令和2年10月31日参拝
ちょっと寝坊した2日目は盛岡八幡宮から。
盛岡総鎮守は外せない
まだ8時だというのに参拝者の多いこと‥。
もう七五三の支度を終えて記念写真撮ってる方がいるのです w(*゚o゚*)w
こちらも大きな自然岩が手水石。
どこかの滝壺にあったものらしく落水の衝撃で形成された水溜めが手水石にグー
御祭神は品陀別命(第15代応神天皇)です。
縁起については複雑な歴史背景から錯綜していますがざっくりまとめる。
南部家は清和源氏の流れを汲む一族ですから氏神は八幡神になります。
平泉討伐など戦功を挙げた南部光行が源頼朝から拝領した糠部五郡への入部にあたり旧領の甲斐南部郷から一族の氏神を勧請して八戸の櫛引八幡宮を創建しました。
時代は下り、
南部信直(初代盛岡藩主)が拠点を盛岡と定めると慶長年間(1596-1614)2代藩主利直を総奉行として築城工事が進められ、
寛永10年(1633)3代藩主重直が盛岡城へ入城します。
ところが寛文4年(1664)!!
重直が跡継ぎを決めずに急死した事で遺領10万石が弟2人に分割相続されることになり、
重信は8万石で盛岡4代藩主を継ぎ、
直房は2万石で八戸藩を立藩します。
この時から櫛引八幡宮は八戸南部家が管理していく事になります。
つまり南部家が分割されたことで盛岡南部家には新たな八幡社が必要となったのです。
そこで城から見て辰巳(東南)の方角にあった妙泉寺に移転してもらい、
延宝8年(1680)その旧境内を整備して造営されたのが新八幡、
現在の盛岡八幡宮というわけです。
廃藩後の城内八幡ほか神社については、
御神体が新八幡に集められたあるいは合祀、
または廃されたなどと資料によって記述にバラつきが見られます。
盛岡八幡宮は後ろ盾を失い衰退するが、
南部家の氏神から盛岡総鎮守として広く崇敬を集めています。
華やかな社務所の近くはお掃除が始まってたのでさみしい方を散策。
笠森稲荷や神明社の方へ‥。
一番右の殿舎がすごく見応えあります。
明治の盛岡大火で焼失した社殿の再建に先立ち建立されたのがこちらの大黒恵比須社でした。
上を見ると額殿も兼ねていて氏子崇敬者の思いがたくさん詰まった額が掛かっていました。
絵馬のトンネルの向こうは盛岡天神社。
コロナ禍に不安を抱いている受験生よ、
手洗いうがいと合格祈願で頑張れ〜
盛岡八幡宮の御朱印です。
東奥っていうと青森を思い浮かべちゃいますが陸奥の東方ということか。
境内の隅にあった奇石 大黒石。
◆盛岡八幡宮
岩手県盛岡市八幡町13-1