命日 | アラフィフからでも遅くない!!超意識を使って思い通りの人生を手にいれる

アラフィフからでも遅くない!!超意識を使って思い通りの人生を手にいれる

変わりたいけど変われない!!
それは自分の思い込みが自分の世界を創っているから。
その思い込みをまずは知る。
そしてその思い込みを変えていく。
それがなりたい未来に一番近づく方法だと私自身の体験で学んだことをお伝えしていきます。

{C3B8AD4B-EDB8-4676-B6F4-902627750A14:01}


今日はわが子の命日・・・

一般的にいう子供とはもしかしたら違うかもしれない・・・

子供と言っても生きて産まれてきてくれなかったわが子・・・

でも私には大切な大切な大切な子供


私はずっと家族が欲しくって

血の繋がった子供が欲しかった

何回も流産して治療して

子供が欲しくて
たくさん吸っていた煙草も
毎日3回以上飲んでいた鎮痛剤やその他の薬もやめて
一生懸命基礎体温もつけて
病院に通って子供を授かろうとしてた

授かっても流産する中、やっとやっとだった

毎日不安でいっぱいだったけど、
日に日につわりもひどくなっていって
そのつわりすら嬉しい毎日を過ごしてた
ほんとに幸せだったんだよね・・・

会社まで車通勤をしていたんだけど
吐きながら運転してたっけ
会社の人も優しかったな・・・

それまで甘いものは食べなくて
あんこなんて大っ嫌いだったのに
つわりで唯一食べれるのが豆大福とわさびたっぷりのお寿司だった
それまではお寿司もさび抜きだったのに
毎日元旦那さんも会社の人も豆大福を買ってきてくれてた

まあまあ順調に育って戌の日も迎えたし
性別も分かったし
準備もちょっとずつしてた
全部が初めてのことで楽しかった

始めての胎動は気持ち悪くて
でもこれが胎動なんだって感動したな・・・
不思議だった、とっても
そしてとっても愛おしかった

でも胎動をあまり感じなくて
どうしたのかな?
と思ったんだ
今日はおとなしいの?って

そう思った翌日が検診日

なーんにも考えずお腹を出してゼリーを塗って・・・

そしたら先生が何かを言ったの。

多分、心臓が止まってるって言ったんだと思う。

その後バタバタと看護婦さんとかが慌ただしくなった。

でも、実はよく覚えていない・・・・

ただただなにがなんだかわかんなくて

怖くて涙がでて

看護婦さんに言われるまま
元旦那さんに電話した
その内容も未だに覚えていない

ただ覚えているのは
ここは産婦人科で
みんな妊婦さんなのに泣いてちゃいけないってことだった

でも涙は止まらなくて隅の隅に座って泣いていた

元旦那さんが来た時もよく覚えていない
ただただ泣くそんな状態


その次の日は私たちの結婚記念日で
海の日の祭日だった
病院は今日明日はゆっくり赤ちゃんと一緒に過ごして
21日に入院するように言ってきたみたい
この辺もよく覚えていない

翌日、海を見に連れて行ってもらった
家族3人で行く最後の海
最後のドライブ
海に行った事だけはちゃんと覚えてる


でもね、最後まで信じてたんだ

きっと泣き声をあげて産まれて来てくれるって

最後の最後まで信じていた

無理やり陣痛を起こして普通に出産するしかなくて

無痛分娩の形を取ってくれたけど麻酔は効かず
丸1日陣痛に苦しんだ

陣痛はほんとに辛かった

元旦那さんのお母さんが
こんなの可哀想すぎます、なんとかできなんですか?
って泣いてたのをよく覚えてる
お母さん優しい人だなぁって思ったっけ

その痛みも最後まで頑張れたのは生きてるって信じてたから・・・
絶対に絶対に生きてるって思ってた
神様はいると信じていた

でもね・・・
そんな奇跡は起きなかった

その後のことはあまり覚えてないけど
高熱にうなされながら
周りの新生児の泣き声が本当に辛かった
逃げるように退院したんだ

それからが地獄の日々だったな・・・
おうちには新生児のもの
マタニティ用品だらけ
毎日泣いて自分を責めてた

そして周りに
人の優しさに牙を向けていた

早く元気になって次の子を・・・
って言われるたびに
次の子ってなに?
って食ってかかってた

この子の代わりはいないのに早く忘れて・・・
ってなに?って

生きて産まれてこなかったから戸籍もない・・・

でもね、間違いなくこの子は私の大切な大切な子供なの
誰が何と言っても子供なの
だから忘れろって意味が分かんなくて
全てを敵に回した・・・
そして自分を徹底的に痛めつけた・・・

わが子だけ死なせて自分が生きてることが許せなかった
笑っている自分に気づいて許せなかった
お腹がすく自分が許せなかった
なにもかもが許せなかった


でもね・・・死ぬこともできなかったんだ
早く早くお迎えに来てって毎日思っていた
命の欲しい人に私の命あげますって思っていた

いや、なによりもなによりも
彼の元に行きたかった
わが子の元に行きたかったんだ


そして元旦那さんにもたくさんひどいことを言った
元旦那だってきっと悲しかったはず

彼は言った
京子ちゃんが生きていてくれるから俺はそれだけでいいって

でもね、その言葉さえ受け入れられなかった
今思うと本当に申し訳なかったって思う
自分だけが悲しくて
自分だけが辛くて
自分だけが不幸だと思っていた


それから15年・・・

もう15年なのか
まだ15年なのか

ただ言えることは
こうして気持ちを表に出せるようになったのは
この15年という月日のお蔭かなと思う
そしてこの私に関わってくれた人のお蔭


今年は一人で会いに行った
一昨年も去年も一緒にいって見護ってくれていた人も今はもういない
今日、一人で行ってね、その見護っていてくれた愛に気づけた
あったかいあったかい愛に
ありがとうって心から思えた


去年、わが子にいろいろ約束したことがあって
それを守れなかったこと
なぜそうなったのかなど
たくさんたくさん話してきた
もちろんそこに行かなくても話せばいいんだけどね・・・


そして彼がもしいま生きていたら15歳
その姿を想像して私も歳を取るはずよね・・・
って思った
身長はどれくらいだろう
どんな声をしているのだろう
どんだけイケメンになっていただろう
といろいろ想像してみた・・・


でも…
できるのならあの日に帰って
心臓が止まる前のあの子に会って抱きしめたい
抱いて抱いていつまでも抱きしめたい・・・




もしタイムマシンがあるのなら・・・






{0F9C6239-BE2B-4B3E-B813-387B8B49B11C:01}