Side S
次の停車駅に止まって、乗客が降りたけれど、すぐにそれ以上の乗客が乗ってくる。
ぎゅうぎゅう押されて、抗おうにも到底無理だった。ニノが押しつぶされないように腕をできる限り突っ張っているのが精いっぱいだ。
腕の中のニノが心配で、顔を覗き込む。ニノが、俺の視線に気づいて顔を上げた。
「全然、降りないんだね」
「乗り換えある駅まではずっとこんなだよ」
俺を見あげるニノの頰は、暖房のせいか、上気して、ピンク色に染まっていた。潤んだ目が少し赤い。
…どうしよう…
俺の体は、四方から押されて、ニノにぴったりとくっついてしまっている。
男にしては華奢で柔らかいニノの体の感触が、電車の振動を通してもはっきりとわかった。
触れ合ってるとこ、なんか…気持ちいいとか…
俺、変 態じゃん…
俺は気を紛らわそうと、ニノに話しかけた。
「目赤いぞ。寝てないだろ」
「ん…昨日翔ちゃんの出した宿題全部やったから」
「えっ、あれ全部やったの?」
驚いて小さく叫ぶと、ニノは微笑んだ。
「すっごい量だったろ?」
「だって…」
ニノは目を伏せた。柔らかそうな前髪が電車の振動に合わせて揺れる。
「翔ちゃんと同じ大学行きたいし…」
ニノの形のいい薄い唇から自分の名前が出るだけで、どきん…と胸が鳴る。
いやいや、うぬぼれんな…俺…
ニノは、別に俺が行ってるから、なんて理由で志望大学を選んでるわけじゃない…
それが俺が行ってる大学なのは、たまたまなんだ。
ニノは伏せていた目をまたあげた。
「ちゃんとletとmakeの使い方、マスターしたよ?」
「よろしい」
俺がおごそかに頷いたらニノはふき出した。
不意に、この前のレッスンのときにニノが例文であげた言葉が脳裏に蘇ってきた。
ーLet me kiss you, Shoー
キスか…
ニノの紅色の唇に視線をやる。
「キスさせて」なんて…
こっちのセリフだけどな…
ニノは…言いたいコとか…やっぱ、いるんだろうか…
名前の部分を誰か女のコの名前にしたりして…言いたい相手がいるってことなんだろう。
「はあ…」
思わず大きくため息が出た。
「翔ちゃん、俺に体重もっとかけていいよ?」
ニノはため息の理由を混雑で人から押されているからだと思ったようだ。
「ん…大丈夫。この路線、人が肋骨骨折するレベルだから」
「マジで?」
ニノは面白そうにくすくす笑いながら、呟いた。
「そ。俺はお前のお母さんに、大学合格させるって約束したからさ。お前になんかあったら…もうおっかさん激怒だよ、きっと」
「いやいや…それはないよ」
くすくすと笑い続けながらニノが言った。
「まあ…おっかさんは激怒しないかもだけど…やっぱ俺が、合格まで見届けたいし」
俺が言うと、ニノは神妙な顔になって頷いた。
「…やっぱり、合格まで…なんだよね…翔ちゃんが見届けてくれんの…」
眉を寄せたニノが俺を見上げて、じっと見つめた。
それは、どういう意味…
俺が口を開こうとした時、電車は次の停車駅に止まった。こちら側のドアが開いて、俺とニノはホームへ押し出された。