「障がいのある子も、ない子も、悩むところは一緒」

 

 

そう言葉をかけられることがあります。

 

 

我が家は今のところ、

長男アツは健常。(病気はあったけど)

次男ソスケは障がい児。

 

障がのある子を特別視されたくはないから

この言葉は嬉しいハズなのに

 

「障がいのある子も、ない子も、悩むところは一緒」

 

 

言われるたびに、心の奥底がチクっと痛んでいました。

 

なんだろう?この、違和感。

 

ちょっとした痛み・・・・キョロキョロ

 

 

 

たまに自分を見返すときがあるのですが、

今回はこの「チク」を考えてみました。

 

 

特別視、差別はされたくないけれど

なんか違う。それがこの「チク」

 

 

アツとソスケの育児に何が違うんだろう?

 

私にはこの2人で比べるしかできないので

もしかしたら他の人は「そうでないことで、チク」があるかもしれないけれど

 

今回は「私」の話、ということで読んでもらえたら嬉しいです。

 

 

チク。

 

 

決定的に違うのが、

いくらお腹の中でダウン症と分かって

妊娠継続を望んで

生まれてきて

 

だけれど・・・・

大きな決意があったわけじゃなくて。

 

 

ただ、わが子とサヨナラはできなかったし

 

周りからの「きっと大変だよ。」の言葉も

その時は、誰もダウン症児を育てた人の言葉じゃなかったから

信ぴょう性が全くなかった。

 

ただ、想像だけで「大変だよ」を信じて

お腹の子とサヨナラできるほど強くなかったし

生んで育てる!というほど、強くもなかった。。

 

最大に違うのが、ここ。

 

 

誕生を、誰もが喜んでくれたわけじゃない

 

というところ。

 

 

いくら自分がいいと思っても

身近な人からの反対に対抗できるほど、私は強くなく

 

育てたことのない不安

知らない不安で押しつぶされそうなとき

 

「お兄ちゃんが虐められるかも?」

「障がいのある子を生んだんだ・・・・」

「おめでとう、って言っていいですか?」

 

今思えば

「虐められてないし、もしそういう場面が来たらその時考える」

「そう、産んだ。わが子だから。」

「おめでとうに決まってるじゃん!」

 

なのだけれど

 

当時はそれを言う元気が心に残っていなくて

 

人が生まれることは「おめでとう」の、はずなのに

そうでないことが少しでもあることで

「母の私」の心は怪我しちゃったのですね。

 

 

なぜ元気に生んであげられなかったのだろう

 

 

自分で自分を責めていました。かなりの間。長い間。

 

 

いくらお医者さんから

「お母さんのせいではないですよ。」

「たまたま起きる染色体異常です。」

 

と言われても

 

きっと同じ場面になったら、きっと母ならそう思う・・・・

 

 

なんで元気に生んであげれなかったんだろう?

なんで元気な子を生めなかったんだろう

そんな私は母親失格・・・

ダメな母親・・・・

ダメな人間・・・・

 

 

 

私はここまで責めていました。

 

次男ソスケを、大事と思えば思うほど・・・

 

その想いは脳裏から、離れませんでした。

 

 

 

「障がいのある子も、ない子も、悩むところは一緒」

 

 

一緒なのだよ。育っていく上では。

遅かれ早かれ、なんかみんな似てる。

 

「何度言ってもきかない。」とか

「もー、毎日同じこと言ってるのよ!」とか

「また同じことして怒られてる」とかね。

 

 

だけど、心にある傷は

いったんできた傷は、元には戻らないから

 

一瞬「なかったように」は見えるけれど

 

何かのスイッチで、ドバっと当時にフィードバックするのは

 

たぶん、

「障がいのある子も、ない子も、悩むところは一緒」ではないところ。

 

 

なのかなぁ、と思ったりしてます。

 

 

何か同じことがあった場合、

例えば

 

アツの担任に

 

「アツ君が、授業中、ちゃんと受けてないんですよ。」

 

 

と、言われたら

 

「それ、先生の授業がつまらないんじゃ?」

「ちゃんと受けるような授業したら?」

「ていうか、それ言われても困るし。」

 

って、瞬時に思っちゃうのだけどキョロキョロ(それもどうなの)

 

 

同じことを、ソスケの担任に言われたら

 

「すみません!ソスケがちゃんと受けなくて!」

「受けれるように私のほうでも考えます!」

「ごめんなさい、ごめんなさい。」

 

って、瞬時に思っちゃう私がいて

 

これってきっと

心に傷があるから

「ごめんなさい」の傷が疼いて

 

「学校に迷惑かけて。お世話になっている。」

が、強すぎて生じちゃう気持ちなんだろうなぁなんて思ったりしてます。

 

ここが、絶対的に「違うところ」なのだと

今のところ感じています。

 

 

同じなんだけど、同じじゃない

みんな違う。

でも、みんな同じ命。

 

みんな違う

 

が、やっぱり居心地いいなぁ。

 

 

 

「障がいのある子も、ない子も、悩むところは一緒」

 

 

 

「そうは言えませんよね。

こう言ったらなんですが、

6歳になっても3・4歳の発育って言ってたじゃないですか?

6年育てていて、3・4歳。それがいつまで続くか分からないということ。

そこの大変さって、やってみた人にしか分かりませんよね。

でも、想像しただけで大変だなぁって思います。

長いだけでも。

いつ終わるか、終わりがくるのかすら分からないということ。

ある程度したら、育児が終わるとか 

手が離れるとか

それが見通しつかないこと。

それが大変なんだろうなと思います。」

 

 

と、言ってくれた友人がいます。

 

そこも本当にあって。。。

 

「どの子も一緒だよー」

「ソスケだけじゃないよ」

「子供なんてそんなもんじゃない?」

 

って言われるけどね

やっぱ違うよ~。

 

いい悪いじゃなくて、「違う」ってことを理解してくれると

とっても心が安らぎます。

 

そうやって、本当の意味で分かりあえる仲間が出来てきたことは

とっても嬉しいなぁ。

 

 

と、オチのない話ですが

脳内ぐるぐるまわってたことを

文字化してみました。

 

 

ソスケを美化しすぎる人に、ろくな人はいない。

(何かに秀でているんでしょ?

得意なことが1つはあるんでしょ?

天使なんでしょ?

みたいなやつ)

 

 

これはもう絶対、かな(笑

 

3年前のソスケ。

 

スマホむけると、この顔してたなぁ(笑

 

 

 

 

 

東京都産業労働局長賞を受賞

「ブルーメッセージプロジェクト」

 

 

なくなり次第、終了予定
📖わが子がダウン症と告知された81人の"声"はコチラ

※TBSドラマ「コウノドリ」に使われました

 

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