たまにこの手が話しに上がるかもしれません。
この論議がもし有ったとしても、
それに対する答えはズバリ、”不等号( > )”でしょう。

君達は”動物を殺すな”と言うが、植物も同じ命だ。
植物を殺しても良いのか?

を勝ち誇ったかのように、
「どうだ!ぐうの音もでないだろう!」と言う人には、

以下を優しく説くことです。


ベジタリアンに対して、これを言う人が居るかもしれませんが、
この問いかけに対しての答えは、あまりにもシンプル。

『植物を殺すことと、動物を殺すこと。』

--- どちらが”残虐”でしょうか?

--- この両者の間の残忍さにおいて、”不等号”は、全く付かないでしょうか?

間違いなく不等号が付きますよね?

この両者が”全く同じ”である訳が無い。
間違いなく不等号が付きます。

”残忍さの差の有無について”反論する方が居るとして、その場合言いそうなのが、
「”どっちが残忍なのか?”は人それぞれで、どっちが?なんて決められないさ」
なんての有りそうですが、そういう人には、
「じゃぁ、あなた自身その手で
バシバシ動物殺す事を想像してみて! 
それと、草刈るのとが
本当に、同じ感じ事項で、同じ感覚ですか?」

で充分。
これで足りないなら、論議以前の問題。その人個人の背景になにか特別なシガラミなどがあるでしょう。
他の話題に切り替えられるようなら、そうして、まず険悪にならないように注意して、
人同士で仲良くなれることができたら、
おたがいを認め合える状態となって後には、動物愛護にも理解が進む展開が期待できるというもの。

さて、この両者(動物を殺す行為と、植物を殺す行為)は違うこと、同一ではない訳ですから、

--------------------------------------------------------------
仮に、
植物を殺して良いとして、

その判断が、

そのまま動物までをも殺す行為の肯定材料に、

なる訳が有りません。
--------------------------------------------------------------

『植物を殺して食っているのだから、動物だって同じ命、だから動物だって殺したって良い』

仮に上の論理が成り立つとしましょう。

そすると、
恐ろしい事に以下も成り立ってしまいます。

『動物を殺して食っているのだから、”同じ動物”の人間だって殺して食ったって良い。』
なんてことが成立してしまいます。

なに馬鹿なこと言っているんだ!と言えますか?

植物と動物よりは、家畜とされた彼等と我々人間との方が、”あらゆる意味”で近いです。

”植物だって同じ命、だから動物だって”っとの言う人には、

あなたの言っている論理だと、
この”人間も食って良い”なんてことになっちゃいますヨ。確実に。

つまり論理の展開方法自体がそもそも成り立ちようが無い。
所謂、”話が飛躍し過ぎ”ってやつですね。


以前に確かこんな場面が現実に有った気がしますが、
上記などを理詰めで言い込める事で、
相手に嫌悪感を抱かれたくなかったので言い返しませんでした。

でその場には嘘かホントか屠殺作業をピストルを使って実際にやっていたと名乗る人がいました。
その場となった喫茶店店主の友人だそうで、そのことを店主に言うと、そんなこと言うわけ無いとききいれませんでした。その店主は私の説得を反故にし、新興宗教イベントに尾っぽ振って参加したオオバカさんです。私はあなたこそ会長になってと説得したんですが。
話し戻しまして、
その屠殺作業をしていたと名乗る人は私を凄い目つきで睨み付けました。
そんな視線を浴びる筋合いがどこにあるのか?
肉を食べるなんて基本的なことを否定されてたまるかとの憎悪が向けられました。
肉に関わる仕事をしている人なのかもしれませんね。

人は自己擁護、自己肯定をするためななどんなに湾曲した理屈でも作り出し、
相手を悪として断罪してしまえた事例ですね。

欧米では第一次産業を担う者としての誇りを持っているといのちの食べ方で紹介されていました。
が、
わたしがベジタリアンとしてその価値を説く会話の中にどんな風に相手を攻め立てる文言があったか
分かりませんが(なかったと思いますが)、理不尽にもあのキツイ視線を忘れられません。

そのカフェの店主は、恐らく知る人の印象とは異なり、
私にとにかく活躍させたくないとの意図が露呈する言動が多かったですねぇ。
不思議とそんな奴が多い。一体なにを目的に動物愛護活動をしているのか?自己顕示欲だろ!が多すぎです。とくに男性に多い。

私はそのお店が潰れそうだということで、
なんとしても助けようとお店の料理写真をべジナビで掲載できるようにと、当方の携帯電話まで使い方の説明書きまで作成しカラー印刷までして宅配で送ってもそれ使わない。愚か者を絵に描いたような人物。
で金銭以外にも色々トラぶってい居られましたようで、料理の味も酷い状態でした。
お店が潰れる経緯を見た気がします。

新興宗教に大喜びで参加するあたり、実際金に困っていたし、新興宗教に金もらってなびいちゃったと判断するのが妥当でしょう。
社会活動する人の多くがお金に困っている方が多いですね。
そんな傾向自体がそもそも良くないはず。
その次元が少なくない、ほかにも新興宗教の財力を凄いといって憚らず、当方が新興宗教と関係すること自体が連中への”肯定”につながり菜食界の問題の深刻化に加担する事だと問題を提起すると、突然離れていく、動物愛護での有名人がいました。大阪でデモやった青年も新興宗教から寄付貰ったか?の質問だけ答えなかった。なんなのでしょう?この人としての低次元さは理解不能。

話し戻しまして動物愛護問題では、
今にしてみれば上記を、優しいトーンで説明しえたのかもと思います。

何よりも先ず、この手の論議では、
相手を敵にしない事ですね。その方が重要。


さて、不等号が付く根拠がまだ必要でしょうか。


植物の命について

植物に対しても、動物に対してと少し似た”尊厳”的なことを感じる事が、確かにありますよね。
個人的には○○花も昔からちょっと苦手です。

一般的な話としても、あまりに酷い大規模な森林伐採や、
小さい範囲でも、なじみのあった森や庭などの木を伐採するのは、誰でも嫌ですよね。

そして有害な工業排水や原油流出、無計画な場合の漁業による生態系の破壊など、
海洋含めた自然破壊でも、それに直面した場合には、多くの方が、大きな、或いは少なからぬ罪を感じるのではないでしょうか。


でも、
動物達が大地の植物を食む光景は可愛くないですか?
そこに罪を指摘・論ずる必要が有りますか?


つまり植物の場合、

その一部を切り取る事がそのまま殺す事には、多くの場合なりません。
また群生している植物の一部を頂く事で、その植物が死滅する事は少ないです。

植物におけるその地域などの生態系を大きく変えてしまう行為は大きな罪となるが、
群生する植物の一部を頂き、その生態系の存続には影響しない程度なら、良しとする事で良いのではないでしょうか。

その程度に近い事なら許して欲しい。


ただこの理屈ですと、
動物でも、弱肉強食を含め地域の生態系が守られれば、変えなければいい。
つまり動物愛護ではなく、環境問題としての捉え方をする人が居ますよね。

これに対しては
下部に書きました”尊厳”での考え方ではと思います。


さて以上に対して、
さらに以下の反論が有るかも知れません。

『じゃぁライオンたちなど野生動物も弱肉強食じゃないか。彼らを攻めるべきなのかい?』

これに対しても不等号で説明できるのですが、
人間も、動物たちの弱肉強食の構図の中に含めて話した人が、うん十年前に居ました。
つまり、「武器を使わず倒せる相手なら食っていい」とです。
そういう考え方あるのかもしれません。

ここで重要な事と成るのが、
『人間の場合は、そもそも選択枝が有る』
という事です。現実的に。

我々人間は彼らを殺さないと生きられない訳ではないという大きな前提の違いが有ります。

まず我々人は野菜中心の食生活で、より健康に生きられます。
栄養の専門家も化学的な検証の結果菜食が健康に良いと言っています。
そして、
もし人間が野生動物達より高尚な立場だと自惚れるのなら、
自らの英知で、人間としての”理性”で、彼らを食わないという事を選択したい。
(霊長類でも菜食の種が有るようですが)

だから罪が少ない方が気が楽と言うのが正直な判断であり、
ここを否定する事は無意味でしょう。

- 確かに菜食になれるかどうかの実現性は別になりますが。


ただ、
『素手で戦って勝てる相手なら食っていい』と言ったその人は、
私が横に居ることで、楽しみにしていた肉料理が食べ難そうでした。
それに対し本当に申し訳なかったです。その時の事を今もよく思い出します。

そんな事もあって、余程必要が無い限り、私は菜食である事を話しません。ダイエット中ですとか言います。


ただ以上の理屈が成立したとしても、
理屈で勝った負けたより、

お互いに共有する部分を見つけ、
そこをお互いが大事に思う事から始めないと何も齎さない場合が多いかもしれません。

それは例えばペットです。

多くの方がペットを飼っていて、それを食料として考えられるかどうかを問うべき。
家畜動物とされる彼らとペットの差は人間のご都合でしか無い。
人間ですから、武器を持つことが出来て、結果弱肉強食でも勝つ様になり、
さらに畜産として効率化していきます。特に問題なのがこの効率化の部分かもしれませね。

どの段階で彼らの尊厳が失われるのか?
どの段階で彼らの尊厳を考えなくて良くなるのか?

どの段階でも彼らには意思・感情があり記憶力が有り、恐怖心があり、
どの段階でも尊厳がある。

これを環境問題で捉える方に問いたいです。
環境問題だけで処理すべきかどうかをです。


動物達が殺される光景はどの方も見たくないと思うでしょう。
動物達をぞんざいに扱って良いとは、感覚的にも、大半の方がお思いにならないと思います。
考えない事に、見ないことにしているだけの部分が大きいと思います。

そして人間においては、
”他の選択枝” があるのだから、動物達と条件は同じではなくなります。


だからここに尽きます。

”完全”が無いのなら、選択枝があるのなら、
そしてそれらの行為に””があるのなら、
罪が少ない方がいい。
殺生が少ない方がいい。


~~~


以上は当方の考えですが、
大事な事は自分で考えて答えを見出す事です。
その事の方が重要かもしれません。

確かに、他の人たちなどの過去の経験を生かすという事は完全に正しいですが、
誰かに言われた”答え”とされる言葉を、ただ妄信し、
自身に貼り付けて、安心している人、
自分で物事の答えを考え、導き出していない人が多過ぎます。

そういう人は残念ですが、個として存在しえていません。

マニュアルを妄信するのは、
自分で物事を考えてはいない状態か人、という事でしょう。

そして、自分なりの答えや価値基準を持たない人とは、とにかく不安です。
自分で考えていないのですから自分に自信がもてない状態で、不安なのは当たり前です。

だからそんな人は、
とりあえず地位や、学識がある人とされる者や一般社会が認めたとされる『答え』を、とにかく自分にベタベタ貼り付けて安心したいんです。

『これは答えです!』
或いは
『今、これが流行っていまーす!』
なんて聞かされると、盲目的にワァ~っと群がる。

とにかく大勢という群がりに属す事で、安心したいんです。
ここに多数決が必ずしも正解を導き出さない要因があります。

”流行”ってご存知の通り、大抵一部の人たちの策略の元に生み出されてますよね。


日本人がマニュアルを妄信する民族になったのは、
日本の学校教育が長年、本質とは一切対峙せず、
”段取り”ばかりに終始し、
自分で”何故?”を考えさせず、
単なる便宜でしかない、”段取り”が、
本来なってはならない”主体”になってしまっていることに
起因しています。

つまり一番必要な本質的な問いを個々がしないという
国民性になってしまったのです。

一番大切な
『”答え”は自分で考えるものではなく、誰か用意してもらうもの』
から選ぶだけの安易さに対して、

だれも疑問を感じないという深刻な事態が、様々な物事をより深刻化していることに
どれだけの人が気付けるでしょうか。


策略を持った者たちの餌に、自分を落とさないよう、
また流行云々に限らず、
自分で考え、自分なりの答えを時間が掛かっても見つけることです。

そうする事で始めて自分自身が地に足が着き、個として存在しえるようになるのだと思います。


以上に似たケースで、
発言や文章に対しても、どう受け取るかで同じ振る舞いがよく起きますね。

社会的地位の有無や、その人物のバックボーンによって、
発せられた言葉に耳を傾けるか、どうか、が決定される事が大変多いですね。
これも世の残念な常でしょう。

これも、その人は自分で物事を考えられていない状態でしょう。


人の意見を鵜呑みにすること、
人の言う事をそのまま自分に貼り付ける事は、
様々危険が伴います。

騙されないように、自分自身の英知で目の前の物事を吟味しないと、
ご自身の人生を歩んでいる事には成らない事に気付きたいものです。

そして洞察力を磨く事ですね。


さて、ここまで読んでくださってナンですが、
何はともあれ動物の事については、べたですが、

▼映画『ファーストフード・ネイション』

http://www.tsutaya.co.jp/works/10099684.html
▼ドキュメンタリー映画『いのちの食べ方』
http://store.tsutaya.co.jp/item/rental_dvd/088291134.html

を先ずは見てください!(こっちの方が断然説得力あるのでしばらく繰り返します。。。)

これらの映画を見ることで、少なからぬ多くの方が、以上の屁理屈など不要に成ると思います。

(以上がそっち関係の方のを批判してしまう内容となってしまうことを、本当に本心で申し別けなく思います。その方々を批判したい意思は完全にありません。)


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