夜話1767 祇園坊柿チョコちゃん | 善知鳥吉左の八女夜話

善知鳥吉左の八女夜話

福岡県八女にまつわる歴史、人物伝などを書いていきます。

夜話 1767 祇園坊柿チョコちゃん


三日まえの夜話のつづき。 

「サテ」と開封して見ての驚き。

細く切られた干し柿にチョコの味。初めてのご対面。そして味わい。

あるかないかのチョコと白さとうの甘味が 老人にはうれしかった。

それに包み紙の説明文も はなはだ結構。

過不足なしの気配りの包装紙のデザインの件をたしかめようとしたところ 問い合わせさきは「安芸大田観光協会」になっている。

これまた不思議。製作販売所ではない。

とにかく好奇心の強いこの老人 そこに電話で確かめたら「百姓家」という店が作った干し柿を細く刻み味付けしたものとか。 

なんと地元のおばさんたちの手仕事で『道の駅』販売のものとか。

店名「百姓家」も大いに気に入った。

教えてもらったばかりの ここにも 気の早い老人はガラケイ電話。


漱石の名が出ていたのでそれを確かめたら旧家 加計某氏あての漱石の手紙が存在するとか。


漱石全集には書簡篇もあったはず。それにアタックは明日のこと。

パソコン探しで安芸大田町と鈴木三重吉のことを知った。

三重吉の名作『山彦』は加計氏宅での制作とか。

師の漱石はこれを激賞したという。


そんな縁で加計氏宛書簡にこの祇園坊柿に漱石がふれているとひとり勝手に合点した。

あとは荒正人のあの詳細な年譜でことたりるはず。


ところが荒正人の年譜集がどこにあるやら。集英社の全集別巻とまでは思い出したが ツンドクのなかに紛れているはず。


気づいた以上 呉のお方へのお礼に述べずばならぬ。とにかく美味し

かったのである。


安芸大田町の「祇園坊柿チョコちゃん」は 漱石先生とは無縁のバレ

ンタインデーのおくりもの。いや博学の先生のこと あの髭なでてにやりとしているかも。(敬称略)


右上の端 一片欠けているのは 意地汚いこの老人の味見のため。