『論語』ー儒教思想と、『韓非子』ー法家思想の認識 | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

八月第一週のリベラルアーツ初級者コースは、旅行その他の事情で欠席が多く、参加生徒が私立中学1年生一人だった。
でもここは「反骨精神」。生徒が少なければレベルアップのチャンスとして。今回予め考えていた『韓非子』の解説を後回しにして、まず『方丈記』、『平家物語』、『徒然草』の鎌倉文体の背後に神道音読の音の幼児的経験があったのではないかということの確認を、音読を通じて行った。ついでに鴎外漱石の文体の基についても解説した。
最初に、鴨長明も占部兼好はもちろんのこと、最も数多く読まれたと思われる『大祓祝詞』をカタカムナ音読で読み下し、その後『方丈記』冒頭、『徒然草』第一段を「神道読み」し、この文体が極めて祝詞文体と通暁することを再確認し、その上で『平家物語』を音読すると、これが「祝詞系」ではないことが確認され、おそらく源氏同様、経典音読文体が背後音にあることが確認される。
次に、『韓非子』キモ部分㊙を読んで、いじめ問題制圧とからんで生徒と討論。

—韓非子の思想はある意味で正しいが、これでは人がついて来れないので、たとえこれを知っていても、対外的にはそのことを知らないことにすることが正着。

当然の認識である。結果として、儒教読書は表明してまあ損はないが、法家思想読書を表に出すことはバカのやるべきことであることを認識し、東大漢文出題から『韓非子』を読んで、法家思想と儒教的仁愛主義の使い分けについて考察を迫った。
私は良い授業ができたと思われることを歓びに感じる。生徒存在に心から感謝する。
ここで行われていることの「コア」が、全ての受験に打ち勝つことを充分に包含する日本語了解能力の向上の試みであることは言うまでもないことである。
自分の「正論」である授業を理解して、暑中生徒を通わせる親御さんに心より礼申し上げる。
大丈夫ですよ、私は「本当のこと」をお子さんにお伝え啓発しました。