死ぬときは丸裸 | シンデレラメソッド®の著者・河合めぐみオフィシャルブログ「天命をおもいだす」

シンデレラメソッド®の著者・河合めぐみオフィシャルブログ「天命をおもいだす」

今の生活は、そこそこ幸せ。でも、もっと自分には思い出すべきことがあるような気がする。天命を思い出し、意識を拡大させるエネルギーを放ちながら書いているブログです。


なにげない日常が最高に好き。

そりゃ、はじめてのものを見て
刺激的なことも楽しいけれど
朝起きてお弁当つくって娘を玄関まで見送って
息子を保育園に送って行って
食材を買いにファーマーズに行って
車のエアコンを切って窓を開けて
風を感じてみたり
読みたい本を探しに本屋さんに行って
なんとなく棚を眺めながら
今の流行りを知ったり




家に帰ればブログを書いたり
クライアントさんの鑑定したり
お香焚いて部屋を浄化して
神棚のお水と酒と塩を変えて
のんのんって平穏無事を祈り

わんこたちにご飯あげて
「今日もいい天気だねー」なんて
話しかけて掃除機かけて



そんな、なにげない日常は
昔なら物足りなくて嫌だった。


どこかの誰かの忙しそうな日常を
SNSなどで見て
自分で勝手に覗き見したくせに
勝手に自分の日常と比べて
物足りなさを感じて
「もっとやらなきゃ!」
「もっと頑張らないと」
って焦っていた。



でもさ、いつからだろう。
もうそんなのどうでもよくなっちゃって。


なにげない日常が最高で
悔いなく生きたいという想いは同じだけど
忙しく走り続けなくてもいいじゃんって。


特別なスキルを持つ必要もないし
これ以上足すことはいらない。
むしろ引いて引いて
玉ねぎの皮みたいに剥いで剥いで
真ん中の中心のところを見ていきたいなって。




「わたしはすごいんだぞ」
というわけではなくて相変わらず自信はないんだけど、
自分の価値がどうとかそんなことよりも

死んだときは丸裸になるんだから
着飾っても仕方ないやって。

お父さんが棺の中にいる姿を見て
「ああ、これは現実なんだ」と思いながら
どこか幻想を見ている感覚で
白い着物をきたお父さんなんて見たことないから。



棺のそばには津波で流されて発見されたとき
身につけていた見慣れた洋服が
透明のゴミ袋に入れられて
泥だらけになっていて、それを脱がされて
白い着物を着せられて棺で眠っていて。



丸裸だった。
着飾るもなにも最後の洋服すら選べない
おしゃれもなにもない
そのまんまの姿。お父さんの丸裸の姿。
白装束で、まるでこれから旅にでも出るような
ドラマの中だけで見た死人の姿。



ああ、死んだら丸裸になるんだって。


その姿は、お父さんが亡くなってから
時間が経つにつれてわたしのなかで本質となり
強い意志になっていくのがわかる。
どんな人でも必ず死ぬんだ。
それは平等で。

生きているときは地位とか名誉とか
肩書きとか結果とか成果とか
収入とか生活レベルとか
そんなものを重視するけれど
死んだら丸裸。

だから一切興味がない。

無駄に見えるようなことの積み重ねが
日常で
ベランダに植えた花とかトマトに水をあげても
誰も褒めてはくれないし
でもみるみる花は成長して大きくなる。




無理矢理、身体を壊しながら
自分を犠牲にしながら大切なものを失うより
無駄にみえるようなことを
コツコツ楽しめたり
わたしなんて家事は嫌いだけど
誰も褒めてはくれないような家事も
自分なりにかわいい食器をそろえたりして
気分よくやってみたり
珍しい野菜を買ってきて本で調べたりして
触って調理して食べてエネルギー上げてみたり




そんな日常が最高で
丸裸の自分のことを好きになるように
してみる。
そんな日常を沖縄で送っていると
以前にも増して直感が鋭くなる。

本質が視えてくる質が上がった。



自分だけの利益を出すために
自分たちだけが困らない方法を考えている人や
どんな方法を使ってでも
自分さえ良ければいいと人を人として見ていない人は、会った瞬間からわかるようになった。




人には固有の周波数があるけれど
ああーぴったり。っていう周波数は身体で
わかるようになった。
だから、好きな人には
好きと伝えるようにした。



丸裸になったとき恥ずかしくない自分でいたい。



家族が死ぬって
生きている中で結構つらいことだとおもうの。
親を亡くすって子供のときには想像もつかなかった。

「歳をとって老衰かな」ぐらいにおもってた。




それがさ、親を亡くしたとき
目の前が真っ白になって
気が動転しちゃって。
警察の人に遺体の写真を見せられるなんて
まるでドラマの世界だから
「この方ですか?」なんて聞かれたとき
思わず見ないで直視せずに目を逸らした。
旦那さんと妹も同席していたから任せた。



そういうドラマみたいなことが
遺体安置所の施設の中ではそこらじゅうで行われていて、わたしたち以外にもたくさんのドラマがあったんだ。




ビニールシートに包まれたご遺体の数だけ
家族の物語があるんだろうね。



もうさ、あのとき思ったよ
「これ以上辛いことはない」
「これを経験したんだからあとは大丈夫だ」

実際ね、あの震災から時間が経って
わたしは福島県を出てしまったから
もしかすると今でも福島県で生活して震災の記憶がありありと残っている人とは
温度差が出来ているかもしれない。

だから、この文章が他人事のように感じる人もいるかもしれないしそこは否めない。




「なにがなんでもない日常だ」と
思うかもしれない。



でも、あの数の家族の物語を
辛いものとして引きづるか
亡くなった家族の姿を脳裏に焼き付けて
前を向いて生きるかは
その人それぞれの生き方次第なんだ。


だから、わたしは本質からずれたくない。
寄り道をしながらも
いつか丸裸になる日まで自分の日常で
直感を大切にして
出来ることならわたしの能力が
誰かのなにかしらの背中を押せたらとおもう。




ある日の夢で「沖縄の児童養護施設に関与しなさい」って御告げがあった。だから幾つか児童養護施設を調べた。今も調べてる進行形。


沖縄に来てはじめた事業の利益は
児童養護施設に寄付することにした。

着なくなった子供服なんかを寄付するのもいいね。なんらかの形で関わっていこう。




お金なんてさ、丸裸になって
あちらの世界に行くときは持っていけないからね。それよりも、なんでもない刺激もない日常を自分らしく生きたい。





なんてね。




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