いつまでも鳴り響いているのは、25時の追跡 | ufocluvのブログ

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気ままに音楽の話でも・・・。

 大森信和様



 あなたが亡くなった時、僕は出張中でした。出張から帰り、とある甲斐バンドファンのメールで、あなたの死を知ることになります。確か、6日か7日になっていたのではないかと思います。

 思い出すのは大森スマイル・・・・。86年の武道館でギターを高く掲げた大森さんの姿。再結成時のクールな佇まい。体調を考慮しながら参加したであろうNHKホールでギターを弾いていたあなたの姿でした。

 レコード会社のプロデューサー時代、2回お見かけしています、1度は、1987年にファンハウスに行ったときです。就職活動で、もちろんあなたが働いているファンハウスは、自分にとっては第一志望でした。残念ながら、音楽業界で働きたいという夢は、夢のまま終わり、僕は地元に帰りました。でも、音楽活動は続けていて、馴染みのライブハウスにBEGINが来る時、駐車場で車の誘導をして欲しいと言われ、少し早めにライブハウスに行って時間を潰している時「車は、裏に止めていいの?」というあの笑顔。あっけにとられ何も言葉にできない自分の横を別のスタッフが「大丈夫ですよ」と案内に行きました。

 わずかな時間でしたが、お話できたこと、今でも嬉しく思っています。「一世紀前のセックスシンボルのリブが一番好きなんだ」と直接大森さんの口から聞けたことは、ファンとしては自慢であり、誇りであります。「息子がね、音楽が好きなんだ。」と息子さんのことも話してらっしゃいました。あの頃は、本当にステージには、戻るつもりはなかったのでしょう。当時もらった名刺が、転勤による荷物の移動のため紛失してしまったことが本当に残念です。

 掲示板でも何度か質問に答えていただきました。真摯に答えてくださるその姿勢が、ラジオで甲斐さんがおっしゃっている通りの方なんだなと感じることができました。

 僕の、ハガキを読んだ後の甲斐さんは、「あれは、いい番頭でしたね」と言いました。「人間は目玉で行くか、支えて、支えてって・・・」と甲斐バンドが大森信和によって支えられていたことをボソッと話していました。

 大森さんを偲ぶ会は、夜の部には行けず、大森さんのギターを、コレクションを見てみたいという一心で、昼の部に行きました。娘さんのコメント「私にとっての父はチャーハンをつくってくれる」という言葉に涙がこみ上げそうになったのですが、近くに松藤さんたちがいたので、我慢しました。たくさんのギターを目にし、演奏はなしということでしたが、一郎さんはじめ出演者の皆さんのご好意で、ライブも堪能しました。

 デジマートで大森さんと同じタイプの335を探し、横浜まで買いに行きました。何回払いにしたかなぁ(笑)

 ことあるごとに登場する335。甲斐バンドの武道館で、大スクリーンに映し出された大森さん。25時の追跡でした。曲が終わるとステージに立てかけられた大森さんのギターにスポットが当たったんです。会場はどよめき、その時の、割れんばかりの歓声は大森さんに向けらていました。

 一郎さんのブログで13回忌と書いてあり「ああ、もうそんなに」と時の流れは、はやいなぁと感じました。つい数年前、再結成に狂喜乱舞したはずなのに、1996年は20年前になってしまったんだなと・・・。

 それでも、鳴り響いているのは25時の追跡です。どんなスーパーギタリストが僕の目の前に現れて、感動し、尊敬し、アイドルになっても、一発のチョーキングで僕を震わせてくれるのは、大森信和ただ一人です。

 甲斐バンドは、BIG GIG AGAINを開催するそうです。1983年、自分の弓道の試合で静岡にいました。だから、後から映像作品で見ました。1986年の8月7日、大学生になっていた僕は、日本武道館での試合の帰り、一人弓を担いでZONEに行きました。ボーッと空き地を眺めていました。何人かそういう人がいました。同じ思いでここにいるのかな?と思いました。

 チケットの抽選は6日に結果がわからないので、今の時点で行けるかどうかわかりませんが、是非参加したい。一緒に楽しみましょう。大森さん。

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7月5日、ギタリスト大森信和さんの命日です。ただただ思いついた言葉を並べました。僕にとってのナンバーワンギタリストは欠番なのですが、13回忌を機に、大森信和はナンバーワンギタリストではなく、僕の中の「ギタリストの殿堂」入りが決定しました。つまり、今日から僕にとって、大森さんは殿堂入り、他のギタリストとは別格ということになりました(笑)