前回のブログUP後に病室へ戻り、16時過ぎに姉ちゃんと姉ちゃんの三男が病院に来てくれた。
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前日あった出来事を説明して、16時半過ぎに彼と緩和ケア看護師のIさんが同タイミングで部屋に来てトークをしてたら従妹も到着。
17時くらいから主治医と話しをする予定が、別の肉腫の患者さんとの話が長引くとの事でドトールさんに行ってお茶をして待つ事にしました。
思ったより時間がかかり、先生から呼ばれたのは19時近かった。
まず最初に、前日話した説明不足であたしを不安にさせてしまったと謝られた。
それから今までやった治療の説明を紙に書きながら姉ちゃん達メインで改めて話して、これからやろうと思ってる治療の事を話してくれた。
でも先生は、
ドキソルビシンをあと2回使ってどこまで効果が出るのかを試してみるか、
ガンを含め、病気そのもの自体を治すのには「免疫力」も必要なので、漢方薬等を使って免疫力を高めてそれで縮小させる事を期待するか、
治療自体を一切やめて緩和ケアのみでいくか、
…を提案しました。
緩和ケアのみだと抗がん剤等の治療は一切できないそうで、しかも希望者が多いから申し込むなら早めに申し込みをしてほしいと毎回言われるという事を言われた。
黙って考えていたら横に居た従妹があたしの肩に手を添えて、
「まだそこまで考えるのは早いよね?」と言ったので、「……うん」と答えた。
次に抗がん剤ドキソルビシン。
ドキソルビシン単体だと外来でも受けれるので入院じゃなく外来でやってみる事を再度、提案される。
1年前はドキソルビシン+イフォマイドの治療だったので、ドキソルビシンじゃなくイフォマイドが効いてるという事はないのか質問したら、
「教科書に載ってるくらい1番肉腫に効果があると言われているのはドキソルビシンだからそれはないと思う」という返答。
「前までは使える薬があるからとりあえず色々と試して頑張ってみよう」って先生は言ったけど、最近はそういう事を言わなくなった、と突っ込んだら、
「僕の説明が悪かったから余計な不安を与えてしまった事は本当に申し訳ないと思ってる。
正直に言うとYellowさんの肉腫はガンなのか肉腫なのか本当に見分けるのが難しいって病理からの診断で…。
でも最終的には肉腫だろうっていう結論にはなったんだけど、肉腫が脳に転移するという事もあまり聞かないんだよね」と言われた。
この言葉もショックだった。
「じゃあ、ガンマはやった意味がなかった?」と聞いたら、
「いや、そんな事はないよ。勿論、意味はある。今までやった抗がん剤も意味がある。
あとは免疫力も大事で、人間の身体は常に病気にならないように免疫力が戦ってるんだけど病気になった体も免疫力が常に戦ってるのね。
だから免疫力を上げる薬を使うのもどうかなって考えてはいるよ」と言われた。
「抗がん剤とその免疫力を高める漢方薬を併用する事はできないんですか?」と聞いたら、詳しい事は分からないから調べておくと言われました。
あとは先生と看護師さんに、とある理由で少し怒られ(爆)て抗がん剤をやるかどうかの選択を待たれました。
「ドキソルビシンはたった2クールだけど大事な2クールでもあるからやってみない?量は減らすけどね」と聞かれた。
量を減らす理由を聞いたら、前主治医がドキソルビシンを結構な量を使っていて、どれくらいの量を使ったか正確な量がカルテを見ても詳しく記載されていないから分からない。
故にオーバーしない、でも使っても効果がある量を投与する、との事でした。
「前主治医のカルテの筆跡が雑すぎて解読するのが大変」、というのは現主治医の前の主治医(現在はM大を辞めて海外に行ってしまった先生)が言ってたけど、
10年前は電子カルテがなかったとしても、せめてそこはちゃんとして(泣)って思いました…。
っていうか、さり気なく前主治医をdisってしまった、スミマセン(苦)←
「ドキソルビシンが終わったらどうなるの?」と聞いたら、
「また考えるけど僕の中ではGT療法に戻そうかと思ってるよ」と言われた。
父と叔母が祖母の年金を当てにして祖母の家に寄生しようとしてる事とかを先生が精神科A先生から聞いたかは分からないけど、セカンドオピニオン自体も結構なお金がかかる事を前に心配していた。
姉ちゃんが大阪の先生のセカンドオピニオンの話を出したけど、
「その先生が治療する訳ではないし、僕達が考えてる治療以外の提案はない気がする」と言った。
今回のドキソルビシンの治療は心臓に負担がかかる事を彼や友達がかなり心配しているのもあって、中々すぐに「やります」という返事が出ませんでした。
投薬前は必ず心エコーをやらなければいけないし、受けるなら投薬前に心エコーの予約を入れると言われたんですが、
「外来でやってみないかな?」と先生がもう1度あたしに聞いて、彼や姉ちゃん達の質問にもしっかり答えてくれた。
生きる事に執着しつつも悪い方ばかりに考えがいって落ち込んだ前日、
「悪いモノは1つずつ潰していけばいい。必ず良くなると信じてるし、Yellowちゃんが選んだ選択なら俺も協力する」と言ってくれた彼。
ガンマナイフが終わってから毎日のように吐き気や嘔吐(もしくは大量の唾液)が出て、食事も美味しく食べれてないけど、あたしはまだ生きたい。
今、どれだけ治療が大変か叔母から聞いて少しは知ってる父(多分、妹も)から何一つ連絡がないけどちっとも悲しくない。
むしろ、仮に生きる事を諦めてしまった時に悲しい想いをさせてしまう人達の事を想像するのが辛かった。
それにあたしはまだまだやりたい事、行きたい場所、会いたい人、食べたい物がある。
働く事や車の運転は禁止されてるし、
激しい運動はできないし、
子供を産む事もできないけど、
両足で立って歩けるし、美味しい物も食べれるし、身体の痛みだって少ない麻薬で抑えれてる。
応援して励まして下さる人もいっぱい居る。
「大丈夫」と自分に言い聞かしてる訳ではないけど頑張ろうと思った。
なのでリスクはあるけどドキソルビシンをやる事にしました。
同意書にサインはしました。
まだ渡せてないけど…。
先生との話が終わった後に先生は手続きで退席。
それからケースワーカーの人達との話に移行して1時間ほど喋りました。
姉ちゃんや従妹が話す父や叔母の事に看護師のTさんは、「Yellowさんから少しは聞いてたけど冗談じゃなかったんですね(苦笑)」と言っていた(笑)
ケースワーカーの人は車椅子以外にも介護ベッドを借りたらどうかと提案してくれました。
本当は前に車椅子を借りた時も提案されたんですが、「自分で寝起きくらいは出来ます」と言って断ったんですよね。
でも、入院生活が長いと介護ベッドの便利さに慣れてしまい欲しくなりました(爆)
「安く借りれる所を探すから考えてみない?」と優しいお心遣い。
「家に居ると1日の大半をベッドでゴロゴロしてるんだから借りればいいじゃん」と従妹に言われ、
彼にも「家に居ると基本的に寝てるんだから(略)」と言われたのでレンタルする事にしました(;^_^A
あとは医療費の事。
祖母の家は父と叔母の事は完全にスルーして、姉ちゃん達が引き払うように動いてくれてるから彼が祖母の家の家賃や光熱費を払う事はなくなるけど、
それでもあたしの医療費と自分達が住んでる家の家賃等でキツキツな生活なので生活保護とか考えてみないかという提案もされていました。
でもそれをすると彼とは一緒に住めないし、
「更にあたしを家で1人にさせるのは不安」と彼が悩んでいた。
そしたら、「もし申請が通ればの話だけど」と前置きをされて、精神障害者福祉手帳を持つのはどうかと聞かれました。
ケースワーカーの人には、「神経内科の先生に聞いて手続きできるかやってみます」と言って下さいました。
あとは仮に家で発作が起こった場合は、ぶっちゃけ倒れても出来る事がないそうです。
1番心配なのは倒れた時に壁や家具、床などで頭を強打した場合に打ち所が悪いと気付かずに死んでしまう事。
発作が起こるまでの時間がある時、その時に救急車やセキュリティーセンターに知らせれるブザーなどを契約するのはどうかという事も言われました(セコムさんとかであるらしい)
一通りの話が終わった後に、本来なら退院しても問題ないんですが主治医が心エコーをする為に入院を続けるか聞かれた。
でもこの日は3月31日。
「出来る事なら月末で退院した方がお金がかからないから今日中に退院したいなぁ」と言ったら、
「そうなの!?知らなかった(汗)」と先生が驚いていた。
あたしは知らない先生に驚いた(笑)
「でも時間的にもう無理だよね?」と聞いたら、
「先生がいいって言うなら問題ないですけど…(苦笑)」と看護師Tさんが先生に言って、
先生は少し困った顔をした後に「退院していいよ(苦笑)」と言ってくれました。
無理を言ってごめんなさいm(_ _)m
それから退院手続きと次回の投薬、診察、検査等の予約をして、
大量の薬を持たされ、
荷物をまとめて無事に退院する事ができました。
水曜日は怠くてひたすら寝続けた1日でしたが、木曜日は多少の身体の痛みはあったものの、彼が仕事休みだったのとRちゃんが昼過ぎに遊びに来てくれたのでM城公園で花見をしました。
天気は良くなかったけど凄く楽しかったです。
でも行った時間が遅かったので途中で夜桜の花見に。
寒かったので1時間ちょっとで撤収しましたが(苦笑)
綺麗な桜をいっぱい見てリフレッシュできました。
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