TALK TIMK~市川雄太の創作活動公式ブログ~ -6ページ目

市川雄太ウィキペディア最新版

 市川雄太 wikipedia

 市川雄太(いちかわ・ゆうた、1987年11月9日-)とは大阪府羽曳野市出身の新聞専売所業務主任であり、兼業作家でもある。大阪府松原市在住の30歳男性で右利き。

 市川雄太(2018年8月26日・羽曳野市内にて)

〈概要〉

 1987年生まれの大阪府出身で2013年5月にデザインエッグ社より『聞いて下さい僕の人生』を協力を得て出版。2016年からムゲンブックスでの出版やウェブ小説を執筆している。

〈経歴〉

 1歳の頃の雄太(1989年1月7日・横浜市内にて)

 1987年に大阪府松原市にて生誕(※1)。1992年に羽曳野市立恵我之荘幼稚園に入園。上級生の作った砂場の山を崩して先生に怒られ、山を作り直したことがある。当時の将来の夢は『ケーキ屋さん』と『電車の運転士』だったという。

 1994年に羽曳野市立恵我之荘小学校に入学するも翌年4月に羽曳野市立埴生小学校に転校し、更に小学6年だった1999年には夏休み明けの9月に羽曳野市立西浦小学校に再転校した。そのお陰で広島への修学旅行には行けなかったばかりか転校先では既に修学旅行は愛知県に6月に行っており、どこにも行けなかったことをが非常に悔しかったという。学生生活は何度も転校をしているためか人間関係を深めることが出来ず、西浦小学校時代に至ってはほとんど交友関係すら築けなかったという。小学4年からクラブ活動もあり、卓球を一年とパソコンを二年していた。

 1995年夏にはじめて祖母の故郷の高知へと行き、曾祖母と初対面する(曾祖父は1992年11月12日の68回目の誕生日に癌で死去しており雄太達曾孫とは対面していない)。その後高知には数回訪問している。

 2000年に羽曳野市立峰塚中学校に入学。大リーガーのダルビッシュ有は一年先輩にあたり、同級生には松竹芸能所属のお笑いコンビ・たつみなみのみなみがいる。
中学時代は美術部に入部するもすぐ退部してしまい、一年生の頃からいじめに遭うなど不遇であったが後に振り返るとすぐに泣いたり、教師に報告するなどといった弱々しい面や勉強・運動ともに出来ないといった無能ぶりが原因だったのだろうとしていじめられるのは仕方なかったのかもしれないとのこと(※2)。尚、三年生の時には不登校(というがサボりみたいなもの)も経験している。この頃将来の進学を考えておらず、新聞店に住み込みで働くことまで担任と検討していたという。またこの頃は勉強よりもゲームに夢中で学力が低下していた。

 2003年に大阪府立農芸高等学校定時制入学。校内では人間関係はやや良好で大阪農業クラブに所属して農業の勉強もしていたが、埴生小学校時代の同級生と再会してからは彼らに引っ張り回されてその悪友関係が最終学年の四年生の夏休み前まで続いてしまったという。同年に定時制課程の廃止が決まり、9月27日に近鉄河内松原駅前で学校の皆と必死に署名活動をしたが実らなかった。

 一年生時の冬休み中だった2004年1月に大阪市阿倍野区の近鉄百貨店で『バファローズアワー』の収録が行われており、収録に参加出来た上にそこでクイズに解答したことがある。

 2005年頃から悪い交友関係が広がり、一時は家庭崩壊の危機もあった。特に小学時代の同級生からは学校へ行くのを阻止されるなど散々だったという(※3)。後に母親や母親の同僚の協力で彼らとは2006年7月7日に縁を切ることが出来たという(後に復縁)。その後は卒業まで何もなかったという。別の同級生と『オセロ同好会』を開くも会員は二人だけであった(二人とは別に顧問として仲の良い先生がいた)。なお2005年には『野球難民』(長崎出版)のインタビューを受けている。

 元プロ野球選手の小川亨氏と(2005年6月5日・藤井寺市内にて)

 2006年は定時制高校が4年制のため残り1年通学をするが同級生達は大学に進学するために浪人しており、度々市川を遊びに引っ張り回しては登校妨害(ついには学校にまで行かせなかった)までするほど悪質さがエスカレートしていた(それもあって前述の通り絶縁)。4月から7月までは藤井寺市内の『コープ陵南店』でドライ・日配のアルバイトを、8月には早朝に松原市の弁当屋『浜乃屋』と日中は藤井寺市の『前田製菓』で掛け持ちしていたが同月中旬に共に解雇されている。その後は同月に一度だけ祖父の営む研磨工場に行ったのみで学生生活に専念していた。余談だがこの頃は『ちょこっとシスター』という深夜アニメが好きだったという。

 2007年春からは祖父の営む八尾市の研磨工場で勤務する。高校時代にオセロをしていたからかオセロで世界を目指そうとするも定例会が近隣に無く断念している。一方で休日は野球観戦、ボランティアスタッフ(※4)、カラオケや草野球を楽しんだ。草野球チームでは補欠だったためにスコアラーや臨時のブルペン捕手を務めた。同年3月6日の大阪日日新聞に初の投書が掲載されたことから後の投書の幅が広がった。また同年8月29日には仕事中に右目に塩酸が入り、あわや失明の危機になったこともある。11月1日に同僚との会話中に(同僚に対してではないが)暴言を出してしまう。12月30日に大阪市内の占い横丁で「30代で成功する」と言われたという。

 2008年も引き続き研磨工場に勤めたていたが9月30日に工場を辞めて翌10月9日から松原市内の産経新聞松原南専売所にて勤務する(※5)。同月16日に原付免許を取得するも翌月27日に羽曳野市内で人身事故を起こして相手に怪我を負わせてしまった。事故を機に安全運転を心掛けるようになったはずだがその後も翌年に破損事故を2度起こしている。尚この年の1月の読売俳壇(森澄雄選)と11月の朝日歌壇(佐佐木幸綱選)で入選。短期間だけだが陶芸にもチャレンジしていた。

 2009年5月6日にカラオケ店で撮影した『祭男爵(ORANGERANGE)』を歌う動画が再生回数一万を越え、「ORANGERANGE」でユーチューブを検索すると本家より先にこの動画が出たという(※6)。ただしアカウントはカラオケマシンのものであり、市川のアカウントではない。同年12月27日に羽曳野市内で開催されている『はびきの市民川柳会』に入会。

 2010年6月9日に職場から一回目の逃亡をする。家へと逃げるも同僚に連れ戻されてしまった。同年8月7日から9日までの間に祖父母の住む高知へ行く。

 2011年6月9日にも職場から二回目の逃亡。仕事前に逃亡し、職場近くのバス停からバスで近鉄河内松原駅へと移動してあべの橋へと向かうも電車内で親友からの電話で説得されて戻る。ちなみにお咎めはなかったという。同年8月より川柳結社『川柳塔』の誌友(会員)となる。

 2012年は川柳の活動を行い、10月7日の阪南市内で開かれた句会で有名な川柳作家から『京阪神で有名な若手』と評されている。同年10月の川柳塔の句会で130Rの板尾創路の父・板尾岳人と初対面した。尚、2017年12月現在市川と創路はまだ対面していない。

 2013年は5月31日に処女作である『聞いて下さい僕の人生』(デザインエッグ社)を協力を得て出版。11月10日に淡路島で行われた職場の10周年パーティー(※7)にも参加した。

 2014年8月24日のはびきの市民川柳会にて選者(審査員)を務めて他の題は全て入選した(※8)。同時期から広島の大雨の件等で政治に関して不信感を強め、12月の休刊日を選挙で無くされた怒りが爆発して世界観が変わったという。同時期に奈良にも自身のルーツがあることが判明した。

 2014年7月13日撮影

 2015年の初頭から精神世界に興味を抱くようになる。同年6月14日に市川家の一族の地である奈良県広陵町に一人で初訪問した。同8月23日から25日には5年ぶりに高知へと帰省して曾祖母とも再会した。しかしこの時曾祖母からもらったお小遣いを同年11月2日に前述の同級生に騙し取られている。

 2016年3月28日に「千雄履」名義で『日長くなりぬ』(デザインエッグ社)を出版。また同年5月8日から『アルファポリス』で「市川雄一郎」名義で『ヒナの国造り』の連載を開始。他にも作品多数。

 ウェブ小説を書き始めた頃の市川(2016年8月11日・大阪市内にて)

 2017年6月18日よりアルファポリスにて『とある高校生は世界を滅ぼす破壊兵器を奪還するはめになりました。』の連載を開始。同年11月9日に『市川文学会』を創立(2017年12月8日時点で会員は2名)。同月にKindleより出版される『~非日常の世界~日常という概念は存在しない』にて短編小説『夏の思い出と僕』を発表する(※9)こととなり11月25日に販売される。現在、『夏の思い出と僕』の宣伝用の音声を制作中(※10)。同年12月14日からpixivにて『いっちゃん』名義で初の二次創作小説『ここたまの魔法使いサリーヌ』の連載を開始している。また12月10日には同日誕生した『よっちゃんB級グルメ食事会』の初代副会長となる。そしてツイキャスを12月19日に配信して『ヒナの国造り』のキャラクターのカラオケパーティの配信を発表(※11)。


 30歳になった市川(2017年11月9日・松原市内にて)

 そして2017年12月28日付のツイッターでデザインエッグ社(自費出版)より2018年5月29日に『おたすけ通信簿』と時期未定の『人生前向きになるための本』(共にムゲンブックス系)に加えて出版予定の『だます人、だまされる人~あなたは欺かれている~』(発売日及び出版先未定)の3作品の発売予定を発表(ただし3作品とも小説ではない)。

 2018年春に2作品発表と同時に新作のプロジェクトを起動予定。同年3月に川柳塔社の同人会員となる。4月1日付で『B級グルメ食事会』の2代目会長に就任。8日にはアルファポリスで『NACHIGO~猫耳娘・菜苺の異世界アドベンチャー~』の連載を開始し、12日にはデザインエッグ社より自費出版『人生前向きになるための本』をAmazonで発売。5月29日からpixivで『2018の風』の連載を開始。7月16日に和歌山県古座川町を24年ぶりに訪問。

 思い出の地に24年ぶりに訪問(2018年7月 16日・古座川町内にて)

●川柳作家として

【名前】市川雄太(いちかわ・ゆうた)

【雅号】同じ

【活動期間】2009年12月27日ー

【川柳歴】9年

【生年月日】1987年11月9日(30歳)

【出身地】大阪府羽曳野市

【職業】新聞専売所業務主任

【配偶者】なし

【地域】全日本川柳協会近畿地区(大阪)

【主な参加句会】川柳塔〈同人〉、はびきの市民川柳会、川柳藤井寺、あかつき川柳会等

【著作】『川柳で見える人生の楽しみ方』(デザインエッグ社、自費出版、2016年11月8日発売)


 2004年の【広報はびきの】にて川柳が入選したのと同時期に学校で川柳作りを嗜んでいたことから5年の時を経て2009年12月27日の【はびきの市民川柳会】句会に初参加する。

 2011年8月発行の【川柳塔】9月号にて『誌友』となる。当時は23歳であり、期待の若手と評された。同年10月の【川柳塔まつり】に初参加。この時に【川柳マガジン】に写真が掲載されて市川のことが紹介された。

 2014年8月24日のはびきの市民川柳会で句の選者を務め、全部の作品が入選している(※12)。

 誌友になる前の2011年7月19日に大阪日日新聞読者欄で川柳を嗜んでいることをはじめて明かした他産経新聞の文芸欄に2012年7月から2014年2月までよく登場していたという。

 川柳塔社の誌友になってから6年間は何ら動きは無かったが2017年12月24日のはびきの市民川柳会句会にて『同人』昇格の打診を受け、2019年5月以降の昇格を希望していたが2018年3月の川柳塔社常任理事会で同人会員になることが承認され、同月『川柳塔』4月号に新同人として紹介される。誌友会員となってから6年7ヶ月目のことであった。この時将来の『常任理事』の就任に意欲を見せた(※13)。

 大阪の『あかつき川柳会』同人でもある。一方ではびきの市民川柳会では若いのと経験の部分もあって役員経験はない。

 全日本川柳協会が発行する名鑑の2013年版に参加している。2018年版にも参加予定。

 川柳に関しては生涯現役で叶うならば80歳を越えるまで続けたいと考えているという。また将来は現在在住する松原市に句会を創る夢もある。

 曾祖父は朝日歌壇に投稿する等して短歌を嗜んでいたことから市川に3世代を経て同じ短文文芸の心が受け継がれた。川柳と短歌と違えど市川自身もまた曾祖父の歩んだ道に進んでいる。

 世の中の流れから若手川柳作家の育成に関して「人材が出てくるだろうか」と危機感を抱いている。




〈来歴〉

 ●1987年11月9日 大阪府松原市にて生誕

 ●2008年10月9日 産経新聞松原南専売所勤務

 ●2009年12月27日 はびきの市民川柳会に初参加して川柳をはじめる。

 ●2011年8月下旬 川柳塔社誌友(『川柳塔』2011年9月号発表)

 ●2018年3月7日 川柳塔社常任理事会で同人会員になることが承認される。同月の川柳雑誌『川柳塔』4月号で新同人として紹介された。



〈人物〉

 大阪で生まれ、一時期関東に住んでいたのを除くと大阪生まれの大阪育ちである。また大阪育ちながら納豆が好きである。

 愛称は豊富で『いっちゃん』『雄ちゃん』『いっちー』『部長』『大吉』等。

 主な家族は2018年1月23日現在は曾祖母・祖父・祖母・母・叔父・弟の6人。また大おじ、大おばやはとこもいるという。しかしいとこは『0』らしい。

 曾祖父の一人・与一郎は當麻にルーツのある松浦家から当主がいなくなり、男子の跡継ぎが幼く成人が女子しかいない商家の市川家に養子入りした人物である。祖父曰く短歌作りが好きで新聞に投書していたが雄太が7歳の時に死去。秀才で教員になることを薦められたが父の営む商家を継ぐために進学を諦めたという。

 祖母は高知県宿毛市出身で漁師や漁業関係者の親戚が多い。また宿毛市で行われた『パーマネント野ばら』のロケを高知に移住した祖父母が見に行っていた。

 好きな食べ物は納豆・カレーパンである。普段は料理をしないが炒め物なら作れるという。

 愛着のある県として和歌山・高知・奈良の3県を挙げており「小説で思い出話を書ける」と話す。またSNS等で大阪に行きたいと考えている人に「美味しいものが多いですよ」と地元のPRも忘れない。2018年7月16日には24年ぶりに和歌山県古座川町を訪問している(子供時代に林間学校の会場であった廃校に訪れた)。

 2004年8月26日の週刊少年チャンピオンに『市川部長』のペンネームで他の3人と共に読者コーナーに掲載されたがネタが3人は夏を連想させるものに対して市川作品は夏を連想させるものではなく、さらに3人は名の馳せた葉書職人であったことから掲載した喜びより「このタイミングは・・・」と思ったという。ちなみに市川は『ドカプロ』ファンである。

 前述の通りオセロの定例会の会場が近くにないことからオセロ活動を断念しているが「もしオセロをしていたら日本代表になっていたかもしれない」と自負する。また人生が違う流れなら官僚や電車の運転士だったかもしれないと考えているという。

 ウェブ小説サイト『小説家になろう』では『松浦長光』名義で作品更新している。松浦水軍の末裔としているが実際に市川の祖父の父方は松浦家の出身である(祖父の母方が市川家)。原作・脚本・キャラクターデザインを自分でしている。

 10代の頃に『オーラの泉』を観て以降から前世占いに関心がある。また自身にも素質があるのか2015年8月6日に武士として戦う夢を見て「平家と源氏の戦いかな?」と思った後に前世占いの鑑定結果を見ると『平清盛に仕えた平氏』だったという。また『スピリチュアルはこの世の源泉』という考えを持つ一方でハマりすぎたり人に考えを押し付けてはいけないともしている。

 市川家は奈良県広陵町百済から来ており、仁徳天皇の時代に石上神宮の神主だった市川(市河)臣命の末裔を称する(※14)。尚、石上神宮には2018年1月17日時点では訪問していない。

 また曾祖父の一人が松浦家の出とあって松浦水軍の末裔も称している他、高知の曾祖父も「自分は平家の末裔」と娘である雄太の祖母に語っていたり2017年には歴史に詳しい名のある人から佐藤氏(藤原秀郷の家系)の血を引いていると言われたことがある(※15)。尚、市川家も松浦家も共に奈良から来ている(市川家は広陵町、松浦家は現・葛城市)。

 奈良県で子供達と遊ぶ市川(2018年7月30日・天理市内にて)

 古墳に関心を持っているため現在も地元の古墳の情報をネット等で集めている。市川家の曾祖父も各地の古墳に訪れていたという。ただし市川は「古墳は観光名所じゃない」として堺市の大仙陵古墳をはじめとした古市・百舌鳥古墳群の世界遺産登録に反対しており実際に反対キャンペーンにも賛同している。

 幼い頃に近鉄南大阪線の沿線に住んでいた影響からか電車好きで最近は地下鉄に乗るのが好きとのこと。また小さい頃に地下鉄御堂筋線の『御堂筋』の読み方を『みどうすじ』のところを『こどうせつ』と勘違いして祖父に教えられたことがある。好きな路線は長堀鶴見緑地線。ただし満員電車は苦手とのこと。幼稚園時代に『くろしお』号の運転席に招待されたことがある。最近では東北・北海道新幹線に乗りたいとのこと。また2017年12月10日には『伊勢志摩ライナー』に初めて乗車し、翌年1月2日には賢島駅に訪問したという。これまでに近鉄・南海・阪神・阪急・JR・東武・箱根登山鉄道に乗車した。一方でリニアモーターカー建設には否定的。

 子供の頃は家から近い近鉄南大阪線の駅を巡ったり駅付近から電車を眺めるのが趣味であった。長らく南大阪線をメインとして利用していたが2016年4月10日に橿原線と天理線を利用してからは他線も利用するようになったという。ただし最近になって近鉄南大阪線のサービスの仕方に苦言を呈している。

 時間があるときはよくアニメを見ている。作品作りの参考やモチベーションにしているという。最近の注目アニメは『ヒミツのここたま』である。そのヒミツのここたまの二次創作小説を2017年12月よりpixivで発表。ツイッターのハッシュタグの一つに『#毎週木曜日はここ魔法と雄活』があり、木曜夜18時更新を心掛ける。推しここたまは『ビビット』と『パリーヌ』。最近では『サリーヌ』『アワワ(ゲスト)』『モグタン』もお気に入りである。

 2018年10月9日をもって新聞店勤務10年目を迎える予定。

 ツイッターで行われた2017年の『紅白お絵描き合戦』に参加。

 2008年4月13日に千葉マリンスタジアムの『千葉マリンステージ』に参加していたものまね芸人のジョージマン北に声を掛けた。この時他の客に「ジャーナリストになりたい」と言ったという。

 小学四年の頃、展示する絵をクラスで代表一人を決める企画があり絵を描くも代表は女子で雄太は次点だったという。当然雄太は納得がいかなかったようで未だに嫌な思い出としている。また高校時代に学校で皆勤賞を貰った以外は受賞歴はないという。

 名探偵コナンの作者である青山剛昌から年賀状を貰ったことがある。ちょうど年賀状が届いたその日は川柳塔同人会員に昇格が決まった日であった。

 過去に直系一族の市川姓から別の姓に変わって再び市川姓に戻るという自身の経験から名字が何度も変わることを好まないとし、選択的夫婦別姓制度に賛同している。また市川姓から改姓した時期は勉強やスポーツをする気力が失せていたという。ただし出来る限りは夫婦は同じ姓の方がいいとも考えている(その反面姓を変えたくない人のために選択の自由の必要性もあると説くと同時に子供が親の再婚などで名字を変えるか変えないかは親が勝手に判断すべきではないとも考えている)のと以前は2013年時点では夫婦別姓制度に反対していた。また2017年頃から自身の作品内でも夫婦別姓の人物が増えているという。

 将来の政治活動への意欲があり、第48回衆議院議員総選挙の翌日からアルファポリスで連載開始した『350議席の軌跡(休載中)』は自身の出馬をシミュレーションしたものである。尚市川自身は将来的なことや選挙や演説活動をしている人に冷たい態度や暴言を吐いたりするなどの行動をするのを嫌っている等も含めて支持政党などは関係なく、どの議員や候補者にもよく声を掛けており実際に同選挙時には恵我ノ荘駅前で国会議員の長尾敬とも直接会っている。肉球新党党員でもある。また2013年10月1日付の大阪日日新聞読者欄で橋下徹大阪市長(当時)を批判したことがある他、2015年には大阪日日新聞の読者欄で大阪府知事選挙と大阪市長選挙の候補者達に仁徳天皇の『民のかまど』の話を少し取り上げて府政を良くしてほしいとの思いを込めて両選挙の候補者達にエールを送った。また市川本人も将来的には議員になりたい夢があるらしく実際に2018年1月4日付のツイッターで地元の松原市長を目標にしていると書き込んでいる。また大抵のウェブ小説作品で政治的部分が存在するらしい。

 衆院議員選挙で投票をする市川(2017年10月13日・松原市内にて)

 兵庫県にも愛着があり、2007年4月に神戸新聞に投書(採用)したり川柳活動でも訪問したことがあるという。実際に2011年10月16日の『西宮市民川柳大会』で2句入選している(川柳大会入選はこれが初)。また1995年の震災直後にも訪問した話を過去にツイッター等で明かし、震災を風化させたくないと考えている。脱原発派でもある。

 現役時代からの阪神監督の金本知憲のファンで2012年7月3日の大阪日日新聞読者欄にて2000本安打の報を千葉県で2軍の試合の観戦中に知ったことを明かしている。

 藤井寺球場での一・二軍両方の最後の試合を観戦。一軍の試合の日に当時の千葉ロッテマリーンズの捕手だった福沢洋一氏に声を掛けたという。

 基本煙草は吸わない。その一方で喫煙者の気持ちを尊重し、度が過ぎない喫煙行為を批判しないため非喫煙者でありながら過度な煙草の規制には反対している。しかし一方で受動喫煙についても「煙草を吸う側より煙を吸う側の方が癌の危険性も高いし危ない」と問題視しており、喫煙と禁煙が問題なく両立できる世の中になることを願っている。

 今、気になる有名人は声優の白鳥由里である。小学時代に白鳥が主演のアニメ『とんでぶーりん』のファンでもあった。2017年末にはファンレターと年賀状も送ったとのこと。また同じ声優の藤村歩にも興味を持っているらしい。また手紙やツイッターにリプライを送った声優の名前を登場人物につけている。

 2018年1月22日時点では恋愛経験はないといい、彼女いない歴30年の記録を持つ。海外渡航歴は30年以上無かったが同年1月21日にフィリピンに渡航。また一度行ってみたいのは【ギリシャ】と【韓国】であり常に周りにも言っているという。またフィリピンの自然を見たときは高知県の田舎よりスケールが大きすぎて驚いたという。

 旅行中の市川(2018年1月28日、フィリピン・ネグロス島にて)

 パスポートを2017年10月17日付で取得している。有効期限は2027年10月17日迄。海外渡航が決まり、慌てて作ったらしい。

 2016年3月にデザインエッグ社より自費出版した【日長くなりぬ】の題の由来は第16代仁徳天皇の皇后・磐之媛命の歌からきている。

 2012年6月10日は心斎橋で通り魔事件があったが市川はこの時、当時の友人達と難波にいたという。飲食店内で携帯を見ていたときにネットニュースで事件を知ったとのこと(尚、この事件の被告は2017年に無期懲役判決を受けている)。

 埴生小学校では1994年に創立120周年を迎えたが雄太はその翌年に転校の形で入学しているので創立記念に全く関わっていない(ちなみに同類の記念にはじめて参加したのは新聞店の10周年記念である)。尚、当時通っていた同校の校舎は2015年頃に取り壊されてスポーツ公園になったとのこと。

 印象に残る日として2004年3月29日の野球観戦を挙げている。当時はこの日から時間が流れてほしくないと思っていたという。それから10年後の2014年に大阪日日新聞にその時のことを少し紹介した文章を読者欄に投稿して掲載された。

 2015年8月30日に大阪で開かれた安保反対デモに参加している。また共謀罪についても強く批判しており表現の自由の危機を懸念している。

 東京五輪については当初は「日本と外国との強い絆が結ばれるためと被災地の復交の後押しになるなら」と賛成していた。2014年8月発売の『川柳マガジン』でも同様の主旨の投稿をしており、2016年8月11日にも自身のブログで東京五輪で野球観戦したいと書いている。

 2016年6月12日と2018年6月17日に京セラドーム大阪で開催されたオリックス対横浜DeNA戦を観戦した。また市川本人もセ・リーグは横浜DeNAファンである。一方で阪神に関する知識は豊富な一面も。

 野球観戦する市川(2018年6月17日・京セラドーム大阪=大阪市内=にて)

 過去に自身も騙された経緯からネットビジネスには好印象を抱いておらず批判的である。悪質な業者の摘発を推進している。またギャンブル嫌いでもあり、宝くじ以外のギャンブルはただの『金の無駄遣い』と考えている。

 2013年夏に『夏の思い出はアンバサを飲みながら』という小説を自身の旧ツイッターアカウントで連載していたことがある。主人公の『村山雄三郎』は市川のことである。

 趣味で作詞・作曲もすることがある。また無名ながらユーチューバーでもあり時々『雄太のおもしろTV』等の動画をアップしている。2017年9月14日にはユーザーネームを『ショコランシェ市川』にしようとしたが断念している。またツイキャスの『紅白キャス合戦』にも同年紅組で参加している。自身もツイキャスをする他、『みんなのoffice9』のリスナーでもある。

 嫉妬しやすい性格で30歳の誕生日の日に話題になった人物に対して嫉妬心を抱いている。

 丹陽禹氏の氏祖で1014年に科挙に合格した【禹玄】を尊敬している。ただし人物像をまだ知らないのでそれを研究している途中である。

 ウェブ小説『5Sを掲げる出版社に女騎士がいるんだが』(2017/10/9更新分)に登場する『タツハラ・リュウタ・ボガード』という人物は市川の小説のキャラクターが名前の由来である。また市川のウェブ小説の『一時間ヒーロー』〈アルファポリス〉に登場する二人組の『エドガー・ガッチ』と『リフ・ラティス』は『5Sを掲げる出版社に女騎士がいるんだが』の登場人物が由来である。また2018年1月11日更新のカクヨムの作品『日常的な非日常!?元気な竜音は今日も頑張ります!!』第17話(市川雄一郎名義)内にて『魔王少女物語』(カクヨム)の作者をゲストで登場させている。

 二次創作に関しては以前は否定的だったが作家との交流などを経て理解を示し、自身も2017年12月14日からpixivにて【ここたまの魔法使いサリーヌ】の連載を開始している(挿絵も市川筆)。全8話の予定だったが8話以降も更新している。主人公の性格は『ONEPIECE』の【サンジ】のような人物像にしたという(※16)。気が付けば伏線回収忘れなどで8話で終わらなかったため2018年8月23日現在35話まで更新中。また2018年3月10日から【ピカちんチャレンジ2018】という小説を書いている。ちなみに『ピカちんキット』の【ギバさん】と【グルメタヌキのパティ】のファン。また小説内で『レシートホルダー』と『時刻表ソラリー』なるアイデアを非公式ながら発案している。


〈家族・親族〉

 高知県宿毛市のすくも湾漁業協同組合参事・河原宣人は外祖母の従弟(母方大叔父の子)にあたる。宣人の祖父・父は漁師だったという。

 曾祖父の一人の市川与一郎は短歌を朝日新聞に投稿していた経験があり(※17)、雄太の川柳活動に影響を与えている。

 実弟は有名イラストサイトの人気絵師だった(詳細は未公表)。しかしSNSが無くなったらしく2014年以降から活動が見られないとのこと。


〈サークル〉

 ●市川文学会(創立者、初代会長。初代幹事、初代編集、初代会計、初代人事、初代ネットメディア戦略部長兼任)2017年11月9日創立。会長以外は2018年2月9日に市川が人事を成立させた。

 ●インターナショナルB級グルメ食事会(市川雄一郎名義・初代副会長〈2017年12月10日ー2018年4月1日〉、2代目会長〈2018年4月1日ー〉)



〈外部出演〉

 ●『魔王少女物語』第60話(2017年12月12日更新分予定、市川雄一郎名義)


〈補足〉

(※1)出身は羽曳野市だが、出生は松原市である。午前3時31分生まれだという。

(※2)『聞いて下さい僕の人生』の「中学時代編」より。

(※3)2006年時、既に高校を卒業していた同級生達は大学進学の為に浪人であったが雄太はまだ四年生だったために学生の身分であるにも関わらず夜遅くまで付き合わせたとのこと。そのために登校できなかった日もあったそう。

(※4)Jリーグ・セレッソ大阪のスタジアムでのボランティアスタッフ。スタジアム内のごみを拾ったり、マッチデープログラムの配布等をする。

(※5)理由は一緒に働いていた祖母と喧嘩したからで後に「酷いことを言った」と反省している。

(※6)同年11月に職場近くのガソリンスタンドで「動画を見ましたよ」と声を掛けられたことがあるという。

(※7)2013年に経営者が所長となってから10周年ということ(2003年から2017年10月30日現在まで現役)。

(※8)ただし、大会の多い時期のためにたくさんの会員が大会に流れたこともあり参加者が少なかったというのもある。また当日は大雨だったという。

(※9)市川の子供時代の思い出をベースとした作品である。また当初短編作品『マサトと月の女王』を製作していたが時間が少なくなったので『夏の思い出と僕』を作ったとのこと。

(※10)宣伝と主人公・竜太の幼少期の声の担当は声優の樋口まゆみである。またシェリル役は七瀬真結に決まった。音声自体は完成済みである。

(※11)ヒナの国造りからの登場人物は東住吉(高直)竜太と日紙直露(初期のメインキャラクター)で声はいずれも作者である雄太本人が担当する。しかし配信日は現時点では未定である。

(※12)ただし(※8)でもあるように同日は大会の多い時期で欠席者も多く、参加人数が少ないという事情もあった。またこの時以外に全作品が入選した経験は一度もない。

(※13)川柳塔の常任理事になるには『誌友』『同人』『理事』の順を経て他の作家の推薦を受けてから就任することになる。2018年3月時点で市川は『同人』である。

(※14)市川臣命は第5代天皇である孝昭天皇の第一皇子の天足彦国押人命から7世代目の子孫にあたる米餅搗大使主命の子とされている。市川臣命が神主を務めた石上神宮は奈良県天理市にあり、市川家が近鉄大阪線の松塚駅から徒歩30分の場所にある広陵町であることから雄太は市川家と市川臣命との関係は強いと見ている。余談だが雄太曰く広陵町から近鉄南大阪線の高田市駅へはタクシー代が一万を越えるとのこと。

(※15)尚佐藤氏は藤原北家をルーツとし、奥州佐藤氏などの一族を輩出している。

(※16)2018年1月25日付けでアップしたpixiv内のコラムにて。

(※17)祖父曰く掲載したかどうかは不明。また雄太本人も2008年11月に朝日歌壇に入選している。



(最終更新)2018年8月28日

平成と私

 今日は平成の時代が始まってから10810日目である。日数経過のサイトで調べるとこのような数字が出たのだがもう10000日を過ぎたのかと驚くばかりだちなみにこの日から10810日目は2048(平成60)年3月17日である(※1)。


 なぜ日数を計算したのかというと平成に入り、色々な経験をして来たので調べたくなったのが私の気持ちである。昭和の終わりに生まれて平成の30年を駆けた私としては本当に色々な経験をさせてもらったと思っている。


 私は今秋に31歳となるが私が1歳だった1989(昭和64)年1月7日に昭和が終わり、翌8日から平成となった。そして平成元年に1歳だった私は平成時代は正月から誕生日の11月9日までは元号と年齢が一緒だったのだ。だから思い出を振り返るときに西暦が分かっていればすぐに年齢が分かったし、何よりも元号と年齢が一緒というのが自分にとって嬉しかったのだ。


 しかしそれも来年五月までとなる。この時から元号に30がプラスされる。平成と共に生きた私の平成時代はいよいよ終わりを迎えるのである。楽しい思い出を胸に新しい時代へ私は向かうのだ。



※1989(昭和64)年1月7日撮影


2018(平成30)年8月12日撮影


2018(平成30)年8月13日撮影


 (※1)新元号が決まっていないので現在の元号とした。

あなたはどんなパパ、ママになれたらいいなって思う??

もしなれるならば食事面、金銭感覚、片付けのしつけなどは未来の奥さんに任せるかもしれませんが勉強面、趣味を増やす教育、礼儀などは僕が教えてあげたいです。そして一緒にアニメを見たりゲームをしたりしてカルチャーに興味を持ってくれたらなあと思います。
乙女のトキメキ赤ちゃんあなたはどんなパパ、ママになれたらいいなって思う?照れふんわり風船ハート

みんなの回答を見に行く右矢印
キャンペーン詳細を見る右矢印