武田家の氏神として崇められきた歴史ある神社です!
武田家の初代当主武田信義公はこの地で元服し武田姓を名乗るようになりました。
鎮座地の韮崎市神山町は日本武尊の御子武田王が宮を構えていた場所で、
武田王が葬られたと伝わる古墳(王仁塚)があります。
武田郷の地名は地神として祀る武田王の宮社が鎮座していたことに由来していると言われています(諸説あり)。
ガ━(llʘДʘll)━ン!
うそー!ブルーシート何ーっ!
通りがかりの氏子さんに伺ったら、
随神門が傷んできてるから改修中とのことでした。
鳥居の柱が肥前鳥居みたいに太くてシブイっすね
ブルーシートは前からも横からも通れるようになってまーす。
この先は長い石段があるため随神門が拝所にもなっています。
ちょっとちょっとちょっと、
ツキノワグマ出るの‥コワイっす ꒰꒪д꒪|||꒱
社殿のある石段の上は完全に山なんだよね。
下だってひと気ないし熊が出てもおかしくない静けさです(`Д`)
▲いい手水盤ですね
では熊除けに大きな声でお話しながら石段を上がっていきましょー (*ꂧ◡ꂧ)ノ
石段の上には舞殿。
▲舞殿
更に上がると拝殿です。
この神社の設計かっこいいっ(・∀・)
御祭神は
武田武大神(たけたたけのおおかみ=武田王)
足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと=第14代仲哀天皇)
誉田別命(ほんだわけのみこと=第15代応神天皇)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=第14代仲哀天皇の后 神功皇后)
武田八幡宮の御創建は弘仁13年(822)、
第52代嵯峨天皇の勅命で宇佐八幡を勧請し地神の武田王と合祀奉斎、
第56代清和天皇の貞観年間(859-876)さらに石清水八幡が勧請されました。
本殿は拝殿を見下ろすように建ってます。
反対側に回ると建物がよく見えました!
手前の小さな社殿は武田八幡宮の末社若宮八幡神社で桃山末期に造営されたものです。
▲妻入のとこにリアルな鬼の顔が〻〻
大きな本殿は天文10年(1541)武田信玄公による寄進。
▲本殿(国指定重要文化財)
為朝神社コッチの看板に誘われちょっと歩いてったら‥
源為朝⇒保元の乱で崇徳上皇方に付き敗北 伊豆大島に配流
出たよ、
また「熊に注意」三 (lll´Д`)
この風景まじ出るってば。
このフェンス‥信用して大丈夫なんだろうか。
( ఠ_ఠ )この山のどこかに熊がいる‥コワイ。
なんかこの先に建物が見えるけど、
あそこまで行く勇気が無いのよぉ( ;∀;)
10mで引き返しましたw
途中で熊が出てびっくりしたよ (^ω^)ノ
御朱印は社務所のとこにこんな感じで置いてくださってます◡̈
武田八幡宮の御朱印です!
武田氏のもう一つの家紋の花菱!
随神門前の鳥居から見える風景。
右〜の方には富士山が見えました◡̈
韮崎市いいところですね。
◆武田八幡宮
山梨県韮崎市神山町北宮地1185