こんばんは
最近、人の話を
客観的に
いや、主観を入れずに
うーん、
相手の話の途中で、
口を挟まず、
最後まで、
聞けるようになってきた
花梨です
長っ
それがですね、
落ち着いて人の話、
聞けるようになったの、
やっぱり最近で、
もしかしたら、ついさっき
できてる自分にもビックリしたし、
あ~だから、できたんだ
みたいな感覚もあって、
まとめてみることにした。
なんかね、
わたし、
一喜一憂してたのよ、昔。
それ、
いつの間にか、
手放してた
気づけよわたし
であります
目の前にやってくる人の繰り広げる波乱に満ちたストーリー
落ち着いて聞いてられなかったし、
(口を挟んでは、質問して、私自身が、納得しようと、一生懸命やってたアホ)
そこは、そうじゃないだろ!
(これは、小さな自分ワールドにいて、オープンマインドにはなれてなかったときに沸き起こりがち。)
自分にとっての普通は、
相手にとっての非常識であったりするし、
逆もしかり。
生きてきた今までが違うんだから、
そこをつついても、
生産性はなく、
エネルギーと時間のムダ。
違いを認めるって、
こうやって、
簡単に書けるけど、
実際やるのは難しいです。
強く意識して、
強制しようとしても、
実のところ、
そういう問題じゃないからね。
だから、
いつからなのか、
わからない
だけど、
気づいたら、
一喜一憂しなくなってまして、
だいたいどんな内容でも、
心穏やかでいられる自分
に気づきました
それで、
余計に感じるのは、
相手の思いは、相手のもの。
自分の思いは、自分のもの。
思い、
だけではなく、
例えば、
カラダ、
もそうだと感じます
それぞれを大切にする。
どうしてそう思うの
(いや、その人がそう思ったんやから、そうなんやんか。納得できないと、いけないの相手に求めてるけど、実は、納得できない自分、認めてあげられないってことでは)
こんなこと、
聞かれることないですが、
(共依存は持ってないから)
聞くことも、
なくなったかなぁ。。。
アナタは、そう感じたのね
アナタは、そう思ったのね
ひたすら、
うんうんと
聞いておりましたわ
そしたら、
いつもは、
わたしが口を挟み
または、あれやこれや
言うて、
なんだかなぁ
な雰囲気になっていたのが、
もう別世界
相手もわたしに、
なにか言ってほしかったわけではなく、
ただ、
うんうんと、
聞いてもらいたかったのだけなのかも。
それすら、わたしの主観であって、
真実はそこにはない。
そして、
そこには、
同調は決して含まれない。
これが意外なポイントなのかもしれない。
理由や条件がないと、
自分や相手のこと
認めてあげられない
それって、なんだか
とっても悲しいなぁ
人にいろいろ聞いて、
(内容は、自分のことじゃなくて、
境界線越えての相手のこと)
確認しないと
気が済まない人は、、、
こ、こわいっす。
昔の人間関係であった気がします
わたし、
とっても穏やかになってきたなぁ
他には、
そうですね、
よくわからずに持っていた
恐怖、不安、焦り
これらも、ないですね
なんか、
見えるものが、
変わってきた。
そんな気がした
日曜日のお話でした