松本城の北側にある、松本神社。
間違っているけど、面白い伝承が残っています。
ほぼほぼ 史実に沿っている話もありまして…
なかなか、興味深く楽しませてもらいました。
松本城と関係が深いと言われている、(ほぼほぼ正しいと思われる) 由縁をまとめて、
松本神社の歴史を振り返ってみたいと思います。(・ω・)ノ
松本神社の話
五代目松本城主、戸田松平康長の正室・松姫と、
二人の間に生まれた永兼は、短命でした。
松姫は1588年、24歳で亡くなり、
永兼が1619年に、40歳でなくなりました。
1629年、嫡男だった、永兼の異母弟・二男の忠光も32歳で亡くなり。
1632年、康長が71歳でなくなったため、
家督を16歳で三男の康直が継ぐと、
婦女子に病が続いたとか…
康直は、
「父より先に、嫡男たる男子が二人もなくなり、病気もはやっている…。
これは…家督を継げなかった長兄の祟りに違いない」
と、恐れおののき。
1634年、18歳で、明石にて、急逝しました。
嫡男が若くしてなくなるという、不幸な出来事が続いたため。
家督を継いだ13歳の康長の二男・忠光の息子、光重は、
1636年、菩提寺である、明石の全久院に新宮を作って、永兼の霊を祀りました。
そして、1698年。
新宮の名を、暘谷霊社と改めました。
1726年、戸田氏は松本藩へ赴任となり、松本へ戻ってきたため、
全久院は松本城の南側へ移され、
暘谷霊社は松本城の北側に移されました。
暘谷霊社を護るため、弥勒寺を東横に建てました。
1797年に、今宮八幡宮(戸田氏の先祖・戸田宗光)、
片宮八幡宮(戸田氏以前の三河国田原領主・一色義遠)を。
1831年には、共武大神社(松平康長)、淑慎大神社(松姫)とを合祀し、
五社としました。
五社は、戸田家のご先祖様を祀る神社で、
戸田のお殿様が参拝するためのものでしたし、
松本城の三の丸にありましたので。
江戸時代は、一般の人が参拝出来る神社ではありませんでした。
明治になって、お城が開放され、五社へ皆が参拝出来るようになった時、
暘谷霊社の謂れを詳しくしらない一般の人が、楽しくお話を捏造してしまったのでしょうね(笑)
1914年、大正時代になって、
松本城内にあった、若宮八幡宮(松本城の前身深志城の築城者・島立貞永)を移し。
⬇︎松本城若宮八幡宮跡
⬇︎松本神社 若宮八幡宮拝殿
昭和時代の1953年、若宮八幡宮との合祀を期に、名称を松本神社と改めました。
松本神社は、
戸田松平康長と松姫が、大変夫婦仲が良かったとされていることから、
二人がお祀れされているこちらの神社も、
縁結びの神様となっております(・ω・)ノ
縁を結んで欲しい方はどうぞ、お参りにいらしてくださいね。
ではまた。