what is Antahkarana?(アンタカラナ) | Yato Yoga Blog

ヨガ=アンタカラナ・シュッディー。

 

アンタカラナってなに?

ここから先はヨーガに興味のない方は恐らくチンプンカンプンになってしまうかもです。。


Antahkarana(antah(r)=内側、karana=道具)

 

最も内側の道具、つまり考えのことを指します。でも日本語の考えとアンタカラナはちょいと違うのですがアンタカラナ・シュッディーとは考えをクリアにすること。

 

考えをクリアにするといっても深ーい意味がキチンとあります。

 

が、今日はアンタカラナの説明。

 

アンタカラナの正式な発音はとても難しくアンタの後にッのような音が入ります。サンスクリットではjihvamulamの音で日本語にはない発声が入ります。

 

 

アンタカラナの説明はtattva bodhaと呼ばれるシャンカラチャーリヤが記した聖典の中に簡潔に記されています。

 

एतेषां पञ्चतत्त्वानां समष्टिसात्विकांशात् 
मनोबुद्ध्यहङ्कार चित्तान्तःकरणानि सम्भूतानि

これらの5つのエレメント全体のトータルな部分からアンタカラナ(マナス、ブッディ、アハンカーラ、チッタ)が生まれました。

 

これらの5つのエレメントというのはこの前の詩までに空間、風、火、水、土のサットヴァ質からはそれぞれ何が生まれるかという解説があり、この詩ではこれらのトータルなサットヴァの部分からアンタカラナが生まれましたと説明があります。

 

アンタカラナのマナスの説明から

सङ्कल्पविकल्पात्मकं मनः ।

サンカルパ ヴィカルパ アートマカン マナハ

サンカルパ(纏まったり)、ヴィカルパ(分かれたり)する性質がマナスです。

考えの中でも揺れ動いたり、迷ったりする部分です。あれ何だっけ?今日何日だっけ?これ何て読むんだっけ?この歌誰だっけ?など自分の中でまだ完全な知識になってない部分。感情・気分が生まれる場所でもあります。
瞑想していても考えがあっちに行ったり、こっちに行ったりと移り変わるのもマナス。
でもとても大事な性質で瞑想中揺れ動いてしまう考えがダメではなく、考え(マナス)は正しく働いているだけなので受け入れ、感謝できるようになると瞑想中考えが揺れることも何のストレスにならないと思います。


निश्चयात्मिका बुद्धिः ।

ニシュチャヤ アートミカー ブッディヒ

次はブッディ

ニシュチャヤ(鮮明な、はっきりとした)性質がブッディです。

空と地を間違えなかったり、1+1=2、自分は男、太陽、影、木、シャツを迷わず上半身に着たり、パンツを迷わず下半身に履いたり、まったく迷わないハッキリした知識が
ブッディです。


अहंकर्ता अहंकारः ।

アハンカルター アハンカーラハ

私が行い手ですという考えがアハンカーラです。

私が行い手という認識から様々な行いが生まれ結果があります。
個人としての私を支えている考え、つまりエゴのことです。エゴというとわがままなイメージがありますが、正しく自分を自分と見なしていればまったく問題茄子。
それがあれもこれも自分のものにしたいとかになってしまうのが問題蟻。

私が行い手というヴィグニャーナマヤ・コーシャに目覚めていることで個の身体に気分や感情の変化をみたり、to do listを考えたり、空腹感があったりと行い手としての自分が目覚めます。

全体の中に個として正しく認識があることで正しくコミュニケーションがとれるのでアハンカーラもとても大事。個として現れている私を全体と繋がっているという知識を表す、繋がっていないという考えを破壊するのはアハンカーラを支えているルドラ(シヴァ)の働きです。

どの機能がどのデーヴァターに支えられているかは次回に!


चिन्तनकर्तृ चित्तम् ।

 

そして、チッタ。

 

チンタナカルトゥル チッタン

 

思考を作り出しているのはチッタです。

 

チッタは記憶です。

 

記憶がマナス、ブッディ、アハンカーラの全てを作り出し支えています。

 

マナスの揺れ動く性質も、ブッディのハッキリとした知性も、私というセンスを生み出しているアハンカーラも記憶がなかったら一切留まることができません。

 

僕らは日本語を聞いて、意味が理解できるのも日本語のブッディ、日本語ブルッティがあるからですが、日本語の意味の記憶があるので理解することができます。

 

日本語のブッディがない日本語の記憶がない外国人の人が日本語を聞いても、チンプンカンプンです。

 

今日のブログもある程度ヨーガのブッディ、記憶がなければ外国語と同じような感じになってしまいます。笑

 

 

記憶がすべてを支え、マナス、ブッディ、アハンカーラが正しく働いていることによって、自分が生まれ、行い手というセンスがあり、揺れ動き気づける考え、感情、気分があり、鮮明な知性があります。

 

それをトータルでアンタカラナと呼ぶので、日本語の考えとはちょっと変わってくるんです。

 

それらは全て空間、風、火、水、土のトータルなサットヴァな部分から発生しています。

 

サットヴァなエリアは僕らの中に認識が起きている場所。スークシュマな部分です。

あーーーー!!

長くなってしまうので、その辺やデーヴァターの話はまた書き記したいと思っております。。。