皆様お疲れ様です舟木です(^人^)
読者さんの。。。
『つっちぃ』さんのブログを読んでいると
自分の父親の事をいつも思い出します。。。
あと『東京タワー』って
リリー、フランキーさんの小説も思い出すんですね
僕の10代20代の話ですけど。。。
うちの父親はバブルはじけて借金まみれで
家庭にも親戚にも迷惑をかけてるわりに
。。。しかし本人に自覚があまりない
。。。なんだろう。。。
今考えても不思議な父親でしたね
時代や社会が人を作るので
仕方ないのでしょうけど。。。
お金と生存欲が凄くてね
僕は職人感覚だったので
不動産転がしていて。。。
学歴とお金持ってる人間が発言権持っている
そう勘違いしている父とよく喧嘩してたのね
いつも仲裁は兄貴だったんだけどさ(;^_^A
20代の頃の僕は感性が違う自分の父には学ぶ事はないと
親父が根付いている考えと
別の形の人間性を作ろうと思ってたわけですよ。。。
あ~ゆ~
大人には絶対ならない理論ね(^_^;)
20代の頃は
仕事に燃えていて、また楽しくもあったし
また職場に泊まりが多かったから
実家に帰ることもなく
気がつかなかったんですけどね。。。
たまに実家に帰ると父親が
痩せこけているんですよ
ある日父が僕に。。。
『 あと3ヶ月しか生きられない 』
って言うんですね。。。
もともといろんな手術をして
病院にお世話になっている父が
末期癌になってあと3ヶ月。。。
家族に介護と病院通いの
父を見ながら。。。
父に対する介護以前に。。。
なぜそんなに
生きる事にこだわっているのか。。。
っていつも思っていたんですね
なんでかっていうと
生まれてくる事というのは一生に一回しかないでしょ
死ぬ事も一生に一回しかないですよね。。。
。。。っていう事は。。。
どんな生き物でもあっても
この一生に2回しかない
自分にとっては重要な出来事というのは
自分の死に方にもこだわらなきゃいけない
重要な事であると思ったんですね
じゃあ父親の生存欲に対しても僕は賛成できないと
思ったんですね。。。
でもこれって逆を言うなら
親父が僕に学歴とか金とか生存欲を押し付けたように
僕も親父にアウトローな生き方を押し付けてたと
。。。思ったんですね
でもこの事実に気がついたのは
親父の生きてきた時代を
親父の当時の気持ちのように
なぞるように勉強して
亡くなってから5年後位でしょうか。。。
そして気がついてから
あ~父ともっと話しておけばよかったと
思ったんですね
最近ね、僕が行きついた
もやもやして表現しきれない答えに
映画という手法で表現してくれて
凄く納得した作品があってね。。。
『 かぐや姫の物語 』
この世は。。。
個人の人間の生き方の肯定があり
そして。。。
個人の人間の生き方の否定もある
生まれて。。。育って。。。
世の中に害をなす事も沢山あって
煩悩や傲慢に満ちている。。。が。。。
生きるという事はそれが全てであり
それが生きるという事の喜びなのだから
全てを否定する前に。。。
全てを肯定する難しさを生きなさい
。。。と『 かぐや姫の物語 』は
僕に伝えている気がします(;^_^A
だからね。。。僕は、親父が亡くなってから
親父の生き方の肯定に気がついたのなら
当時の僕と同じような境遇で
僕が父に出来なかった介護を
手探りでやっているつっちいさんには
ブログ上ではありますが
大変だな。。。と同時に
尊敬に値すると。。。そして
否定したくなるような現実も
それこそが生きる事の喜びなんですよと
。。。そこまでは言いませんが
たまにコメントします(^o^;)♪
(だって僕はそんなに人間完成されてないし)
これと似たような話は
親鸞聖人も言ってます
『 難思の弘誓は、難度海を度する大船 』
という言葉ね。。。
阿弥陀如来の本願は
苦しみの波の絶えない人生の海を
明るく楽しくわたす大きな船である
この船に乗ることこそが人生の目的である
船っていうのは
自分の苦悩の海に対しての
自分なりに解決する事の出来る心の船ね
この船は期待しても誰も用意してくれませんし
待ってても来るわけがない。。。
結局は自分次第って事なんですね
だから僕は寄り添う事も、同情する事もしませんが
素直に尊敬もするし、素直に肯定もする。。。
という事なんですね。。。
つっちぃさんのブログから線画をお借りしました
ありがとうございます(^人^)♪
↓
つっちぃさんのブログ
大切な時間を過ごしているつっちいさん
がんばってください(^人^)
そして同じように介護をして苦労している方もね♪
それではまたです
舟木でした(*^ー^)ノ