やーやーやー。
今日も寒かねー。
お片づけを始めてから、
たくさんのいいことがあるkaiteki。
そのいい事の一つを今日はお話しようと思う。
始めまーす。
私はお片づけを始めてから、あまり人のせいにしなくった。
それはお片づけをした人によく表れる効果の一つなんだけど、
さらに、突き進むと、
「人が何かを自分のせいにしてきても、腹があまり立たなくなった。」のだ。
これは、すごいことで、
昔は、誰かが自分を非難し、
私のせいにしてこようものなら、
私はそれを全力で否定し、
如何に自分には非がないかと言うことを、相手が納得するまでコンコンと語っていた。
が、今はどうだろう。
誰か(特に子供たち)が、私を責めても、
「あー、そっかー、ママが悪かったわ~」と、すんなりと言えるようになった。
すると、散々私を責める子どもも、
「私も悪かったからごめんなさーい!」
と、糸も簡単に、そして素直に謝ってきてくれるではないか。
私は、
「あんたが悪い!!」
と言うことを、相手が理解するまで責め続けることがなくなったのだ。
もちろん、悪い事は悪いと教えなければならない。
けど、子どもの時の自分にもあったように、
責め続けられてる時には、
「うん、それもそうだね。」
と素直に言うことができないのだ。
相手が謝ってくると、
何か自分も申し訳なくなり、
こちらも、冷静になる。
一旦リセットして、穏やかな雰囲気になる。
そこから、少しずつ、
自分はどこが悪かった。
子どもは何が悪かった…と話を進めて行くと、修羅場がすぐにおさまる。
人のせいにしなくなった事で、
「自分に非がないことを、自分が分かっていたらそれでいい!!」
と、頑なに守っていた「強烈な我」がとれてしまったのだ。
相手の立場まで考えられる余裕が少し出てきたのだ。
とにかく昔は自分を守る事に必死だった。
それは、まさに今の自分の子どもとやってる事は同じで、
確実にただのワガママで泣いているのに、
自分の非は認めたくない子ども。
それは、自分を大切にしているわけでも何でもなく、何かに執着しているような感覚。
「自分に非がないことが、自分を認めてもらえる事…」のような、なんだか少しひねくれた価値観。
例え、自分が本当に非があってもなんとかすり抜けて正当化しようとする変な努力。
そして気付いた。
それらの努力は、何もいい事を生み出さないという事。
腹を立ててる時、
確実に物事はスムーズにいかない。
ならば、先を読んで、
いかに穏やかな雰囲気を取り戻すかを考えると、
「自分が折れる。」という事だったのだ。
折れっぱなしでは腹が立つ?
でも、それも我というもの。
そりゃーまだまだ感情に任せて腹を立てる事も多々あるが、
自分に非がなくても、
相手の気分を悪くさせた事に
「ごめん」
と、言えるようになったのが、最近気付いたいい事。
機嫌よく暮らしてるといい事あるもんだ。
いつも読んで下さる皆様ありがとうございます。
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