北条氏と北条氏 | お試しブログ
2015年12月25日(金)

北条氏と北条氏

テーマ:謎の出来事
少し前のブログで、時代のズレを載せてしまいました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12106272836.html


ー・ズレ部分 ー・→


1432 (永亨4) 年
太田道灌 (おおたどうかん) は、戦国の風雲児・北条早雲と同い年で、上杉定正 (扇谷家 / おうぎがやつ) の家老の子として、相模国の糟屋に生まれた。


ー(・・? ー・ー


太田道灌と北条早雲は、
同い年 (ネズミ年) ではあるけど、北条早雲は太田道灌より 24 年下。


ー・→


これまで古い文献や本では、戦国の風雲児・北条早雲は、どこの生まれかは解らないが、太田道灌と同い年 (ネズミ年) で、太田道灌が亡くなると同時に北条早雲が関東地方を支配するようになったと云われていました。

 ⇔ ところが、

最近の文献では、北条早雲の出生地など‥ ハッキリしているようです。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/北条早雲


ー・→


北条早雲は、室町時代後期に関東地方を支配するようになり、戦国大名となった 「後北条氏」 の祖。

鎌倉時代 (鎌倉幕府) の北条氏 (桓武平氏北条氏流) とは遠い血縁関係にあるが、直系ではないので、便宜上・鎌倉時代の北条氏 ⇔ 室町時代の後北条氏、区別している。*北条早雲 = 後北条氏 (桓武平氏伊勢氏流)

鎌倉時代 (鎌倉幕府) の北条氏 / 主な拠点・相模国鎌倉

室町時代の北条早雲 (後北条氏) / 主な拠点・相模国小田原


ー・→


北条早雲の名称 (呼び名) は複数あり、法名・伊勢 宗瑞 (いせ そうずい) 、諱名・伊勢盛時 (北条盛時) 、あだ名・伊勢新九郎。*諱 (いみな / 忌み名) とは、死後につけらる尊称 → 諡号 (送り名)

伊勢新九郎盛時 (後の北条早雲庵宗瑞) と呼ばれています。

もとの姓は 「伊勢」 でしたが、早雲の子・氏綱が『北条』姓に改名。存命中に「北条早雲」の名が使われた史料は乏しいが、今日では便宜上「北条早雲」と呼んでいる。

家格 (家柄) は『北条』姓よりも『伊勢』姓の方が高い。*室町時代の後北条氏 (桓武平氏伊勢氏流) > 鎌倉時代の北条氏 (桓武平氏北条氏流)

(・・? どうして?‥ 「伊勢」 姓から 「北条」 姓に改名したかというと、

当時、関東地方や相模国を支配していた上杉氏 (旧来勢力) から見ると、伊勢氏は外来の侵略者とみなされていた。

上杉氏よりも昔に相模国を支配していた鎌倉幕府の北条氏と同じ名前を使用し、回り人々から信頼を得るため → これから上杉氏に代わって相模国主としての 「正当性」 を得るため、云われています。


ー(・・? ー・ー


上杉氏は、京に室町幕府を開いた足利尊氏の母方の家系で、太田氏とともに関東地方に下校していました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12106272836.html


おおまかに、

上杉家は、山内上杉家と扇谷上杉家と2家が対立 (内紛) し、両家とも家宰が置かれ、山内上杉家では長尾氏一族 ⇔ 扇谷上杉家では太田氏親子が家宰を務めた。

山内上杉家で家宰を務めた長尾氏一族も太田道灌と親戚関係で、長尾氏一族の子孫も後ほど 「上杉」 姓を名乗り『上杉謙信』も長尾氏一族の子孫だと云われています。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/長尾氏


ー(・・? ー・ー


長尾氏も上杉氏に?‥

さらに ♂上杉謙信 (長尾景虎) は♀ 女性であった?‥ という説もある。