昨日の続きです。
「健常児と大差なし」と精神科医に
太鼓判を押されたものの、こだわりが
完全になくなったわけでもありません。
ただ、生活面で本人が困るというような
大きなこだわりはないのも事実です。
そう言うことからすれば、性格だと
言っても良いのかもしれません。
また、できることとできないことの凹凸に
関しても、随分平均化してきていて、
目立たなくなってきています。
しかし、極端な凹凸はなくても、
なだらかな凹凸は内在していると感じます。
言語能力は厳しく見ると5歳児とは
表現力で差があります。
(ただ、バイリンガルなのでその分は差し引いて
考える必要があるかもしれませんが)
このように、光はこれからも克服しながら、なんらしかの生き辛さを
背負って生活するのかもしれません。
何かで読んだのですが、人類の発展において「こだわり」が
非常に重要な要素であると言っている人もいます。
確かに、現在の医学レベルからすれば、過去の偉人である
エジソン、ニュートン、アインシュタイン等は
発達障害児であったと思われます。
彼らが発明に成功したのは、こだわりの脳を持っていたからだと
主張する人もいます。
いずれにしろ、彼らの能力を生かすには良き理解者がいなければならないという
必要性があるのではないかと感じています。