出会いと別れ。 | ✟✟✟蠢く手記✟✟✟

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地下都市DTMの沼に溺れてしまった漢の成れの果て

ソメイヨシノ公開まで後2日。



少しお洒落してキミの耳に会いに行く。



そんな気分さ。



歌い切ったし、動画も完成した。



今回の新曲には、個人的に特別な想いがある。



公開前だからこそ、おれのパーソナルな部分に触れておきたいと思います。







今現在、望む望まないにせよ、心境も環境も大きなうねりの中にいる。とても大きなうねり。



自分から逃げる事ができないからこそ、あらゆる問いかけを自分へ繰り返してしまう。



自分の運命、性格、思考、価値観。



全てにおいてきっとおれが普通じゃなかったから。



そんなことを考えていたら、心が朽ち果ててしまいそうで、今作のソメイヨシノに夢中になっている夜だけは、自分を肯定できていた気がするんだよ。



そう。



世の中には「普通」と呼ばれる見えない概念が確かに存在する。



普通とは何だろうか。



透明、触れることもできない。でも在る。



人が作り出した物差し的な幻想と呼べばいいのだろうか。



普通に頼って、普通に落ち着けば、誰からも咎められないし、何の波紋も起きない。



今回の記事も、普通だったら書かないだろうし、普通だったら共感も得られないと思う。



普通、、、



たとえば声、

外見、

発想、

感性、等々。



例えは尽きないが、どんなことでも普通ではないという枠に該当してしまうことにおれの無力感は膨れ上がる。



思春期の頃。

声が低くて気持ち悪い、その声が怖い、と言われた記憶が今でも脳裏に深く刻まれていて、自分は普通じゃないからそんなことを言われてしまうんだと絶望した。



その反動からか、地声が高い人にいつも憧れていたし、もっと言えば、普通と呼ばれる声に憧れていた(それがどんな声なんてわからないけれど)



社会に出てからも声をいじられる事が増え、いつからか人前で喋ることが嫌になっていた。



集団では仲良くならないように、

二人きりになったら声を出して笑わないように、

話しかけられたらジェスチャーで誤魔化したり、



自分の声が嫌で嫌でたまらなくて、カラオケなんかは拷問そのものだった。



あの頃、ギター弾きに覚醒するのは必然だったのかもしれないな。



普通という言葉を聞くのも見るのも嫌になったはずなのに、そんな自分も無意識に「普通」を物差しにしてることに矛盾を感じてる。



例えば衣装のデッサン、普通こういう時はみんな黒だろうから、あえて赤にしよう。とかさ。



日常に潜む「普通」という概念の影響力は大きい。



きっと悪いことじゃないんだ。



ただ、誰かと違いすぎて特異に見られること。



時にそれは残酷で、好きでもないのに、普通じゃないことを背負ってしまったがために、本人の中ではどうしようもない孤独が抑え切れない時がある。



あんなに大好きだったギターが思うように弾けないと思い出す瞬間、コロナだろうと何だろうとマスクは必須という生活の縛り。



もう…孤独という言葉は、歌詞にも使いたくないくらい苦手な言葉になってしまった。






今までこのblogを通して、おれは自分のことを全てとは言わずとも、バンド時代からも、解散後も、割とカミングアウトして、誰かに知ってほしいという気持ちがあった(ある)と思う。



それでも、隠し事、見せたくない真実、知られたくない背景、伏せたまま生きられたらどれだけ楽なのだろうって…心とはとても繊細でデリケートなのだと思う。



人との付き合いにもなれば「普通」との対峙はもっと難しくなってくる(ここから話す普通は、=健康という解釈でも構わない)



自分の現状を語ってしまったなら、相手には得体の知れない「気遣い」を背負わせてしまうことになり、心の重圧がやがて責任を生み、その責任感は人を離脱させてるきっかけを作ってしまう。



義務感と責任感は、人を別れさせる。



離れさせる。



沢山あった。



相手が大切な人であればあるほど沢山あった。



これで最後にしたくても、何かしらの原因と理由が纏わりついて、そのまま人が去っていく。



それを「大丈夫。ありがとう。」と見送ることがさらに孤独を強める。



あまりにも諦めることが多くなった。



だから、人との心の距離が近くなることが嬉しいはずなのに、切なくて痛くて、哀しい。



それでも、、、



腐らず、諦めずに生きていれば、誰かがおれを見てくれているのだろうか。



誰かが優しく振り向いてくれるのだろうか。



誰かの心に寄り添える瞬間があるというのだろうか。



普通ではなくなってしまった自分を嫌悪して、心が軋んで弱るのを少しでも遠ざけるよう、毎夜音楽のことを考える。



考えて考えて、それをこうしたいと願い、曲にして公開する。



去年の夏から、いや、もっと前から、制作の相方がおれの生き様をいつもそばで見てくれている。



絶妙な距離感でそばにいてくれている。



大切にしたいと強く思うんだよ。



今おれが踏ん張っていられるのは、制作という情熱が僅かに背中を押してくれるから。



何より、何十年と嫌だと思っていたこの声を好きだと言ってくれるキミと出会えたから。



打ちひしがれるおれを無関心ではなく、待ってくれているのかもという一滴の希望を胸に。



2日後に公開されるソメイヨシノ。



出会いと別れ。



キミへ送るありがとうに想いをのせて。



後2日。



是非聴いてください。