紅葉が綺麗です。
まだ、今からなのか、終わりなのか、良く解らないけども、
やっと、紅葉を、4年越しに、相手と一緒に見ることができました。
先ずは、これに感謝。
出会った時、私は、身体を壊してて、回復の最中、
4年前、色々と相手側がデートしよー。
と誘って下さってたのですが、身体が思う様に行かなくて、
どこにも一緒に行ける事ができず、また身体のコンディションに自信がなかった。
間、色々、あって、たった紅葉一つを一緒に見に行けるまでに4年。
感動のはずだったんだけど、、、悲しさで紅葉を全く楽しめなかったが結果です。
道中、車の中で、やっぱり、そーだよなぁ、、とぐさっ!と刺さる言葉が相手の口から出てきた。
持病が多いこの身体。
自律神経やら、微妙な体の神経経路が、一般の人より、繊細だったり、
弱かったり、ましては、まだ完全に身体は治ってはいない、
しかし、4年前からしたら、随分と、行動範囲も広がって来たり、
でかけられる身体迄には回復してきた。
しかし、、それは、私の身体の基準であって、
普通の人の、健康な身体には、まだまだ、とても至ってない。
だから、車内の気温調整もだし、霊感というのか、
とても様々な事を拾う、体質やら、あれやらこれやら合間って、
相手からすると、行動を共にすると言う事は、
とても気を使うし、しんどい事とは理解していたつもりだけど、私は甘えてはならないのだな。
とも改めて思った。
車内の温度の事で、これ見よがしに、うざったそうに相手が口にだした。
山に行けば、あーだ、行った土地が何か有れば、体調悪くなるとか、
ごちゃごちゃ鬱陶しいし、そんなんだから、一緒には出掛けたくな、、
ここまで言って、相手は言葉を止めた。
このまま、来た道を引き返そうかと考えたが、
ここで引き返せば、また後からブツブツ言われるのも大変だし、
とりあえず、今日は、今日を乗り越える事を目標に決め、目的に集中しようとしたけど、
やっぱり運転しながら考えてしまう。
そっか、忙しいを言い訳にしてただけで、
そーいう理由で、体調が回復し始めてからの2年半の間、
どこかに連れて行って欲しいと頼み込んでも、
連れて行ってもらえなかったのか、、、。
その後、会話をする事をせず、目的地に着くまで車内は、無言だった。
無言のまま、車を運転しながら、過去を振り返っていた。
10年前、働く事も出来なくなった身体。2年ほど、部屋に引き篭もり、
毎日、毎日、役に立たない私は、生きている意味など無い。と泣き、
毎日、毎日、死を考えていた10年前。
沢山の方々に、勇気つけられ、支えられ、
私なりに、10年かけて、人様が当たり前の様にやれている生活。
この生活を取り戻す事が夢でもあり、目標だった。
人並みの生活が出来る様に、精一杯、努力はして来たつもりだけど、所詮、弱い身体。
精神面や、行動、考え方は、意識によって、簡単に変えられるけど、
神経経路というのは、自分の意思で、簡単に治せるものでは無い分、
精一杯の努力をしてても、どうにもならない時もある。
簡単に言えば、心臓を止めようと思って、意識的に止められないのと同じ。
なので、対処法を知っていく事で、今まで、ここまで回復できた。
この身体の不具合と体調が崩れた時のキツさは、経験しないと解らない事だから、
人様に理解して貰える事では無いと理解しているので、特に理解を求めないのだけど、
ただ、とてもじゃ無いけど、一般的な健康の人の身体には、まだまだ到底、努力は足りないな😂
という事と、
ずっと、相手にとっては、お荷物でしか無かったんだろな、、、
だから、身体の事、ウィルスも含めて、離れてくれていい。と、遠回しに言っていたんだろな、、
身体の事を言われると、自分でもどうしようも無いので、
でも人には解らない相当な努力もして来た分、
弱い身体の人間は、俺が思う様になってくれないから、
俺と一緒に居る必要は無い。と言われた様な気持ちになり、
また、存在している事、自体も否定された気持ちになり、
涙が出そうになったのをグッと堪えて、
家に帰った途端、ボロボロと泣いてしまった。
情けないし、悲しいし、ここ知れない淋しさを覚えた。
ただ、健康な人からしたら、当たり前の感覚と感情だ。
両親が、良く言うのですが、
お前が、人と生きると言う事はもっての他。
そんな身体の弱さと繊細さは、相手に迷惑をかけるから、一人で生きろ。
これは、本当に、そーなんですよね。
だし、相手にとっては、私では無く、
普通の健康な身体の女性と生きる方がストレスも無く、幸せだろう。
相手はただでさえ、昔言っていたが、俺は人を傷付けたい!と豪語していたし、
元々、精神DVの性質を持っているので、精神も体も健康な女性の方が、
彼も思う存分、相手を傷付けて楽しめるだろうから、私では物足りないだろう。
相手の幸せを願い、身を引ひた方がいいのかもなぁと思い出した。
なんか、改めて、それを実感した秋の紅葉は、
私には、
当たり前に生きる事の厳しさの、血の色
に見えました。