蔵前神社(台東区蔵前) | ハニーちゃんがゆく!

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令和4年2月11日参拝

都営浅草線or京成本線 蔵前駅A0出口から徒歩3分です。

上田で見た日輪寺の額が蔵前神社の別当住職の揮毫と知って久しぶりに来てみました。

特に何か調べるといった目的ではなく、

旅先で知った情報の繋がりで何とな〜く旅をするのが最近のわたしのスタイルだったりします。



相撲協会から奉納された玉垣。

中央の相撲協会に続いて41代横綱千代の山、40代横綱東富士、大関栃錦に先代の林家正蔵といったBIGスターが名を連ねます知らんぷり



左側も中央の相撲協会から第42代横綱鏡里、43代横綱吉葉山、大関三根山などなどちょっと不満



嬉しいことにお手水使えました🙏

柄に水を伝わせる動きが懐かしくてギクシャクしてしまった。



蔵前神社って八幡さまだったのですね!

御祭神は誉田別天皇(ほんだわけのすめらみこと)・息長帯姫命姫大神倉稲魂命菅原道真公塩土翁命です。

元禄6年(1693)8月5日、

徳川五代将軍綱吉が江戸城の鬼門除けの守護神として石清水八幡宮を勧請したもので通称は蔵前八幡または東石清水宮。

別当寺の雄徳山大護院は御府内八十八ヶ所の第45番札所を務めていました。

また、蔵前神社を含めた有力寺社の配置は北斗七星になっているとかナントカ。



正式名称は明治初年から石清水八幡宮→石清水神社→石清水八幡宮と改称され、

戦後に近隣の稲荷神社と北野天満宮を合祀して蔵前神社に改称となり、

平成7年に創建当初からの鹽竈神社遥拝殿を合祀して現在に至ります。



江戸における勧進相撲の始まりは蔵前八幡と(深川八幡とも)言われています知らんぷり

天保4年(1833)以降は回向院で行われるようになり、

明治の終わりに初の常設型相撲場となる初代国技館が回向院境内に建設されました(のちに蔵前→両国と移る)。




素人の力持も人気があったそうで、

力石を持ち上げた男たちの様子を描いた錦絵の写しがこちら。



雪が残ってることに驚きました 👀

前日は都心でも大雪が降るよー!って言われてたのがうちの辺りは一瞬だけ雪で雨寄りのみぞれだったのですが、

あんぐり台東区では結構降ってたようです。



お花屋さんでよく見かけるミモザってこんな大きな木?

離れて見てて花が咲いてるのかと思ったらまだ全然つぼみでした。



境内は関係者の方が慌ただしく初午のあと片付けをなさっていたおかげで神輿庫から本社神輿がチラッと見えてた♡

境内社:福徳稲荷神社


帰りは朱の鳥居から〜パー



御朱印は書置きでいただいてます。

実はこの書法でいただくのは初めてなのと、

以前は青い副印がなかったので今日の御朱印は特別に新鮮な感じがします。



しばらく境内を散策してると対応してくださった奥さまが社務所からとことこ出ていらして賽銭箱へゴトゴトっとおそらくわたしがお渡しした御朱印代を入れて二礼二拍手。

わたしも後ろで(それわたしの300円ですよ〜)と神さまにぺこり。


◆蔵前神社

東京都台東区蔵前3-14-11



・どーでもいいはなし

古地図アプリを見たら別当大護院は御府内45番だったことがわかりました。

今の45番は元浅草の観蔵院‥ 近いぞ。



最近は御府内まわってないし、

ちょうど78番成就院でもらった札所地図持ってたのでこの後いくつか行ってみました!