タイでの夢を諦めました | ALL FOR GOAL, GOAL FOR ALL.

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・・・ 海外サッカー生活 8年目 ・・・

 

今年、僕はタイでプレーすることを諦めました。

 

大卒から5年という時間を「自分のなりたい姿」をずっと追い続け、タイという国でプロサッカー選手として過ごし。どんな国でもカテゴリでも環境でも。他の誰でもなく自分の選んだ道で後悔のないよう前に進んできた結果。沢山のサポーターに愛され。応援され。自分の得点で笑顔になる皆んなの姿を見ることができました。

 

新聞の一面を飾り。サッカーサイトにも特集され。更には、「なぜ、お前は試合に出ないんだ?」と、選手として試合に出れてない状況をニュースにしてもらえたことが何より。タイで過ごしてきた時間が、こんな自分をサッカー選手としての実力をしっかりと評価してくれていると感じる出来事であり。タイ国内の日本人初の得点王も獲得。そして、年間ベストイレブンも獲得。どんなことがあっても、これは自分の誇れる大切なものです。

 

けれど。僕はタイでプレーすることを諦めました。

 

 

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改めまして、2017年、オーストラリア2部リーグ(NPL1)のSydney Olympic FC と契約したことをご報告させて頂きます。

タイを離れる決断をしてから日本で過ごし、ここに至るまで、沢山の方の支えと応援がありました。本当に、ありがとうございます!

 

僕は大学時代にトップチームで公式戦に出場したことがありません。もちろん、特別な才能がある選手でもありません。ただ、負けず嫌いであり、大学時代の悔しさをバネに、タイという国で、プロサッカー選手としてステップアップして活躍することを目指し、長い時間を過ごしてきました。けれど、どんなに時間をかけても、上のカテゴリでプレーすることは叶いません。それが現実でした。

 

そして、タイでプレーすることを諦めました。

 

 

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そう、 “明らめた” のです。

 

 

諦めるとは、本来、物事を「明らか」にすることが言葉の由来と言われ、自分自身の限界や周りの状況を受け入れ、理解し、次に進むための言葉としてポジティブな意味として、「想いを断つ」という、悟りに近いものであるようです。

人生で何か迷いや悩みが生じたら、人は、そのことへの理解を深めようとします。つまり、本質を見極めようと考え始めます。

仏教でも、「諦」とは「真理を観察して明らかにみる」ということから、「真理を悟る」という意味で捉えられるものであり、「何も考えずにすぐにやめてしまう」ことではありません。

 

22歳に海を渡った頃から、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりながら進んできた時間の中。「結果さえ残し、点さえ取れば、上のステージでプレーできる!」と、信じ続けましたが、そこには自分だからこその大きな壁がありました。

 

「プレーはいいけど、背が低いから厳しい。」

「経歴がちょっと…。」

 

もう、サッカー人生。何度、その言葉を言われたかわかりません。1週間に3つのチームに同じことを言われ、大きな契約のチャンスを逃したら、本当にどうしたらいいのか。積み重ねてきた結果と、そこから生まれる自信によって、この先、タイの上のカテゴリでプレーできる自分の姿がイメージができるものの。繰り返されるどうにもならない「身長」と「経歴」の “壁” によってタイの上のカテゴリでプレーできない自分が明確にイメージできてしまいました。

 

若いからこそ信じ続けてきた、上でプレーする自分の姿と。経験によって考える力が備わったことから感覚的に感じてしまったリアルな問題。自分にとって、そのイメージできてしまう事こそが“明らかになったこと” そして “明らめたこと” です。

 

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僕も、居心地の良かったタイという国から、飛び出すことに沢山の不安がありました。

 

子供の頃より、大人になって世間を知り、知識を得て賢くなるほど、自分の心にブレーキを掛けてしまい、新しい一歩を歩み出す勇気を踏み出しづらくなるかと思います。

 

けれど、そのブレーキは「なぜ」ブレーキとして存在するのか。

 

「なぜ、自分の可能性を自分で限定するのか。」

「なぜ、次の行動に一歩を踏み出す不安があるのか。」

「なぜ、サッカー選手でないといけないのか。」

「なぜ、ストライカーとして勝負したいのか。」

「なぜ、海外に渡ってまでサッカーを続けたいのか。」

「なぜ、オーストラリアなのか。」

「なぜ、自分はサッカーをつづけているのだろうか。」

そして、「この先、自分はどうなりたいのか。」

 

タイという国でステップアップする現実的な難しさを感じた去年の夏頃から、本当に何回も何回も自分に問いかけました。

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「自分が輝ける場所で、自分を表現して、勝負がしたい。」

 

サッカーだけでなく、どんなときでも主体的に考え、自分を表現し、キラキラと輝く人は、男女問わず本当に人を惹きつける魅力的な人であると思います。

 

僕にとって、サッカーを本気でプレーしているときが。そして、ストライカーのポジションで勝負をして、点を獲るときが、自分を思いっきり表現し、キラキラと輝ける瞬間です。

 

日本に帰国したときに読んだ為末さんの著書『諦める力』に書かれた

 

「夢を捨てても勝負は終わってない。」

「自分はちゃんとやりきったか。」

 

この二言が、どうしていこうか迷っていた自分の背中を押しました。

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そして、僕は、タイでの夢を捨てました。けれど、また新しい勝負が始まります。

 

ちょうど1年前です。上のカテゴリで掴んだ契約をキャンセルされチームがなくなったとき、それはもう感情を隠しきれないほどの出来事であり、初めて人の前でボロボロに泣き崩れました。けれど、どんな時もそうでしたが、自分で決断し進んていくところには、こんな自分を助けてくれるの沢山の支えと応援があり、いつも、決してひとりではないと感じさせてもらえます。

27歳。いまが1番サッカーを楽しみながら、そして笑顔でプレーしています。抑えきれないサッカーの楽しさと、まだ上手くなってる自分を感じる幸せ。それは、多くの支えがあるから感じるものです。

 

このオーストラリアという地で、自分はどれだけ点を獲って、世間を驚かす活躍できるんだろうか。もしくは、全く通用せず、何もできないままただ無様に終わるのだろうか。必ず、また難しいことも起こるかと思います。けれど、その難しいことの先の自分をイメージすることでポジティブにワクワクすることができます。考えの視野を広げて、世界を見渡せば、自分より上手い選手は巨万といます。だからこそ、自分の可能性を限定することなくまだ上手くなれるとも思えます。

 

これからも自分なりの恩返しができる選手に,そして、感謝を忘れず、応援してもらえる選手でいれるよう、毎日を笑顔で過ごしていきます!

 

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日本人ともタイ人ともアフリカ人ともヨーロッパ人とも違うオーストラリア人が胸の前に腕をクロスして低い姿勢からラグビータックルをしてきたら、それは僕にとっては交通事故と同じ衝撃。体幹TRとは何でしょう。筋トレとは何でしょう。強すぎてピンポン球のようにポーーんッと吹っ飛ばされる毎日です。

 

190cm近い身長のある2人のDFに挟まれ、それを見上げながら、「お前、デカイなー。」と、170cmもない自分が話しかける余裕もあります。その余裕は、肩の力を抜けてる証拠。今は、そんな毎日がとても楽しいです!

 

今年で大学を卒業してから海外でプレーし始めて6年目のシーズンを迎えます。去年、日本帰国後、海外でプレーを志す若い選手や、この先どうしていけばいいのかモヤモヤを抱え燻る学生や若いサッカー指導者、そしてまだまだ純粋な小学生や中学生などと多くの時間を一緒に過ごしてきました。

 

色々な事を経験してきた中、僕のタイで過ごした5年間とオーストラリアでプレーしていこうとするこれからが、そういった人たちの一歩を踏み出す小さいきっかけになれればと思います。

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難しいことを生意気に、そして偉そうに言ってきたと思われるかもしれませんが。自分と向き合って向き合って向き合うほど、そこから気づける自分の強い想いが必ずあります。その想い。本質に気づいたとき。これから過ごしていく毎日が今まで以上に意味のあるものとなり自分を輝かせる毎日になるでしょう。決して、無駄なことはありません。


改めて、自分自身と向き合ってみるのも良いものだと思います:)

 

久保木優

 

 
 
 
 
 

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