令和3年10月6日参拝
ヤボ用で学芸大学〜からの寄り道です☆
すぐ家に帰るのももったいないからさ、
Googleマップ(常に航空写真)を開いたらすぐ近くに仁王門→釈迦堂→阿弥陀堂と一直線の伽藍配置が見えたので来ちゃった!👀
山門の奥に仁王門が見えてますね ( ´◡`)ノ
一歩入ると緑の多いこと (*˘◡˘*)
右手には鐘つき堂、
梵鐘は寛永20年(1636)鋳造の重要美術品なのに除夜の鐘で撞けるとか。
円融寺は天台宗の寺院で本尊は阿弥陀如来です。
仁寿3年(853)慈覚大師円仁の創建と伝わり当初は法服寺というお寺だったのが、
弘安6年(1283)日蓮上人の高弟 日源上人の教化で日蓮宗法華寺となります。
しかし不受布施をめぐる混乱の末に元禄11年(1698)天台宗への改宗を迫られることとなり、
のちに円融寺と改称されました。
仁王門ではUV100%ガラスの凄さを見せつけられました。
影になってないとこ反射しちゃうから写真どころかいくら覗き込んでも仁王さんが拝めない 👀
江戸時代には参詣ブームが起きるほどの人気ぶりだったようですよ。
永禄2年(1559)に鎌倉扇ヶ谷の権大僧都 大蔵法眼によって作られたという仁王像、
というのも、昭和42年(1967)の解体修理で建立の記録を残す木札が出てきたとかなんとか。
仁王門をくぐった先に見えるのが旧国宝で国の重要文化財に指定される釈迦堂ですε(๑´▽`๑)ɜ
建立は室町初期と見られており、
東村山市の正福寺地蔵堂に次いで都内最古とみられる木造建築ですっ😆
中が見たいですよね〜。
釈迦堂が座禅会の会場になることがあるみたいなので機会あれば参加してみたい 👀
わたしは子供の頃から座禅ができなくて檀家寺の座禅会にも参加した事ないのでご迷惑おかけすると思いますが。
紐なし鰐口はコロナ禍以前からのようです。
仏さまにいい音色をお届けできない代わりに心を込めて美しく合掌🙏
拝所に立つと自分の方をバシッと向いてる扁額から見下ろされているような感覚です。
真横からの角度にもシビれた!
どこから見ても均整の取れた美しさ ♪( ´▽`)
写真だと小さく見えるけど実際には結構な大きさでした。
さらに後ろ、
新本堂として昭和50年(1975)に建立された阿弥陀堂はめちゃくちゃ近代的☆
中途半端なとこに休憩スペースとして建ってるのは旧中門だそうです。
椅子に腰掛けながら石ものコーナーをキョロキョロと (゚Д゚≡゚д゚)
どこから行きましょう?
これは日源上人供養塔ということなので日蓮宗時代の遺構なのね (`Д`)!!
石仏さんはどれもときめく✨
金龍地蔵尊の台座がかっこいいですε(๑´▽`๑)ɜ
如意輪観音さんは向拝が一部欠けてたけど阿弥陀三尊の梵字&願主銘がはっきり残っていて、
宝暦14年(1764)大日本六十六部廻国大願成就 武州高輪住人 米倉六兵衛さん、
66か国に法華経を納めるなんて立派なお方。
お隣の聖観音さんもいいお顔♡
圓融寺の御朱印です。
ゆるふわ〜な書法すごく好きです( ´◡`)
あとこれは家内安全のお札で500円。
大きさがB5サイズくらいあるのですごい迫力のお札です!
「正式には玄関の外に貼るものですが内側でも大丈夫ですよ」と言ってくださったけど今うちの玄関は角大師とか祇園のちまきとか魔除け系で大渋滞!
しばらく保管して新型コロナ感染症の鎮圧を見届けてからお札交代としたいですね。
1/8くらいのサイズがあってもいいなー(希望)。
■圓融寺(円融寺)
東京都目黒区碑文谷1-22-22
ーーーーーー✂︎ーーーーーー
・どーでもいいはなし
帰る時に山門で、
「あなた どちらからいらしたの?」
昭和29年から碑文谷に住み円融寺へは親しかった人の墓参りで度々訪れるというご婦人に声かけられた。
一生懸命写真撮ってるから旅行者かと思って気にしてくれたらしい。
「見ての通り立派なお寺よ、あちらにちょっとおもしろいものがあるのでご案内しますよ」と連れてってくれたのが西城秀樹さんのお墓だった!
大きくて立派なのはさること乍らデビューからのシングル全曲を刻み華やかな芸能人生を見事に表現された墓石です。
近くには渡哲也さん、王さん・張本さん(共にご存命)のお墓がありました。
わたしが生まれた時にはすでに大大大スターだった方のお墓に手を合わせるのは不思議なことですが誰もがいずれはお墓に入る🙏
芸能人のお墓というのはなんだか時流の変化を認めざるを得ない現実的なもの。
親のそれでは現実逃避もあってなかなか適応できません🙄
ーーーーーー✂︎ーーーーーー
2022/01/01追記
大みそかの圓融寺に行ってみたくなって、
急きょ碑文谷へ向かいました。
キラキラの釈迦三尊に涙が出そう!
優雅で品のよろしい仏さま
ステキでした🙏