頑張って久々に筆を執った。

今年2回目のブログ更新。


最近、自分は鬱突入気味なんじゃないかと思うこともしばしば。

趣味のことでも前まで熱中できたこと、楽しめたことなどが日々そうでもなくなってくる。
一度のめりこむと延々とそればかりに打ち込むという性格も相まって
単純に飽きてきただけとも言えなくはない。


知り合いとの交流の一環でSNSやメールを介したお喋りも、
以前までは連日のように長文で語れていたけれども、最近はそちらの気力も激減し、
なかなか元気に頻繁に返信したり、前みたく長文送信できなくなってきた。


現実での人付き合いもかなり減少したほうだ。
収入も激減した。
出費しなくてもいいようにプライベートはもっぱら家に篭もっている。

まだ、数ヶ月に1度のペースで友人が外食やお出かけに誘い出してくれているので
それが僅かばかりの救いになっている。


私はもともとお喋り大好きな性格だったのだが、
人付き合いも減り一日中誰とも喋らないような日を何度も経験していくうちに
ずいぶんと寡黙な性格になってしまった。
頭の中ではあれこれ喋ろうと思っていても、その流れやタイミングに持っていけず、
結局「別に喋らなくてもいいか」となってしまう。
元々聞き専は苦手だったけど、いつのまにか聞き専役になっていた。
(相手の話を処理する能力が鈍くてうんうんと肯くだけになってしまっているけど・・・)
心身ともにだいぶスローになってしまったかもしれない。


声帯の筋力が弱まってまったく喋られなくなったというわけではない。
幸か不幸か、私は元来独り言の多い人間である。

軽度のトゥレット症候群(チック症)も抱えているので
家では日がな特定の言葉を連呼したり奇声じみた歌を歌ったりしているので発声力は衰えない
(人前では制御できるので、軽度と表現した)

ちなみに喋り声程度が簡単に漏れるような薄い壁のアパートなんかではないのでご心配なきよう。
万が一簡単に音が漏れる環境なら独り言も自重していたであろう。
独り言が自由に言える環境も、幸か不幸かストレス発散の1つになっているのかもしれない。

実は生まれつきADHDも患っているのではないかという濃厚な疑いもここ10年近く抱いている。
そっちの方向でメンタルクリニックを受診したことは一度たりともないので断定はできていないまま。



自宅では相変わらずインターネット浸りの日々。
たまの仕事ですら交流は少ないゆえに外界との接触が少ない分、社会の動きを少しでも知りたくて情報を得続けたいのだ。
テレビニュースや新聞は見ないけれどもネットニュースは毎日見て、
そういったニュースで世間の人がどのような心境や感想なのかを知りたくてしょうがないのだ。


しかし景気も世界情勢も悪い昨今。
インターネット上も依然として殺伐とした空気が漂っており、攻撃的な性格や口ぶりの人が目立つようになった気がする。
せっかくの情報収集先がそういう場所なので、余計に気持ちが落ち込んでいく。


ところで最近は「LGBT」関連のニュースが爆発的に急増したように思う。

性愛指向の「LGB」と性自認の「T」を一緒くたにまとめるのは乱暴だという意見も度々目にするし同意するけども、今回それは置いておく。


数日に1度はLGBT関連の何かしらのネットニュースを見かける気がする。
それに伴い、アンチ(嫌悪者)も増えていってるような気がしてならない。
ゴリ押しのようにLGBTニュースが流れ続け辟易としている心情も理解できるが、
LGBT批判や攻撃的な意見が目に入るたびに、益々気持ちが落ち込んでいく。


以前までは少しでもセクシャルマイノリティ(主にトランスジェンダー限定)
への誤解を減らしたり、認識間違いが元による誤解を解こうという大義心の元にブログを含めたネット上での書き込みに勤しんでいた時期もあったけれども、
個々の誤解や、解釈の大きな差は一向に縮まらない。

所詮、著名人でも何でもない一個人の自分がネット上の片隅で些細な活動に励んだところで意味がないし、なんかもうそういう事にもほとほと疲れ果ててしまった。

それに今でもまだトランスジェンダー、ニューハーフ、性同一性障害、男の娘といったような言葉の解釈が人それぞれバラバラだし、私自身の解釈も誤りなんじゃと思えるようになってきた。


幸いに最近は「LGBT」という乱暴だけど無理矢理な1つの言葉・1つの概念に集約されてきつつあるけれども。
いずれにせよそういった解釈違いでネット上でお互いに意図が通じ合っていなかったり
誤解や偏見の元になっているのを何度も目にすることすらも疲れてきた。

されど悲しいかな、完全にネット生活を脱却したライフスタイルは望めそうにない。



正直なところ、今の私は全然頑張ってもいないし、むしろダメ人間の部類である。
昔は自覚したくなかったが、歳を重ねるたびにそれを自覚でき受け入れることができるようになってきた。
 

また、トランスジェンダー(ニューハーフ)といえども、世間の人が良いポジティブな方向でイメージしているステレオタイプにも属していない。

全然メイクにもファッションにも美にも詳しくないし
一般女性以上に美を磨いているなんてこともない。

女性の中にも割とその辺のことが疎かで地味な女性っているでしょ?
私自身もまんまそれだと言える。


さすがに人前じゃ化粧して小綺麗にして言動や立ち振る舞いも最低限の気を遣うけれども
プライベートの普段の自分はとっても地味でボサボサな髪をゴムできつく縛って下着もつけず同じパジャマばかりで狭い部屋でグデーっとインターネット浸りの日々。
ぶっちゃけ気力も希望も夢も浮ついた話もない。

そういったことにズボラであることは、女とは言えないのだろうかと疑念を抱くこともある。
女っていったい何なのだろうか。

当然トランスジェンダーは子作り能力はないしその延長線上で家庭を築くこともできない。
(されども女性ホルモンの影響なのか母性本能は年々強まってるようで、1~4歳の小さい幼児を外で見かけると可愛くて可愛くて仕方がない反面、いろいろと辛くなる)

そういう弱点をカバーするように多くのトランスジェンダーは美に情熱を注いでいることも多い。

私自身が好きなことや情熱を抱いてる分野はぶっちゃけ、あまり性別は関係ない。

じゃあ美への飽くなき追求を辞めてしまったとき、
それはトランスジェンダーではないのかといえばそういうわけでもなく、
私は紛れもなくMtFトランスジェンダーなのであるし、少なくとも男として生を全うする気はさらさら無い。

別に女という人生を舐めているわけではない。
女は女で大変な人生なのだ。ならトランスジェンダーはその新たな性の人生を完璧なものにする義務があるのだろうか。

突き詰めると、私はもしかしてMtXと呼ばれる立場なのかもしれない。
Xジェンダー、男でも女でもない(精神的な)性。
結果的にトランスジェンダーという立場を選んでしまっただけで。
そう考えると辻褄が合うような気もする。

世の中の男だの女だのという違いや、両性間にある認識や価値観の大きな隔たりや壁が煩わしく思うこともある。

ちなみに性指向は、限りなくアセクシャル(無性愛)に近い、バイセクシャル(両性愛)。
男女どちらの対象にも好みがあるし、恋に落ちる可能性はあるけど、
基本的には性欲がなくてがっついてなくて恋に無関心。

どちらかといえば恋人よりも、趣味を熱く共有しあえる親友のほうが欲しいという心境。
学生時代にそんな相手が1~2人いた。うち1人は私と同じくトゥレット症候群持ちで、
お互いに変な言葉や合い言葉じみた造語をを延々と連呼しあい笑い合い、どんな話題も気兼ねなく話せ、かつ趣味も共通していた。
恐らくは今も、そういう仲を欲してるんだと思う。

しかし悲しいかな、そういった自分の精神や価値観が、実年齢に合っていないのだろう。
勝手に歳だけ取っていく。

いずれにせよ、どんな性別であっても今の自分はダメ人間であるということだけは確かだろうし
自覚できている。


最近は批判の的になっているのがLGBTだけではなく、
例の障害者施設の殺傷事件が発端で、重度障害者の立場や存在・扱われ方にもネット上で議論の的になってきはじめたように思う。


私は性別と経歴以外はニュートラル傾向だと思っていたけれども、
先述したようにもしADHDも抱えていたとすれば、益々自分は存在価値の低い人間なんじゃないかと
思わされるようになってきた昨今。