イエスの奥義を語る 後編 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



現代でも私達以外にも
イエスの奥義を使用していた人物は勿論存在しています。


私の心の師でもあるアダムスキーがその人です。


アダムスキーは原稿などなしに
3時間ぐらいの講演でもその後の質問でも
とめどなく語り続けていたそうです。


勿論、政治家や弁論家の中には
それに慣れていることから延々と原稿なしで
語り続ける人間もいますが


彼らは心の知識を持ってその価値観を語っていたに過ぎず

回数を重ねて語り続けても彼らには新しい閃きや知識が
与えられることはありません。


しかし私達が語るのは創造主の法です。


その知識を与えてくれるのは
私達の心ではなくて魂であるからこそ閃きを利用することで


その知識はどんどんと増えることになりますし
理解はどんどんと深まります。


更にはいつまでもとめどなく語り続けることも
可能になるのだと思います。


アダムスキーに関してはそれを多用して
稀には誤った印象をそのまま伝え、
後で矛盾しているように見えた箇所も在ったかもしれませんが


語っている言葉の数の多さを思えば
私達は人間なのですからそれは仕方がないと思います。


皆も実践を繰り返せば
私が感じたものと同じ感覚を受け止めて
それがその事だったのだと認識できると思います。


そしてその究極の?状態は一種のトランス状態です。


おそらくは左脳という心を司る機能が通常よりも動きを弱めたために
私はそれをトランスと感じたのだと思いますが、
半ば目がうつろになった気分の状態、


つまり左脳がはっきりと機能しない状態へと移行するようで、
通常の状態に照らせば半ば意識が朦朧としているような左脳の状態で
私達は無意識のうちに言葉を並べ続けることになります。


もっと言えば目が見ていないが勝手に感じているような
いわゆる「心ここにあらず」のような視覚状態を
感じることになると思います。


一方ではもう一つの意識の経路である
魂の経路らしきものがとても感じやすくなり
其処から言葉があふれるような状態だと言えます。


キリスト教徒には神への冒涜と言われそうですが
自分が創造主の意識で満たされているような
そんな錯覚に陥るわけです。


もっと詳細を示せば
自分が語る言葉の想いに自分自身が影響を受けるような
そんな感覚です。


(悲しみの感情などは容易にハイテクで引き起こされるので
混同しないようにしてください)


でも実際はそれは錯覚ではないはずです。


私達の魂が元々は創造主の一部であり
その想いは創造主の意志に違いないからです。


もっと判り易く言えば、自分が言葉を発しているのではなくて、
何か別の意志に従って話をさせられているような
そんな感覚へと落ちるわけです。


そしておそらくはその状態を延々と維持しては語り続けていたのが
イエスキリストとその使徒達だったのだと思います。


私は夏前にブログ後継者を探したことがありますが
実は其処までの感覚含めて
実践できるような人を探していました。


私が脳機能が壊れてそれが実践して見せることが出来なくなる前に
自分の体験を引き継いで貰いたいと願っていたのですが
相手が見つかりませんでした。


(脳機能が未だ活発で右脳が潰されていない
20代30代の理解者を探していました)


結局それは叶いませんでしたし
自分もその後はそれを体験する事も出来なくされてしまい
半ば諦めていました。


一方では私がそれを詳細に紹介する事で
地球の法則、闇政府の傀儡たちに
それをも利用されることを恐れていましたが


今はそんなことを言っていられる状態ではないと思いますし
怪しげな預言者達が出てこないうちに
真の預言者を大勢増やすことが出来ればと思います。


私達であれば現代の社会に
”イエスの奥義”を復活させることが出来るはずです。


そして更にそれは見えない強い協力者によって
支えられる事になると思います。


アダムスキーも、その側近も語っていましたが、
天使達は創造主や天使達について理解しようとする人間
それを語ろうとする人間に絶対に力を与えてくれると思います。


天使や創造主を想う気持ちは
彼らには容易に受け止めることも出来るのです。


もちろん私達に対して与えてくれるのは創造主の意志に代えて、
”彼らの想いと知識”という形でです。


彼らはテレパシーの達人です。


そしてその強いテレパシーは
私達が魂の経路をしっかりと使用できない状態でも
私達に影響を与えることが可能のはずです。


つまりは私達は天使達の想いを受け止める
真のメッセンジャーにもなりえるという事。


怪しげな宇宙人のアセンション話や
いかにも地球の価値観に囚われている人間が
語ったような偽宇宙人の言葉でなく、


私達に与えられるのは
あくまで閃きであり印象では在りますが
語りだすと知識が止め処なくあふれる体験をすることになるはずです。


私はブログ記事を書く時でも脳機能がはっきりとしている時には
それを強く感じていました。


毎回長い記事ですがその下書きを
一気に書き終えることも頻繁にありましたし
以前は一日に記事を三つも書いていた事もあります。
(一時は予備の記事が50もあったのです)


それと彼らには、”脳へと必要な記憶を植えつけて
それを必要なタイミングで引き出すことが出来ると言う技術”があること、
アダムスキーの著書を読んでいる方は気がついていると思います。


私達もそんな体験をする可能性があります。


勿論私達はそれを閃きとして受け止める事になります。


彼らは覚醒者、もしくは覚醒に向かいつつある人間を把握していて
今も導こうと勤めてくれている。


私はその事を確信しています。


そして私達がイエスの神の国の奥義を使用しようと勤めれば
其処には絶対協力を受ける事になると信じています。


私達はその時に身をもって理解する事になるはずです。


心の意識に従って語るのではなくて
魂の意識を感じて語ると言うこと、


自分が成すのではなくて自分の体を通して
創造主が成している状態をです。


それはほんの短い体験かもしれませんし
延々とその状態を維持することは出来ないと思います。


しかしその時に私達はイエスキリストが言っていた
言葉の意味を確信し


更には心ではない、意識の経路の存在への信頼を
絶対的な物とする事になると思います。


誰もいない部屋の中でかまいませんので、
他人に対して創造主の法を理解を求めるつもりで
語ってみてください。


そしてそれを繰り返し練習して欲しいと思います。


権力のある人間や、司祭や神父には出来ないことが
私達には出来ると思います。


それは私達が真の創造主の法を理解しているからですし
私達が心ではない魂と言う存在を意識し続けているからです。


そして今度こそイエスの奥義をこの社会から
消し去ってはいけません。


まだこの社会の中に存在している
サタンの意識に囚われていない人たちを創造主の法へと導いて下さい。

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ところで聖書を読む時はその前提で読む習慣をつけてください。


例えばパウロの手紙は、
イエスの奥義を意識して自分の魂を感じることで
其処に啓示された創造主の意志を語ったものだと言えます。


もしかしたらその啓示を与えてくれていたのは
天使達かもしれません。


12使徒には常に天使達の協力が見え隠れするのです。


イエスキリストの時代には、ひそかに神の役を演じて見せたり
時には奇跡を演出することもあった天使達ですが、
(天からの声など)


イエスキリストの様に自分の体を持って
おそらくは延々とトランス状態にもなることで
創造主の意識を語り続ける事まではできなかったでしょうし


それを協力したのは天使達の想いのはずです。


そしてこの奥義を使用するに当たっての注意事項があります。


アダムスキーが印象を受けた時に気をつけるように言っていた
「私達が心を持ってそれを捻じ曲げてしまう可能性」です。


パウロの手紙を読むと、イエスキリストを神聖化するために
時には心を持って語っているために


魂からの印象としての創造主の法を語るにあたり
自分の心の価値観と織り交ぜてしまって


一部誤った解釈をしている箇所が
ローマ人の手紙の中では見られる気がします。


私達の心の価値観は、
時には魂からの印象を捻じ曲げることになりますし


そして誤った解釈はそのまま
真理を捻じ曲げることにもなります。


キリスト教徒を語る人間の中には啓示を受けたと称しては霊界を語り、
パウロは地獄に落ちたと誤りを話す人間もいたようですし、
私達は印象を慎重に受け止めて語る事が大切だと思います。


例えば人工想念とも言える電磁波による意識を送られて、
それを創造主の想いと勘違いしては語るようなことは
私達は避けなければならないのです。


音声送信と言われるようなハイテクを使用した
脳への声の語りかけは問題外です。


それは”声や音の送信”であり端からテレパシーではないからです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11438199880.html
御霊の齎すもの、魂とテレパシー


指針となるのは、第一にその閃きが
今まで私達が学んで来た事と比較して
其処に矛盾がないかどうかと言うこと。


アダムスキーの生命の科学の中の例え話の様に
”蚤がイヌを散歩いさせている”などと言うイメージが
与えられてもそれは真理でないことは明らかです。


魂という感覚器官を使用して受け止めることになるのは
創造主の意志だけではなくて、天使達からのテレパシー


さらにはこの社会の他の人間の想いも同様に受け止める事があることを
忘れてはいけないと思います。


ハイテクに拠る強制想念もその一つです。

妙な閃きや印象を感じることになりますが
その受け止める内容は俗的です。


創造主の法を前提に、
パウロがイエスの奥義で語っていたことを前提に
パウロの手紙を読み直してみてください。


今日は少しだけ触れて見ます。

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また、貴方がたの手足を不義の器として罪に捧げてはいけません。
むしろ、死者の中から生かされた者として、
貴方がた自身とその手足を義の器として神に捧げなさい。

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ここでの手足というのは私達の肉体の事だと思います。


それを罪に捧げると言うのは
”心のエゴに従って行動する”と言う意味、
つまりは”肉の想いに従う”と言う意味です。


”死者の中から生かされた”と言うのは
イエスキリストが人間を死者と呼んでいたように
パウロも私達の社会の人間を”死人”に例えているのだと思います。


生きてはいるが、目を持って物を見ているが、
耳をもって聞いているが、それで思考して悟ることがない。。。


そんな人間達をイエスキリストは死人と例えていました。


一方イエスの奥義を理解しては、
それを実践することを勤めていた人間達は


皆が魂という意識を理解し
想いによって生きることを選択した時に父の元に返ったわけです。


つまりは放蕩息子の父親が語ったように
「死んでいたものが生き返った」のです。


そしてパウロはここで自分の肉体と意識を
心のエゴではなくて創造主の意志=魂=御霊にこそ捧げて
その思いを実践しなさいと語っているのだと思います。


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というのは、罪は貴方がたを支配する事がないからです。
なぜなら、貴方がたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

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心が司る想いは肉の想いであり
それが意識するのは罪だと言うのがパウロの話でした。


当時の人間達は心を持って、
人間の作り上げてきた戒律を意識して生きていました。


つまり彼らの意識の経路である”心”は
罪によって支配されていたわけです。


しかしイエスの教えを理解しそれに従う人間は、

人間の作り上げた律法ではなくて
創造主の意志によって生きる事になります。


創造主の意志=御霊の賜物は
様々な”恵み”だとパウロは表現していたはずです。


つまり魂に従って生きている人間は
恵みの元に生きている。


そういう意味で語ったのだと認識できます。

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それではどうなのでしょう。
私達は、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、
ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません

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「心に従うことをやめ、つまりは人間の作り上げた
戒律に心を、持って従うことを止めたと言う事で
私達は罪を犯そうと言う意識に駆られるのか?」


とパウロが投げかけている言葉です。


罪は人間が心の価値観を持って行動した時に
それが創造主の意志とは異なることから
作り上げられる事になるものです。


人間の作り上げた律法の中には道徳のようなものもあり、
それを破る事は勿論、創造主の見えない戒律に於いても罪ですが、
私達にはそれ以外にも見えない罪が沢山あります。


それは創造主の意志と異なった行動をする事で
認識される様々な行為や想いです。


ただ私達は通常それを罪と認識できないがために、
人間の律法を守る事で自分は正しいと勘違いしています。


そして魂の意志は創造主の意志なのですから、
(他の想念と区別することが必要にはなりますが)
それに従って生きることになれば


この創造主の作り上げた世界においては
罪を犯す事はなくなることになります。


ただそれを実践する事があまりにも難しいために
天使達であっても未だに創造主の戒律の下では
罪を犯すと言う実態もあるようです。

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貴方がたはこの事を知らないのですか。
貴方がたが自分の身を捧げて奴隷として服従すれば、


その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、
あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。

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心のエゴに従って生きれば罪を重ねることになり
魂の意志に従って生きれば、言葉は悪いのですが
創造主の想いに服従することになり義にいたるのだと言うことです。


私達の財宝を積む場所に私達の心があると
イエスキリストは表現していました。


現実社会に財を積む人間は三次元の意識の経路である
心を意識し人間の戒律に服従して生きることになります。


イエスが天の国と読んでいる場所に財を積む行為は
そのまま無償の奉仕のことでしたし


それを実行している私達が意識しているのは
魂に他ならないことになりますし、
その時私達は魂に服従していると表現されることにもなります。

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神に感謝すべきことには、貴方がたは、もとは罪の奴隷でしたが、
伝えられた教えの規準に心から服従し、
罪から解放されて、義の奴隷となったのです。

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創造主の法へと導かれた人間は
心のエゴから開放され罪の奴隷ではなくなり、
魂を意識して行動することで義を行う者となったと言う例えです。


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貴方がたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。
貴方がたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷として捧げて、
不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷として捧げて聖潔に進みなさい。


罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、
自由にふるまっていました。


その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、
何か良い実を得たでしょうか。
それらのものの行き着く所は死です。


しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、
聖潔に至る実を得たのです。


その行き着く所は永遠のいのちです。


罪から来る報酬は死です。
しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
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パウロはここではイエスキリストを
永遠の命を与えてくれた象徴として取り上げています。


私達の”肉の弱さゆえに”と表現されていますが


「貴方達は心に囚われているゆえに魂の想いをそのまま語っても
理解できないだろうと想定して、
心を使用して理解できるような話をしている」


とパウロは語っているのだと思います。


私達の心の持っている価値観では
律法といわれる人間の作り上げた法律を守れば
心のあり方には一切の制限がありませんでした。


つまり私達は神の”義”に関しては自由に振舞っていた
(無視していた)わけです。


そして改心した人間であれば、
その当時の心の持ち方からは何も良いものが
与えられ無かった事が理解できるでだろうと言っています。


その行く末は”死”だとも取り上げていますが、
これが単なる”死”であれば
心に従おうが魂に従おうがそれはいずれ訪れることになります。


しかしそれに続く表現に、”永遠の命”とある事から
それが”肉体の死”ではなくて”魂の死”を
意味しているであろうことも想像つきます。


つまりは第二の死の実態の事です。


心に従い心が与えられている人間の戒律に従うことで
形式ごとを守っていても


心のあり方を義から遠ざけ続ける事で
私達はその命、魂を失う事になる。。。


一方では心に従うのではなくて、
魂から与えられる創造主の意志に従って生きる事で


私達は精神的な進化を果たし父の元に返り
永遠の生を受ける事になる。。。


パウロは私達の理解している創造主の法と
まったく同じ事を語っていたことが判るはずです。

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今現在の日本に当てはめて厳しい話をすれば


心を持ってユダヤを怖がり、地震を怖がり、
それによって齎される肉体の死を怖がり
彼ら人間であるはずの存在の秩序や戒律に心を持って従っても


その時は10年余計に生きながらえたとしても
私達の意識が真の義である創造主の意識から
かけ離れ続けることになるのですから


私達は魂を消滅させる危機をも持っていることになります。


彼らの教えは、少なくとも魂の創造主の意志を表現したものではなくて
人間の心を持って作り上げた価値観だからです。


つまりは今の社会の私達は心を持って心の戒律と罪に
支配されていることになります。


2000年前のパレスチナ地方で起きていた事とそっくり同じことが
今では世界規模で引き起こされている事になります。


しかも今回は天使達の直接の救済は無いのです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11427067077.html
ヨハネの黙示録
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11431690695.html
ヨハネの黙示録 第二章


この社会の人間が創造主の法に導かれて
永遠の生に進むか、


それとも心を持って人的戒律に囚われ
神の前での義を無視して魂を消していくのかは

この社会の人間の行為にかかってくると言うことです。


天使達はこの社会の人間が父の元に返るように
想いを送り続けていてそれが多くの人間の覚醒のきっかけ

精神的目覚めのきっかけとなっていると思います。


しかし彼らが出来ることは其処までで、
実質的に地球社会を締め出された天使達が
この社会に再臨することは今の状態ではありえません。
(SDIなど対宇宙兵器が軍事衛星で彼らの宇宙船を狙っています)


50年前に彼らこの社会の守護神を地球の権力者達は拒否し
今ではそれを無視するだけでなく
地球の敵対者のように印象付け続けているのですから


彼らはこの社会には介入することが出来ません。


実際にこの社会を変えることが出来るのは
この社会に生きている私達だと言うことです。


私達が人としてあるべき姿を真理の欠片として
皆に知らせて理解して貰うことがそのきっかけになる。


そしてもしもこの社会において
誰もが今のままの状態で心と魂を腐らせ続ける事になるのであれば
その時は。。。


そんな日を迎えさせないためにも
私達が真理の広報を続けなければならない。


そしてそのためにもイエスの奥義を
理解者と覚醒者がマスターしてくれることを願っています。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.


極端な話をすれば、日本を沈没させると脅かされて
その圧力に負けて彼らに従って生きることで、
彼らの秩序に従うことで、例え20年長く生きれたとしても


その間に魂を今以上に腐らすことになり
その結果創造主の意識からかけ離れ、行く末が魂の消滅であれば


イエスキリストの言葉の様に


肉体を殺すものを恐れるのではなくて、
魂を殺す創造主を恐れろと言うのが
私達覚醒者の持つべき覚悟だと思います。


今のこの世界は地道な改善が社会に齎されているのではなくて、
一般市民まで巻き込んでの地道な改悪を辿る可能性まで
見えてきたような気がします。


友愛支配と言うぬるま湯に浸かりながらです。


私の想像ですが、この社会の人間の半数は以前にも触れたとおり、
個人個人の清算の時を迎えていると思います。


急激に増えた人口が新たな魂の増加を意味するのであれば
新しい時代を担うのはそんな魂を持った人間達だと思います。


古い魂はこの世紀末と言える世界の中で
過去からの清算をも求められた審判を
転生の法則をもって受けることになる可能性があると思います。


今のこの社会が何らかの形で一つの区切りを持つ事になるとすれば


其処までの社会を作り上げてきた
その中で無自覚の転生を繰り返してきた私達は
特別な審判の時を迎えているのかも知れないということです。


私達の魂の選択肢はおそらくは四つ。


魂の消滅。


記憶を持っての転生。


地球と同規模の惑星への記憶を失っての転生。


そして新たな魂と共に次の社会を作り上げていくための
地球での記憶を失っての転生です。


勿論これに関しては何の証拠もありませんし
私の勝手な想像だと思ってください。


私達は過去のカルマの清算の状態や魂の状態によって分類され
ここで一つの時代の区切りが起こるのだと思います。


ただし、それは個々の人間の死ごとに与えられるもので、
まとめて最後の審判が来るという意味ではないです。


私は天使達の応援を信頼してもいます。


それが叶わないのならそれは仕方の無いことだと考えても居ます。


私達にとっての直接の守護者は
2000年以上昔から彼ら太陽系の兄弟達だったからです。


彼らが居たから私達の今現在の文明は存続出来た。


私達はそれを理解することが出来るはずです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225509554.html
聖書のイエスキリストの奥義
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11301379416.html
聖書のイエスキリストの奥義 改
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11329829392.html
続・宇宙の法則 VOL6 イエスの奥義前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11330640319.html
続・宇宙の法則 VOL7 イエスの奥義後編