Side N
「えっと…」
目の前にいるのがマルで、俺は混乱した。
俺、マルとキス…してた?
……大野さんじゃなかった……
手を唇に持っていって触れる。
さっきの唇の感触がちゃんと甦ってきて、血の気がひく。
どうしよ…俺…マルに抱きついちゃったってこと?
ってか、それよりも…
キスを受け入れたばかりか、俺からも深く…
どうしよう…寝ぼけてたとはいえ、大野さんとマルを間違えるなんて…
「ごめん、ニノ」
マルが真面目な顔になって呟いた。
「忘我の境地やってん」
「え?何…ぼ…?」
意味がわからなくて俺が訝しげな声を出すと、マルがふっと笑った。
「ニノにわっかるかな~この表現!わっかんねぇだろ~な~」
おどけて言うから思わず吹き出してしまう。
「古いよ」
「ニノかて知ってるやん」
再び、沈黙が襲ってきたけど、さっきより空気が柔らかくなっていた。
「俺も…ゴメン…そんで、ありがと」
「ニノは謝らんでもえぇよ…。ありがと…って何でなん?」
「えっと…その……水、とか…」
「ふ、水かいな。ええねん、そんなん」
俺が傍らの水をちらっと見ながら言うと、マルはにこっと笑った。
ホントは…
マル、おどけてくれて、ありがと…なんだけどね…
「身体大丈夫?」
マルは心配そうな顔つきになった。
「大丈夫。マルが俺運んでくれた?ありがと」
その瞬間、マルがふっと眉を寄せて何か言おうとしたけれど、部屋の襖が大きく開いて差し込んだ光に制された。
「ニノ…大丈夫?」
心配そうな顔をした、大野さんが現れて、俺は思わず一瞬目を伏せた。
大野さんの顔が見られない…
「おーちゃん…」
「マル、ニノ運んでくれた?こいつ、重かったんじゃない?」
大野さんが、作ったような明るい声を出してマルの方を見る。
「重なんか…あらへんよ…」
気の抜けたようなマルがぼそりと呟く。
「ニノ、部屋戻れる?」
大野さんは俺の傍らにしゃがみ込んで、顔に触れた。
その瞳が痛いくらいまっすぐ俺を見る。
なんか答えなきゃ、って思うけどうまく声が出てこない。
「ほな、俺先に戻ってるわ。ニノ、無理せんようにな」
マルが立ち上がった。薄暗くて、表情は見えない。
マルが廊下へ出て行ったのを見届けて、大野さんは俺に向き直った。
「あいつと…何かあった?」
俺は咄嗟にかぶりを振って否定する。
この人には、知られたくない…
「じゃあ、帰ろ?」
大野さんがにこっと笑って、俺の手をぎゅっと握る。
大野さんだって…
たぶん、俺とマルの間の空気に何か感じてはいるんだろうけど…
何も気づいてなんかいないみたいに笑ってくれるから、胸がちくりとした。