『お茶』とともに、その5  (山城さんが住む部落) | お試しブログ

『お茶』とともに、その5  (山城さんが住む部落)


ある日、
TV朝日のナニコレ百景という番組に、具志堅用高が登場していた。その中で、山城さんによるマラソン大会が放映していました。


沖縄県うるま市石川字山城という部落には、8割『山城さん』が住んでいて、部落の名前も住んでいる人も『山城』という番組でした。こで自分は、どうして ? そんなに『山城』という名前にこだわるのか ? 不思議に思いました。


山城『お茶』の産地になっていました‥



山城は、旧・石川市の中にあつて近くには、『伊波城』⇔ 反対側の恩納村には、『山田城』がありました。

伊波城と山田城はI同じ『隠れ』平家の落人伝説があります。そして、旧・石川市と恩納村は沖縄島の中央構造線・フォッサマグナでありました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11559590305.html

旧・石川市にある『伊波城』と恩納村にある『山田城』を合わせると 蘇我倉山田石川麻呂 → 南朝の落ち武者と平家の落人が隠れている『城』だ‥http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11624916858.html と、自分は思っています。

恩納村にある万座毛 (まんざもう) という崖 (ばんた) では、毛遊び (もうあしび) という『月星信仰』は、京都府の宇治で行われる県 (あがた) 祭りと似ていましたhttp://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11794635677.html その京都府の宇治は昔、『山城国』でありました。


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またある日、
TV朝日のナニコレ百景という番組に、草を食べる俳優が登場してきた。その中で、周防国上関町にある祝島 (いわいしま) が出てきて、3代に渡って石垣を積み重ねて、ようやく『畑』を造ったと放映していました。


その事から、祝島は古くから農業が難しい島だと見えてきます。

古代の『租・庸・調』~ 近代の『士農工商』まで、農業を主税とする『農本主義』を敷いていたので、農業が難しい地域は、海の『交換場』に参加していたと思います。

祝島 (いわいしま) は、万葉集では『伊波比島』と記されていました。

島の特色には『上関原子力発電所』の話題 http://satehate.exblog.jp/20400491 で知られています。

島の特産品には『枇杷茶』、『堅豆腐』など‥あり → 似ている豆腐に、長崎県五島列島の『潮豆腐』や沖縄県糸満市の『石豆腐』が知られているという。http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9D%E5%B3%B6

また、『枇杷茶』の「びわ」について、長崎県は日本一の「びわ」産地になっています。その事から、肥前国と周防国の共通点に『松浦水軍』の足跡が思い浮かびます。

松浦氏の租 (おや) と子孫には、安倍氏が含まれているといいます。http://jiyodan.exblog.jp/10562222/ 安倍氏は、上関町のとなり町、田布施にも住んでいました。

恩納村の『熱田』と反対側の安部 (あぶ) は、阿武 (あぶ) →あたけ、阿多の地→足立、安達、白鳥伝説につながります。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11768344276.html 九州島の田布施は阿多の地でありました。

阿武隈山地、阿武隈川の流域には、
福島県石川郡古殿町大字田口字戸神という住所に『伊波止和氣神社』があります。←伊波、石川と田口は気になる文字です。関係しているかは 瀬戸内海に、平清盛に仕えた『平家』の中に 田口一族がいました。


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話を『山城』に戻します。



山城の近くには、伊波 (いは) と嘉手苅 (かでかる) という部落があります。



『伊波』では、金細工 (かにぜーく) という鍛冶、製鉄に関する仕事が行われていました。『嘉手苅』にある観音堂の存在も気になりますが、嘉手苅(かでかる)の語源1つに、「嘉手」は「勝手」を意味しており、古代に「カチ」と呼ばれていた地名が「鍛冶」→「製鉄業」→ 高温火力を扱う『カマド』→ 台所 →「勝手」→ 竈門 (カマド) → 釜戸 → 台所の戸を『勝手口』と?いうように?なったといいます。

また、正式の扉ではない ⇔ 自由への扉 →「勝手にする」という言葉にもなりました。

苅 (カル) は古代語の火 (フル) が火 (ヒル) → 火 (カル) → 火 (ひ) → 火 (か) →『カル』だという説があり、 現代でも朝鮮語では「プル = 火」で、 また苅 (カル) は、嘉陽、賀陽、茅、伽揶、加羅とも、 あるといいます。http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1059354030


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話を複雑にすると、恩納村の山田城主・護佐丸盛春の子孫に、百十踏揚 (ももとふみあがり) がいて、旧・石川市の伊波城の子孫である勝連城主・阿麻和利 (あまわり)
と一回目の政略結婚をしていました。

阿麻和利は、毛遊び (もうあしび) という『月星信仰』を普及していました。それは、京都府の宇治で行われる県 (あがた) 祭りと似ていましたhttp://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11794635677.html その京都府の宇治は昔、『山城国』でありました。

勝連城がある与勝半島には、南風原 (はえばる) という部落があります。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11652398028.html

沖縄県でただ1つ海のない市町村に南風原 (はえばる) 町があります。南風原町は、ウルトラマンと絣 (かすり) の町になっていて、嘉手苅さんが多く住んでいたようです。


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再び話を、伊波比島 → 祝島に戻します。

祝島のある周防国の『上関』の古名は、『カマド関』でありました。その事から、製鉄の鍛冶 → 勝手口 → 台所の扉 → 上関 (カマド関) が見えてきます。そして、周防は『しゅうぼう』ではなく ⇔ 周防 (すおう) と読むといいます。その語源は、さまざま説あつて、何かの「当て字」という説があります。


宮本常一氏が生まれた周防国には、戦国時代にも戦争がなかったといいます。どうして?いうと、源平争乱の中で焼け落ちた東大寺・大仏の建て直し → 復興・大仏建立をするため、重源 (ちょうげん) という真言宗の僧侶がやって来て、周防国には、大きな杉の木がたくさんあったので‥ 周防国が知行国になったからだといいます。


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もしも ?‥
海の『交換場』に参加していたら ? 周防 (すおう) の語源は、蘇木 (そぼく) → 朱色の染料 → 蘇芳 (すおう) の木だ‥と、自分は思います。

朱色は、血の色 → 生命の色でした。


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さらにnet上には、 真言宗・重源上人の死後は、臨済宗・栄西上人が東大寺大勧進職を継いだ。http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%BA%90 と、載っていました。


↑上記の事から、奈良の大仏 → 平安の復興・大仏 → 鎌倉の大仏は、それぞれ宗教と宗派、大仏の名前も場所、時代、距離など‥まったく違うけど ⇔ 連続性が見られます。

また日本列島には、平家の落人、南朝の落ち武者、桃太郎伝説、白鳥伝説など‥言い伝え、言葉が残るのは、半分だけ『封印』して、半分だけ許す事を表現しているのだと思われます。

鬼退治する人は昔、『おに』で → 鬼の名前と霊魂 (まぶい) を引き継いで、また昔退治した鬼に『おに』にされて行きます。

安倍氏の租 (おや) は、阿武 → 安部 (あぶ) であり、阿武 → あたけ、熱田、県 (あがた)、足立、安達、阿多の地 → 田布施でもあります。


http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11744380262.html 愛宕 (あたご) → 阿多古 → 阿多の子は『海の子』であるから、農業が難しい地域、平家の落人は、海に山に、隠れていました。だから、『海と山』を安易に埋め立て、削る事は租(おや)を否定する事になります。


『美しい』ではなく、

http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11745221584.html 人生には『苦』が必要だと、租 (おや) は教えています。



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もしも ? 海の『交換場』に参加していたら ?
朱色は、血の色→生命の色でした。



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黒い瓦赤い瓦に、

瓦師の前身は陶工だと見られた。

陶工の作る器で『お茶』を飲んでいました。

茶人は、素焼きの南蛮 (なんばん) を求めていました。北から南蛮 (なんばん) が ⇔ 南から真南蛮 (まなばん)
がやってきました。