ボクが車中泊をしているのは、旅、を、一つにはできるだけ安い費用で行うため。もう一つには、自分のその時の気分で自由に好きなところを訪れて腹が減ったらその時に食べて眠くなったらそこで寝る、という「自由さ」がある。
どちらがボクにとって大事かというと、...よくわからない。

では次に、何のために旅をするのか?
・・・そんなことが完璧にわかったらその時点で目的が達成できたとして、旅をやめるような気がする。

ただ、
例えばボクは日本史は落第しかけて追試を受けたことがあるんだけど、車中泊の先輩である兄貴はボクと違ってある意味歴史オタク。
だからボクには見えないものが兄貴には見えるようだ。

ボクは例えば関ヶ原にたまたま通りかかった時、特にこれといったことを感じなかったけれど、兄貴はまさに、ここを目的地として旅をして、普通に見れば特別なものもない(記念碑くらいは立ってるだろうけれど)田園風景に、武将どもの戦いを観て、感慨にふけったらしい。

・・・もちろんこのようなドラマを見るためには、歴史の知識(というよりはそれなりの思い入れ)が必要だ。ボクが兄貴と同じ場所に立って半日いても、そんなのは何一つ見えない。耕運機ってスピードが遅いな、とかいった感慨?だけ。

幸か不幸か、我々ニンゲンは、目で見たままのものを心に受け入れているわけではない。目に映ったものをこの歳になるまでに経験した、学習した情報のフィルターをとおして見ているのだ。
純粋に風景を見つめるなんて、できない。

ボクは自然科学が大好きで、風景はその方向で見てしまう。
だからボクが関ヶ原を見たら、
・・・この辺りは昔は海だったんだろな...と反射的に考えて、目の前には大海原或いは少しずつ陸化していってる沼地が見えるし、もっと昔を振り返ればカンブリア紀、アノマロカリスが、今も日本の所々で生息するカブトガニの先祖の横っ腹を食い破る風景が目に浮かぶ。
関ヶ原の戦いがオダノブナガとトクガワイエヤスの争いだったかどうかなんて、ボクには想像の外だ。古代生物たちの戦いの場であったことは確かだが...(-。-;

車中泊にかかわらず、旅をする際には、
1.あらかじめその土地についての知識を集めるだけ集めてから旅行する。
という楽しみ方と、
2.できるだけ知識を集めないで、まっさらな心で旅行する。
という楽しみ方がある。
各自の好みで選べばいい。

ボクはどちらかというと2.のやり方が好きだ。その土地の情報は行ってきてから旅のことを思い出しながらネットで探す。

問題は、このやり方だと、
その土地の名物、ボクにとって特に大事なのは食べるもの、例えば土地の魚や貝や酒、を、
帰ってから知って、くやし涙にくれること。

でもそれが次の旅への誘いになってくれるから、それでいいんだ。

何度もなんども訪れればいいんだよ。
そうするうちに、本やネットからではなくて、現地で得た知識だけで、
現地を見ることができるようになる。それが本当にその土地を知ることなんだよ。

何べん訪れてもそこで昔誰と誰が戦ったかはさっぱり知らないままで(ナウマン象と原始日本人とはいろんなところで戦ったはず。関ヶ原においても、多分。本来の関ヶ原の戦いとは、このことをさすべきだとボクは思う。戦の数は、はるかに多いはずだから。
えー、・・・忘れてください...。)、

・・・単にその土地の酒と肴に関して知るだけではあっても...(^_^;)