういう当事者も中にはいるだろうが、両性の良い面を享受できずに悪い側面しか体験できないという当事者も存在することを分かってほしい。
それにセクシャルマイノリティは子孫を残したり平凡でありきたりな一般家庭さえも築けないという充分な代償がある。場合によっては血縁関係者や幼なじみに距離を置かれたり縁を切られる代償もある。
それらの人としての根本的な大きな存在価値の喜びを得られない分、社会上において享受できるような両方の性のメリットなんて微々たるもんだ。
恋愛事情以前に、普通の交友関係ですら簡単に危うくなる確率も高い。
あるトランスジェンダー系シンガーソングライターの方が歌っていたが
「大切な人は友達くらいがちょうどいい」というフレーズ、今ならとても理解できる。


私だって、こんな半端な中間の性別は嫌である。
それでもこうなったのは、男として生き続けていたら遅かれ早かれ別の意味で取り返しの付かない事になっていたからだ。現在の性も満足とはいえないが、もし男のまま今も生きていたら、どうなっていただろうと想像もつかない。

しかしできれば、普通の男、普通の女のどちらかに生まれたかった。
普通というのは、男/女として生まれたことに一切の疑問も持たず、その性別で躊躇なく堂々と生きれる人生のことだ。


女というものを分かっていない癖にいっちょまえに女っ顔しないでほしい」と思って嫌悪してる人もいるようだが、そもそも生まれもっての女性には逆立ちしても叶わないし、本当の意味での対等にはなれないということも理解しているので、あまり気を尖らせないでほしい。

偏見や誤解というものは、実際の身の周りにマイノリティ当事者がいなくて
メディアやネットを通じたイメージであったり、
身の周りにいたとしても、自身が直接深く関わったのではなく間接的であったりする印象の湾曲であったりすることが多い。
また、マイノリティという少数特性である以上、たった1人だけと関わっただけでその印象がマイノリティの特性と誤解してしまうケースも多い。はじめて知り合ったマイノリティの印象が良くなかった場合は最悪だ。

男も女も、いろんな人がいる。身体的特徴以外で男はこうで、女はこうだと言えないのはみんなも分かっている。それと同じように、マイノリティも十人十色でいろんな人がいる事を知ってほしい。そして、良いイメージを持てるような印象を持ったマイノリティと直接知り合って打ち解けられる、そういう世の中であってほしい。



様々な思いが交錯して最終的に取り留めのない記事になってしまいましたが、
今回はこの辺にて失礼します。

ネット上においてヘイトスピーチを絶やすことは無理でも、せめてその場の感情任せでぽんっと一言平然と吐き捨てるようなヘイトスピーチや罵詈雑言が少しでも減ってくれることを望む。

とりあえず生存確認がてらに・・・。

お久しぶりです。 私はまだなんとかしぶとく生き続けております。


前回の記事から、ほぼ丸一年経ってるんですね・・・

最後の記事も、2011年の最後の月でした。

今回は2012年最後の月ですもんね。

月日の流れは早いものです。


ブログ記事を書くネタがなく原動力もなく、
長い間お休みしてました。


本当はまだ書きたい小言程度のものなら山ほどあるのですが
書いても書いても際限ないような気がしてきた上、
その一方で本当に伝えたかった事は既に書き尽くしちゃった感があるので・・・。

なので当分はまだ離れると思います。

時系列関係なく、これまでの過去のそれぞれの記事も伝えたい事を凝縮して綴ってきたので、
まだあまり読んでない方は是非過去の記事にてお楽しみください。